芥川賞作家・又吉直樹も推薦する、吉本興業から誕生した新たな文芸芸人、ファビアンの初の短編小説集『きょうも芸の夢をみる』が2023年3月25日に発売されました。
芸人のリアルな悲喜交々が詰まったこの青春物語は、多くの先輩後輩芸人をはじめ、各方面より高評価をいただいています。
今回FANYマガジンでは、収録されている全11篇からファビアンが選んだ1篇を、特別に全部公開いたします。
現役芸人だからこそ描ける、漫才を随所に散りばめた奇想天外なショートショートをぜひお楽しみください。
『エルパソ』
「差し入れ、ここ置いとくな?」
難波はそう言って、アイスコーヒーを机の上に置いた。僕がお礼を言ってミルクを入れたとき、相方の緒方はすでにゴクゴクと飲んでいた。そして一気に半分飲み干したところで「うんま。やっぱアラリヤのは豆がちゃうな」と、口を開いた。大きな声だった。「よく買ってたもんな」と難波が続ける。
アラリヤというのは劇場から少し離れたところにあるワゴンで、コーヒーが美味しいことで知られている。緒方はいつも入り時間と本番の合間に、後輩を連れて買いに行っていた。後輩がその場にいない日は相方の僕を誘うこともあった。コント師はリハーサルをやっている時間なのだが、漫才師はリハーサルなどないので、この時間を自由に使える。まあ、本当はその間にネタ合わせをするべきなんだろうけど。
僕もスーツに着替え終わったところで、コーヒーを手に取った。変わらない味。僕にとってもアラリヤのコーヒーはこの劇場とセットだ。楽屋はいつも色々な種類のコーヒーの薫りと、喫煙所から漏れてくるタバコの匂いで満ちている。ギラギラした若手芸人はなぜかそれらを異常に好む。「夢っていったいどんな味?」と尋ねられたら、答えはタバコとコーヒーだ。
緒方はあっという間にコーヒーを飲み干し、寂しそうに「もうあんま、アラリヤ行けんようなるなあ」と言った。「でも渋谷に来なくなるわけやないやん。劇場に来なくなるだけで」と難波が続ける。
僕たちは今日、解散するのだ。今日のラストライブが終われば、「エルパソ緒方」はただの“緒方”になるし、僕もただの“本城”になる。なる、というより、戻ると言った方が正しいのかもしれないけれど。
何度も小道具として使った馬の頭の被り物をしみじみと眺めていると、難波は「頑張ってな、ラスト!」と言い、去って行こうとした。僕は呼び止めて馬を被り「ひひんひんひんひん、上品」と言いながら、大学時代の社交ダンス部で極めたターンを披露した。難波が一番好きだった一発ギャグだ。難波は当時のように爆笑しながら、楽屋をあとにした。
難波は数年前に芸人を辞めた同期だ。僕らよりほんの少しだけ売れていて、テレビで四回ネタを披露したことがある。ちなみに僕らエルパソは三回。
有名大学の薬学部を卒業して芸人になった彼は、芸人を辞めたあと、資格を生かして薬剤師になった。なんだか芸人時代より生き生きしている姿は、「辞めてもなんとかなるぞ」というメッセージに思えた。
それから山根もやって来た。差し入れは大量のカツサンドだった。僕らを高校卒業したての超若手コンビとでも思っているのだろうか。三十路を過ぎた男はそんなに食べられない。それに出番前にお腹いっぱいになりたくない。
僕は自分と緒方の分の二つだけ抜き取り、残りをスタッフのところへ持って行った。山根は「え、俺スベってる?」と、恥ずかしそうにしていた。
山根は今、自動車メーカーで営業をしているらしい。僕は社会人として働いたことがないから、営業が具体的にどんなことをするのかはわからないけれど、何かを売っているというのはわかる。車本体なのか、部品なのかは知らないけど、きっと社会の役に立つものだろう。山根は芸人時代から口が達者だったし、何より笑顔が爽やかだからうまくいってそうだ。緒方が「調子は?」と聞くと、「いいよ」と返していた。
「ホップ、ステップ、ジョニーデップ」と、突如楽屋に侵入して来たのは、リチャーズだ。 顔が外国人っぽいから養成所時代にそう呼ばれ始め、そのまま芸名になった。中身はゴリゴリの日本人で、よくわからない日本酒の資格を持っている。いちおうそれっぽいメガネはかけているが、ジョニー・デップには似ていない。
「俺の差し入れは、ギャグで〜〜す」
リチャーズがさらにギャグを披露しようと、金髪のカツラを被って「ウイーン、ウイーン、ウイーン」とロボットダンスを始めたところで、緒方は笑いながら彼を楽屋から追い出した。そのあと廊下に「少年合唱団!」と、大声が響いた。最後のキメ顔まで見たかった。
このギャグはリチャーズの現役時代には見たことがなかったので、もしかしたら辞めてからも、ずっとギャグを作っているのかもしれない。
今は持ち前の明るさを武器に、結婚式やイベントの司会業をしているらしい。それに、芸人時代から付き合っていた可愛い彼女と結婚し、もうすぐ双子が生まれるという。
他にも、実家のかまぼこ屋を継いだ上町、バイト先だった焼き鳥屋の社員になった伊集稲、もともと教員免許を持っていたためそのまま教師になった佐々田など、多くの同期が集まってくれた。エナジードリンク、おにぎり、ドーナッツなど、みんなたくさんの差し入れをしてくれた。
中には芸人時代に培った能力を生かして仕事をしているものもいた。
構成作家になった森本は深夜番組の担当になり、テレビ局によく出入りしている。我孫子は「あびちゃん ねる」というYouTubeをはじめ、チャンネル登録はもうすぐ六万人だ。ファントムという芸名で活動していた藤田は、ネタ作りの技術を生かして小説家になるべく、新人賞に応募しているらしい。
とくに驚いたのが、新田と只見だ。新田は芸人時代に習得し、特技にしていた占いで、只見は催眠術で、たまにバラエティ番組に出ているのだ。憧れの先輩を占ったり、催眠にかけたりと充実している。素直に羨ましいし、そんな人生もあるんだなと思う。
楽屋は新田の占いで盛り上がっていた。タロットのようなカードを使い、僕らが辞めたあとどんな仕事に就くのか占ってくれた。緒方は構成作家になり、なんと僕は鷹狩りの名人になるらしい。真面目に占ってくれよ。僕は「ふざけんなよ」とツッコんだが、新田は先輩の結婚や大きな仕事など、数々の未来を当ててきているので、あながち間違っていないのかもしれない。
藤田は来年、小説の新人賞をとると言われて喜んでいた。上町のかまぼこ屋は一店舗しかないのに、来年上場すると予言されていた。楽屋には笑いが生まれ続け、みんなのおかげでリラックスできた。解散の日の楽屋なんてしんみりするだろうと思っていたが、盛り上がってよかった。
誰かが只見の催眠術もリクエストしたけれど、さすがにやめてもらった。緒方がかかりやすいからだ。昔わさびのカタマリが抹茶アイスに見えるという催眠をかけられ、バクバク食べたことがある。催眠が解かれたあと、涙を流しながらオエオエと吐いていた。
はじめは五百人ほどいた同期は、どんどん辞めていった。でもまだみんな、変わらず面白い。むしろ売れないといけないというプレッシャーから解放されたおかげか、自分より笑いを取る誰かへの嫉妬がなくなったからか、清々しい顔で、昔より貪欲にボケたりツッコんだりしていた。
そんな光景を見ていると「一回芸人やってもうたら、ずっと芸人やねん」と、誰かが言っていたのを思い出す。
人に楽しんでもらうことや、笑わすことだけを二十四時間、三百六十五日考え続ける。誰かを笑顔にすることに全力を注ぎ、生きがいとする。お金がなくても気にもせず。
そんな時間を人生で過ごせたことは貴重だ。
一時でもそんなものを知ってしまうと、なかなかすぐには変われないだろう。
もちろんまだまだ芸人として夢を追い続けている同期も楽屋に来てくれた。彼らには本当に頑張ってほしい。月並みな言葉だけど、僕らの分まで精一杯、自信を失うことなく。
そして、緒方にもそうあってほしい。
それがラストライブを企画した僕の願いだから。
ここ二年、緒方の笑顔は日々なくなっていった。ネタを書くペースも落ちていった。同期に相談すると「長く続けていると、何がウケて何がウケないか、肌感覚でわかるようになり、あれじゃないこれじゃないと自分の中のハードルが高くなる。それが結果的に、ネタを生み出すペースを遅くする」というようなことを言っていた。僕はネタを書かないので、緒方のプレッシャーは計り知れない。
それに三十歳をすぎると、結婚やお金、これからの人生のことも考えないといけない。親孝行もしたいだろう。
緒方は「早く売れないと」という焦りと、「こんなんじゃダメだ」という芸へのこだわりに押しつぶされたのだろうか。三ヶ月前、憔悴しきった顔で「もう限界や」と告げられた。最終オーディションまで進み、あと少しで出られそうだったネタ番組が終了するというニュースが流れた夜だった。
僕は、緒方は才能があると思っていた。養成所のときから同期には一目置かれていたし、先輩や後輩からもよくネタの相談を受けていた。事務所に解散の報告に行ったときも、方々で「もったいない」と言われていた。二人で報告したのに、みんな緒方の目を見ていた。それでいいんだと思った。それだけ期待が大きかったということだろう。緒方はネタを作れるし、面白いことを考えられる奴だから。
僕は、解散は嫌だった。はっきり「嫌だ」と言った。緒方の書いた漫才が好きだったし、一生あいつと舞台に立ち続けるのが夢だった。緒方が生み出したボケに笑ったり怒ったり、いち早くリアクションし、わかりやすくしてお客さんに伝えるのが僕の役目だった。いつまでも、あいつの一人目のお客さんでありたかった。
でも一方で、悩んでいる緒方を見るのも辛かった。ネタを作るペースが落ち、新ネタを披露しないといけないライブでも昔のネタをしたりしていた。緒方は気持ちが乗らないのか、声が小さかった。僕は必死で、今初めてそのボケを聞いたかのようなリアクションをしたけれど、空回りしていたのかもしれない。あまりウケなかったし、そんな日々を繰り返していると自分たちが成長している実感もなかった。
以前なら準々決勝まで進んでいたM-1も、去年は二回戦で落ちた。もはや現状維持すらできなくなっていた。その頃から、しだいに僕らのお客さんも減ってきた。出待ちで声をかけられることも少なくなり、顔なじみのお客さんも来なくなった。仕事が増えないので、新規のファンも獲得できなくなっていた。
舞台では出さないようにしていたつもりだが、僕らは負のオーラに包まれていたと思う。売れるかも、と誰かを期待させることができていなかったのかもしれない。
僕は解散を仄めかされたとき、緒方が限界だったことに気がついていなかったふりをした。それどころか「弱音を吐くなんて珍しいな」と言ってしまった。実際、僕の前でネガティブな言葉を吐くのは初めてだった。芸や人生のことを僕に相談しても仕方がないと思われていたのかもしれない。緒方は全部一人で決めてきて、僕はあいつの全てを肯定してきたから。そんな関係性もうまくいかなかった原因の一つなんだろう。
僕は解散を受け入れるにあたって、条件をつけた。それは解散ライブを開催すること。その方が良い区切りになるし、最後にウケて終わった方がお互いに良いリスタートが切れると思ったのだ。緒方は「全然ええよ」と、了承してくれた。前向きでよかった。
事務所に解散の報告に行ったとき、頭を下げてお願いして、六十分の枠を与えてもらった。すぐにSNSで告知し、集客を始めた。そして同期や元同期にも報告し、時間の都合が合えば来てほしいと頼んだ。特に仲が良かった難波とリチャーズには、緒方の状態も含め、解散の経緯を全て話した。難波が、緒方の好きなコーヒーを買ってきてくれたのも、リチャーズが全力でギャグをしてくれたのも、そんないきさつがある。
僕らは集大成を見せるべく、稽古に励んだ。
しかし、僕は途中で気がついてしまった。このままではウケないと……。やっぱり昔のネタは、リズムや間が微妙に狂ってしまう。緒方のボケにも熱量がない。昔は面白いと思って作ったものも、今はもうだいぶ時間が経って感覚が風化している。当時は奇抜だと思っていた発想も、すでに緒方の中ではベタなのだ。そのせいか、ネタ合わせでもよくセリフを嚙んでいた。
このままじゃマズイ……。
僕がラストライブを打ったのは、緒方のためなのだ。笑顔で辞めてほしいから。僕の最後の役割は、緒方を完全燃焼させることだと勝手に思っていた。
初めて緒方に「全力でやれ!」と怒った。「最後の最後まで応援してくれるお客さんにも失礼だ」と。緒方はしぶしぶ納得し、無理やりテンションをあげて練習してくれた。だが一度狂ったリズムや間を取り戻すのは、容易ではなかった。当日までずっと、一抹の不安が心の中にあった。
防音扉を開けて舞台袖に行くと、客席のざわめきが聞こえた。ライブ前、客入りの音楽が鳴っているときのザワザワ感でその日のお客さんの入り具合やテンションがわかる。これから登場する芸人が何をやってくれるんだろうと、期待している音。今日は告知を繰り返しただけあって、いつもより多く聞こえた。ひとまず僕の仕事は終わりだと、胸をなでおろした。あとは全力で楽しむだけだ。
そこへ緒方もやって来た。僕が深呼吸していると、緒方は僕の前に拳を出した。僕も拳を握り、互いのグーをチョンと合わせた。懐かしさが蘇る。これはデビュー当時いつも本番前にやっていた験担ぎのようなものだが、いつからかやらなくなっていた。久しぶりだけど、これで本当に最後だ。
屈伸をしていると客入れのBGMが消え、出囃子が鳴った。いよいよだ、いよいよ始まる。最後の舞台が、エルパソの集大成が。何より緒方に笑顔を取り戻させるための一時間が。全てがうまくいきますように。いや、うまくいけ。
僕は歌詞が始まるとともに、歩き出した。
「ど〜も〜エルパソです、お願いします」
「お願いします〜」
「今日も元気に頑張っていかなあかんな〜言うてますけど」
「は? 解散するのに?」
緒方のツッコミのようなボケが刺さった。
「いきなり暗いこと言わんでええやろ」
僕のツッコミでちゃんと笑いが起きた。よかった。少し笑いがおさまるのを待って、緒方が喋り出した。
「いきなりですが、解散する理由を発表します」
「そんなん言わんでええねん」
「音楽性の違いです」
「バンドマンか!」
「あと〜」
「まだあるん?」
「親の転勤です」
「小学生か!」
「あと〜」
「そんなにあるん?」
「普通の男の子に戻りたいんです」
「キャンディーズか!」
しだいに笑い声は大きくなり、強張っていた緒方の表情が緩んだ。よかった。
「緒方、ええからそんなん。お客さんたくさん来てくれてるんやから」
僕がそう言うと、緒方は客席を見た。僕もそこで初めてはっきりと前を向いた。
満員だった。
昔、よく来てくれていたお客さんも、サインを大量に書いたお姉さんも、頑張ってくださいと缶珈琲をくれた兄ちゃんもいた。僕を初めて出待ちしてくれた女の子もこっちを見ていた。当時女子高生だった彼女は、子どもを抱いていた。
後ろの方の席には難波や山根、リチャーズたち。それに楽屋に挨拶に来てくれたメンバー以外にも、同期がたくさん来ていた。感無量だ。これだけでも、今までやって来たことに意味があったと思える。
「ちなみに一つ聞いておきたいんですけど」
「なになに?」
「僕らのこと初めて見たよ〜って人?」
「あんまおらんやろ、解散ライブだけピンポイントで来る人は」
また笑いが起きる。
おい、緒方。見てるか?
これみんなお前の才能に期待してた人なんだよ。お前に惚れてた人たちなんだよ。お前は自信なくすなよ。ここのみんなは、ずっとお前の味方だから。
「やっぱり、俺らみたいなもんでも、解散するってなったら話題になるやんか」
「まあ、ちょっとはな〜」
「しばらく来るの辞めてた人も、今日は来てるなあ〜」
「そんなこと言うな」
「あいつと、あいつと、あいつと、あいつと」
「指差すな、ドキッとするやろ」
「来れたんちゃうん? 他のライブも」
「忙しいねん、皆さんも」
緒方のアドリブも飛び出し、調子がいいことがわかった。
「まあまあ、今日で解散するわけですけど、いわば解散ライブってさ、コンビのお葬式みたいなもんやんな?」
「まあ、言われてみれば」
「だから今日はここでな、お葬式をしようと思うねん」
「え? 俺らの?」
「そうそう」
このネタだけは、ラストライブのために完成させた新ネタだ。
最初で最後の。
「え〜、本日はご多忙の中、ご参列いただきましてありがとうございます」
「急に始まったなあ」
「皆さん色々な思い出を胸に、最後のエルパソ様とのお時間をお過ごしください」
「あ、お客さんが遺族ってことね?」
「すみません、申し遅れましたが、私、エルパソの葬儀の司会を担当します、エルパソの緒方です」
「奇妙やねん、状況が! 死体と司会が同一人物になってるから」
「思い返せば、ボケとツッコミのバランスも良く、非常に良いコンビでした」
「自分で言うな」
「養成所の頃から期待されており、ひときわ目立っていたと聞いております」
「恥ずかしくないんか?」
「特に、ボケの故・緒方さまは、毎日ネタを書く努力を怠らなかったそうです」
「ストイック自慢いらんねん」
「ツッコミの故・本城さまも『売れますように』と、毎日のお祈りを欠かしたことはありません」
「なんで俺だけ神頼みやねん」
順調にウケている。この調子だ。
「夕暮れロンドン」
「うわ、どっかで聞いたことある」
「エルパソと悩んだもう一つのコンビ名です」
「ダサい。エルパソでよかったわ!」
「ベスト・オブ・センス」
「それもやめろ」
「初めてやった単独ライブのタイトルです」
「恥ずかしすぎるやろ」
「ブオン、ブオン、ブオオオオオオン」
「何?」
「よくネタ合わせをしていた公園にいた、暴走族の音です」
「ほんまにいらんわ、その音は」
「バイクの音ではなく、口で言っていました。これほんまなんですよ。紫のチャリに乗って、口でバイクの音出してたんですよ、ブオン、ブオオオオオオンって」
「何を熱弁してんねん」
「皆さま、バイクの話で思い出したのですが、残念なお知らせがあります」
「なんやねん」
「今日の坊主の吉田さん、原付ではなく電車で来たそうです」
「どうでもええわ。確かに定番は原付やけど」
「え? なになに?」
「なんでインカムつけてんねん」
「プラス一万円で、今からでも原付の坊主にチェンジできる?」
「いらんわ。坊主の交通手段にこだわりないわ」
「チェンジで」
「するか。一万円もったいない」
「それでは皆さま、坊主の念仏、いや呪文、いや独り言が始まります」
「お経や。全部間違ってんねん」
「耳の穴かっぽじってよう聞けや」
「どんな司会者やねん。葬儀で荒れるな」
「ここで、エルパソ様に届いた弔辞を拝読させていただきます」
「不謹慎やな、お経の途中に」
「本城さんの、可愛い子には旅をさせよと言わんばかりの、愛のあるツッコミ最高でした」
「ことわざ気になるなあ」
「緒方さんの、能ある鷹が爪を隠したようなボケにも、いつも驚いていました」
「あかんやろ、漫才中は爪出せよ」
「お二人の漫才は、私にとって青天の霹靂、棚からぼたもちでした。解散しても、海老で鯛が釣れるように頑張ってください」
「どんだけことわざ出てくんねん。使いすぎて内容入ってこんわ」
「こちら、ことわざ大好き太郎さんから頂戴しました」
「弔辞でペンネームやめて。誰に感謝していいかわからんから」
「私はエルパソの漫才が大好きでした」
「わ〜、嬉しい。ありがとうございます」
「緒方さんの『イリオモテヤマネコの手でも借りたい』というボケ最高でした」
「言うてたなあ、なんかで」
「本城さんの『なにがやねん』というツッコミも最高でした」
「もっとあるやろ、俺のセリフ」
「それはそうと、ギャラの振り込みが二十五日から十五日に変更になりました」
「は?」
「こちら、マネージャーの仁科様より頂戴いたしました」
「直接言えや! 今さっき会ったわ」
「皆さま、今から、枯葉を焼く時間です」
「お焼香や」
「やり方がわからない方いらっしゃいますか?」
「あ〜何回する、とかね」
「前の人の真似をしてください」
「やるけど。だから最初の人は緊張すんねん、みんな真似するから」
「今日は緒方さんの好きだったローズマリー、本城さんの好きだったバニラをご用意させていただきました」
「は? ただのお香やん」
「こんな匂いのする部屋でネタ作ってたんだな〜と、想像しながらお楽しみください」
「いい匂いやな〜、言うてる場合か。ちゃんとお焼香を用意せえ」
「あと、お焼香アレルギーの方、いますか?」
「あんま聞いたことないけど。触ったら手が荒れるとか?」
「代わりに、さつまいもを用意しておりますので、そちらで」
「葬式で焼き芋は禁止! なんか不謹慎やから」
「それではここで本日のメインイベントです!」
「急になんやねん」
「さてさて、故・コンビ、エルパソ様ですが最後はどのように葬られるのでしょうか〜? 葬り方ルーレット、スタート!」
「司会のテンションおかしいやろ」
「火葬、水葬、埋葬、火葬、水葬、埋葬、火葬、水葬、埋葬」
「葬り方、ルーレットで決めんな」
「火葬、水葬、埋葬、火葬、水葬、埋葬〜」
「止めるで? ストップ!」
「鳥葬」
「一番残酷なん出た! 肉食の鳥についばまれるやつ。お前さっきからむちゃくちゃやないか。もうやめや、こんな葬式」
「最後にもう一つ、弔辞が届いています」
「まだあんの?」
「僕もエルパソが大好きで、エルパソの漫才を見ると明日からも頑張ろうと思えました」
「うわ、めちゃくちゃ嬉しい」
「しかし二人に謝らないといけないことがあります」
「なんやねん」
「電車で来てすみませんでした」
「さっきの坊主やないか。もうええわ」
めちゃくちゃウケた。最高だった。緒方の顔にも、今日はいけるぞという自信がみなぎっていた。何より笑っていた。
それから僕らは、漫才を六本と、コントを二本披露した。最後にはお客さんに今までの感謝を述べて、深々とお辞儀をして舞台をあとにした。満員だったのが本当に嬉しかった。この光景はこれからの人生で何よりの宝物になるんだと思う。
楽屋に戻っても関係者からの拍手は鳴り止まず、花束もいただいた。そして「打ち上げ、ウチでやり」と、焼き鳥屋の社員になった伊集稲が誘ってくれた。
レモンサワーがすすむ。芸人として売れることは諦めた。けれど無駄じゃなかった。こんなに大切で、仲間想いの同期がたくさんできた。そして、みんなまた別の夢に向けて走り出している。いいじゃないか、別に。諦めても。芸人をやっていたことが正解かどうかはまだわからないけど、正解だったと思えるように生きていくことはできる。顔を赤らめて笑っている緒方を見ると、そんな感情が押し寄せてきた。
僕も久しぶりにふらふらになるまで飲み、トイレに向かった。
用を足していると、只見が隣に来た。
「協力してくれてありがとうな。本当に」
「ええって。緒方、喜んでてよかったな。完全燃焼できたかな?」
「できたと思う。ほんまに只見のおかげや、相談してよかった」
「いやいや。大したことしてへんで」
「客入れBGMでお客さんに催眠かけるなんて、実現できると思わんかったわ。さすが催眠術師」
「俺も初めてだったから、うまくいくか心配だったわ」
「うまくいってたよ。ちゃんと、お客さん、緒方の全てのボケに笑ってたもん」
「ははは」
「ははは」
「ほんまにそう思う?」
「え?」
「実は客入れBGMでお客さんに催眠をかける計画は失敗したんやわ。ギリギリに入ってくるお客さんには効果が薄そうやから」
「うそ?」
「その代わり、漫才の出囃子でお前らに、強めの催眠をかけておいた。お前らが何を言っても、お客さんが笑ってるように見えるように」
「うそ? マジで? ぜんぜん気がつかんかった。やっぱすげえな。めっちゃ笑ってるように見えたもん」
「いちおうプロやから」
「で、実際は、ウケてた?」
「え、え〜と、まあ普通かな」
***
「え、ほんまのこと言わんかったんや。只見、優しすぎるって」
「言えんやろ」
「でも、やっぱり只見の予想は当たったな」
「ああ。催眠だけじゃ無理やと思ったから頼んだんやで。ありがとうな、難波」
「とんでもない。まあ、いい解散ライブになったんちゃう?」
「そやな。満員に見えてたみたいやで、お客さん」
「だいぶ多めに、コーヒーに薬入れといたからな」
「ははは。まだ見えてんのかな? 幻覚」
「どやろ。でも居酒屋入るとき、全然混んでないのに『満員やん』って言うてたで」
「めっちゃ効き目あるやん」
「もうエルパソにファンなんていなかったんやな」
「まあでも、これで二人とも次のステージに向かえるんちゃう?」
「そやな。幸せやな」
「幸せやな」
「あ、来月解散するジャンキーズは、なんか話聞いてる?」
【⻄⽊ファビアン勇貫】
1985年、徳島県⽣まれ。⽇本とドイツのハーフ。
2009年、吉本総合芸能学院(NSC)を卒業し、吉本興業所属の芸⼈となる。同期の⼩川とあわよくばを結成。
あわよくばとして新⼈賞を取ったり、名古屋でレギュラー番組を持ったり、『アメトーーク︕』に出演するなどしたが、コンビは解散する。
以後、執筆を開始し、渋⾕ショートショートコンテスト優秀賞、第9回沖縄国際映画祭クリエイターズファクトリー、映画企画コンペティション・グランプリ、⼩⿃書房⽂学賞などを受賞。
解散から2年後、あわよくばを再結成。現在は、漫才コンビ「あわよくば」としても活動している。
書籍概要
きょうも芸の夢をみる
著者:ファビアン
発売⽇:3⽉25⽇(⼟)
定価:本体1,600円+税
版型:四六判・上製 ⾴数︓304ページ
ISBN 978-4-8470-7187-4 C0095
発⾏:ヨシモトブックス
発売:株式会社ワニブックス
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