カナダで生まれ育ち、日本語を話すことも、読み書きもできないまま、19歳でオーディションを受けて吉本新喜劇に入団したという“異色すぎる”の経歴を持つ曽麻綾。6年目を迎え、いまやネイティブのように関西弁を使いこなす彼女は、今年65周年を迎えた吉本新喜劇でいったい何を体験し、どう感じてきたのか――。そんな話を深掘りするインタビュアーは、同じく新喜劇座員で芸人ライターとしても活動する吉岡友見。その様子を、同じく芸人ライターのファンファーレと熱狂・こうちゃんがお伝えします!
異国の地で見た吉本新喜劇
——もともとカナダ出身なんですね。
カナダで生まれたんですが、日本と中国と台湾の血が入っています。日本で働くことになったときに、日本では二重国籍が認められていないので、日本国籍にしました。19歳まで住んでいたバンクーバーは、ふだんの生活は英語で、通っていた学校ではフランス語、そして中国語も勉強したんで話せます。
——エリートですやん。そんなエリートの曽麻ちゃんがどうして新喜劇に興味を持ったんでしょうか?
父が関西出身なんですよ。お笑いが好きで、小さいころに家で新喜劇が流れていたのをぼんやりと見ていたんで、新喜劇という存在は知っていました。そのまま大人になったとき、インターネットで英語字幕がついた新喜劇の動画を見て、「あ! あの新喜劇や!」となって。改めて意味がわかって見てみると、「おもしろい!」と衝撃で、それからもう、この新喜劇の世界にめっちゃ入りたい〜って思ったんです。
——でも、当時はカナダの大学生で日本語も話せなかったとか。どうやって新喜劇に入団したんですか?
私も、いま考えれば不思議な感覚なんです。日本語は書けないし、読めないし、しゃべれない状態だったんですが、それでも絶対にこの吉本新喜劇に入りたいという気持ちがあって。だから「やらない後悔」より「やる後悔」という気持ちで、とりあえずダメもとで、1次審査の書類をGoogle翻訳で訳して送ってみたんです。
そうしたら、まさかの合格! ただ、そこから日本で行われる次の審査の面接まで3日しかない日程で。ふつうムリですよね。そこで、とにかく面接用の日本語を覚えることにしました。
面接って、なんとなく聞かれる質問は想定できるじゃないですか。「なんで新喜劇に入ろうと思ったのか」とか、「特技をやってみてください」とか。だから、それに必要な日本語を、これもまたGoogle翻訳に打ち込んで、日本語の“音”を丸暗記して挑んだんです。いま思えば、ちゃんと会話ができていたか、わかりませんが……(笑)。
そして65周年を迎える新喜劇の一員として
——とんでもない賢さですね……。そんな曽麻さんが入った新喜劇は今年で65周年を迎えますが、曽麻さんからどう見えていますか?
私が入ったときがちょうど60周年で、そのときも感じたんですけど、新喜劇って少なくとも関西では知らない人っていないと思うんですよ。みんなに認知されていて、なおかつ全国に広がっている劇団って、ほかにないんじゃないですかね。それって、めっちゃすごいことやなぁって感じてて。
カナダでも、たとえば毎年恒例のシェイクスピアなどの劇をするようなイベントはあるんですよ。でもそれは毎年、出演する人は同じじゃないし、観客はその劇団に注目しているというよりも、劇の演目を観に行っているんです。それに比べて新喜劇ってちょっと特殊で、われわれは自分たちの名前で演じるじゃないですか。観客は「人」を見に来てくれてるんです。
それと新喜劇は、時代設定は「昭和」の空気感が残っているけど、時代の変化にともなって小道具だったり、言葉だったり、用いているものが「現代」のことだったりする。これが長く愛される魅力なのかなぁって感じています。
——たしかに、お子さんからお年寄りまで愛されるのが新喜劇の魅力ですよね。曽麻さんは入団して6年目になりますが、いままで印象に残っていることはありますか?
やっぱり初舞台のときですね。初めて出させていただいたのは、入団してすぐに参加したワールドツアー(60周年の2019年に47都道府県と海外5カ国で開催)のオープニングなんですけど、そこでドーーンってウケて。これが私のお仕事なんだってなって、鳥肌が立ちました。
あとは、私にとっては当たり前だった「4カ国語」のネタを新喜劇の舞台で入れてみたときです。やってみたら? と先輩が言ってくださったんですが、それがすごいウケ方をして。自分ではふつうにしゃべっているだけなのに、どうしてウケたのか理解するまでに時間がかかりました。
それで考えて、考えて分解していったら、笑いの方程式みたいなのがわかってきたんですよ。その後、ワードを変えてみたり、順番を入れ替えてみたり、いろいろと試行錯誤して当てはめていったら、もっとウケるようになったのが、とても印象に残っています。
——印象に残っている先輩の言葉は?
今別府直之兄さんから言われた「続けるのも才能」という言葉ですかね。私はスケジュール大好き人間で、突発的なことが苦手なので、ガチガチに決めておくタイプなんです。なので新喜劇に入った当初から、自分のなかで5年でこれだけのことを達成する!という目標を決めていたんですけど、なかなかそのとおりにはいかない。
そんなとき今別府兄さんが、いろいろな仕事があって常に夢がある世界だけど、それでもやめてしまう人がいるから、続けるのも才能だよって言ってくださって。それで、すごい柔軟になれたんですよね。だから、このインタビューのお仕事も急に決まったんですけど、受けることができました(笑)。
さっきから語学どないなっとんねん
——このインタビューを通してやっぱり日本語が上手すぎるのですが、語学を勉強するコツってあるんですか??
その言語や国に興味を持ったり、好きになることですかね。たとえば私の場合、中国語は中国のドラマを見て覚えてました。何回も見ているうちによく使われる言葉がわかってくるんですよね。そうしたら次に会話のパターンを調べたりします。
ドラマだけだと「お元気ですか?」「はい元気です」で終わっちゃうんですけど、普通やったらどないすんねん!? ってのを自分で調べてみるんですよね。そうしたらドンドン覚えていきます。
あとは意味を知ると、覚える深さが変わりますね。父が言っていた日本語の「いただきます」も、音は知っていたし、食べる前に言うってことは知っていたから何も考えずにイタダキマースって言っていたんですけど、”いただく”という言葉からきているということを知って、なるほどなとなりました。
——新喜劇の稽古でよくメモを取ってますが、どの言語でメモしているんですか?
基本的には英語でメモしています。ただニュアンスでフランス語、中国語、日本語を混ぜて書いてますね。頭の中でいちばん当てはまるイメージのものをパパッと書く、という感じで、それがどの言語かはそのときの感覚次第。でも、緊張するとたまに日本語を忘れちゃいます(笑)。
以前、先輩がうわーーーっとまとめて話してくださって、最後に「わかったか!?」と聞かれたとき、わかっていないけど「ハイ!!!」って言ってしまいました……(笑)。
ほんで結局どないやねん
——そんな曽麻さんが芸歴5年を経て、取り組んでいきたいことを教えてください。
視野を広げて行動していこうと思っています。自分の中で設定していた「5年の目標」は、達成はしているんですよ。でも、甘えちゃいけないなって。知識はあっても困らないから、ドンドンいろいろなことを吸収していこうと思います。
いつもはいろいろな舞台でお勉強させてもらっていて、ほかの人の公演を観ながら、どんなふうに演じているのか、どんな話術があるのか、などを学ばせてもらっています。でもこの前、あえて何も考えず、見学してみたんですね。そうしたら、お客さまがどんな気持ちで公演を観にきているのかとか、そうした感覚を肌で感じることができて。
最近では漫才や落語も観るようにしていて、そこでの面白いメカニズムが自分に当てはまるかなとか、マネできるかなって考えるきっかけになりました。
もともとはガチガチに決めたことをやる人間だったんですが、そうやっていろいろと経験していくことで、強い気持ちを持ちながら柔軟に対応できるようになったかなって思います。
今回はカナダからやってきた魅惑のクワドリンガル、曽麻ちゃんのインタビューをまとめてみましたが、めっちゃかしこい子やん、しっかりしすぎてて100人乗っても大丈夫やん!ってなりました。
そんな曽麻ちゃんのいる吉本新喜劇が65周年を迎え、あの日の曽麻ちゃんのように誰かに夢や希望を与える場所になっていくと思うと、ワクワクしちゃいます!