「人生の最期に走馬灯で
このネタがよぎりますようにマジで」
#1 GAG『居酒屋』

人生の最期に走馬灯でこのネタがよぎりますようにマジで

極私的に理屈抜きで好きなコントや漫才たちを、あえて「どうして自分はこのネタが好きなのだろうか」とああだこうだ理屈をつけながら考えて、勝手に納得していく連載です。

極私的に理屈抜きで好きなコントや漫才たちを、あえて「どうして自分はこのネタが好きなのだろうか」とああだこうだ理屈をつけながら考えて、勝手に納得していく連載です。

出典: FANY マガジン

「人生の最期に走馬灯でこのネタがよぎりますようにマジで」
文:ワクサカソウヘイ(文筆業)

極私的に理屈抜きで好きなコントや漫才たちを、あえて「どうして自分はこのネタが好きなのだろうか」とああだこうだ理屈をつけながら考えて、勝手に納得していく連載です。
第一回目はGAGのコント『居酒屋』の愛しさについて、考えます。

#1
GAG『居酒屋』

出典: GAG公式チャンネル

夜、倒れるようにして布団に寝転ぶ。
ああ、もう風呂に入るのもだるい。寝間着に着替えるのも面倒くさい。
今夜はもう、このまま寝てしまおうか。そうだ、もう寝てしまう。
しかし、右手が無意識に、枕もとのスマホへと伸びる。そしてYouTubeを開き、GAGのコント『居酒屋』を視聴しながら、へらへらと笑っている自分がそこにいる。
このコントを眺めないと、一日が終わった気がしない。そんな日々が、もう一週間も続いている。
なぜだかはわからないが、GAGの『居酒屋』には、奇妙な中毒性がある。
どうして自分はこのネタが好きなのだろう。そこには理屈などない。好きだから、好きなのである。以上。しかし、それでは話が終わってしまうので、野暮は承知で強引に理由を探してみる。そして気がつく。
このコントは、異常に「密度の高い景色」が描かれていて、そこに自分は魅了され、少しばかり救われてもいるのだということに。

このコントは『落穂拾い』に似ている

以前、ある人から「漫才は音楽に似ている」という話を聞いた。なるほど、たしかに漫才ってリズムやテンポの要素が不可欠で、だから音楽的な側面を持っているという説は納得できる。
じゃあ、その説になぞらえる場合、コントはいったい何に似ているのだろう。
コントに不可欠なのは、おおよその場合、「構図」である。
まず、状況設定という「構図」が示され、そこに小道具やキャラクターといった「背景」や「人物像」が描かれ、やがて額縁の中にひとつの風景が出現する。
そうやって考えていくと、「コントは絵画に似ている」と言える気がする。
絵画にも、色んなジャンルがある。風景画、宗教画、水墨画、風刺画、その他諸々。
だとすれば、GAGのコント『居酒屋』は、いったいどのような絵画に似ているのだろうか。
えらく大袈裟なことを言うが、それはミレーの名画である『落穂拾い』に似ていると思う。

出典: 『落穂拾い』ジャン=フランソワ・ミレー

三人の農婦が、畑でなにかを拾い集めている。
彼女たちはみな貧しく、脱穀後の落穂から、わずかに残った麦を求めて腰をかがめているのだ。
それは全体的に物悲しいトーンをたたえているが、しかし過酷な現実を前にそれでも生きようとする人間の力強さのようなものも描かれている。悲劇の中にある、わずかな希望。なんとも味わい深い景色だ。
そしてそれは、実に「密度の高い景色」でもある。
三人の農婦が、どのような関係を結んでいるのか、この絵画からは伺い知れない。どのような表情をしているのか、どのような性格をしているのか、それも読み取ることはできない。
そこにあるのは、曇り空の下、ただ明日も生きるために落穂を黙々と拾う三人の姿だけだ。
きっと家に帰れば生活を憂い、愚痴をこぼすばかりであろう三人の農婦たちも、この瞬間だけは、世界の片隅で風景に殉じている。いまはこの景色に従うことで、今日とは違う生活景色の中にいる自分たちを明日に描いている。
ミレーはその瞬間を切り取った。
そこに描かれている三人の人物が、風景としての自分を受け入れている。
ゆえに『落穂拾い』の景色は、密度が高いものとして現れている。
そしてそれは、百年以上にわたって鑑賞者の目をとらえて離さないほどの景色としても成立している。

さあ、なんだか小難しい話になってしまった。
ではようやく、GAGのコント『居酒屋』について触れていきたい。
そこに描かれているのは『落穂拾い』に負けずとも劣らない、密度の高い景色だ。

喜劇の風景に従うメガネ

まず、自らを「ダサ坊」「イモ」と認めるほどの、それはそれはイケてない男子高校生ふたり組が登場する。福井演じる高校生はアライグマのようなメガネ、坂本演じる高校生は「お母さんが切りました」といった感じ丸出しのスポーツ刈りだ。
スポーツ刈りは自分のアルバイト先に、友人であるメガネを連れてきたようだ。
そこは開店前の居酒屋。まさか自分と同類の「ダサ坊」だと思っていたスポーツ刈りがこんな大人っぽいところでアルバイトをしていたとは、とメガネは驚きを隠せない。
すると、スポーツ刈りのバイト先の先輩である、宮戸演じる女性・アンナさんが現れる。ローライズのズボンから下着を覗かせるその年上のアンナさんに、メガネは動揺する。
アンナさんは実に気さくな性格で、男子高校生ふたりにビールを勧める。断ろうとするメガネを尻目に、スポーツ刈りは一気にそれを飲み干す。そしてそのままの勢いで、スポーツ刈りはアンナさんに告白する。
「僕の初めての女になってください!」
思わぬ展開にメガネはさらに動揺し、「フルスイングしすぎ!」と叫ぶ。しかし、スポーツ刈りの勢いは止まらない。アンナさんの足元に取りすがり、土下座をし、「一生のお願いです! 僕の女になってください!」と直球過ぎる告白を繰り返す。
するとアンナさんは、「もう、わかった。いいよ」と告白をまさかの了承。「ダサ坊の押しが勝ったぞ!」と傍観者のメガネはまたしても叫ぶ。
スポーツ刈りは喜びで浮かれる。「初めて酒飲んだよ~、身体が熱い~」などとのたまう。しかし、アンナさんはそこでこんな事実を告げる。
「それ、ノンアルコールビールだよ。高校生にお酒を飲ませるわけないじゃ~ん」
だが、スポーツ刈りはまだまだ浮かれ続ける。念願の恋人ができたのだ。親友であるはずのメガネに向かって、スポーツ刈りはこんなことを言う。
「これで僕たちのバランス、崩れちゃったね。僕たちって、お互いのダサさが同じくらいだから、しょうがなく一緒にいたわけじゃん?」
最低の発言。しかしメガネは怒りを露わにするわけでもなく、実にフラットなトーンでこう返す。
「なんじゃこいつ」
ここまでの流れの中で最高なのは、このメガネの存在である。
彼は、スポーツ刈りとアンナさんが織りなす景色に、ただただ巻き込まれただけの男だ。本当だったら、もっとスポーツ刈りの浮足立つ姿に強く怒ったり、アンナさんがあっさり告白を受け入れる様に疑問を呈したり、なんなら帰るそぶりを見せたりしてもいいはずである。だが、メガネは自分が置かれている景色に無理に抗おうとはしない。ただただ、的確なコメントを小刻みに放ち続ける。
すでに、景色の密度は高まりはじめている。いよいよ、スポーツ刈りとアンナさんのドラマは加速していく。
「アンナさんって、いままで何人と付き合ったことがあるんですか?」
そんなことを問うたスポーツ刈りに、アンナさんは「その人数を当てたら、ふたりにキスしてあげる」というゲームを提案してくる。
この言葉に、メガネはこう叫ぶ。
「最低で最高のゲームやで!」
的確だ。メガネはどこまでも、的確である。景色の中で起きていることを、あるがままに受け入れている。
そして、キスというご褒美を手に入れるため、メガネもスポーツ刈りも躍起になる。必死で、アンナさんがいままでに付き合った人数を当てようとする。何も変化のない日常の中で、それでもわずかに落ちているかもしれない麦を拾おうとする、懸命な人間の姿がそこにはある。
しかし、そこでスポーツ刈りは変なノリを発露させてしまう。
「(アンナさんが付き合った人数は)一万人~!!」
メガネは落胆する。
「こういう時にボケるのサブいわ……」と下を向いてこぼす。

そして『落穂拾い』は完成する

ここまでは、いわゆる喜劇である。
しかしこのコントは、ここから急速に悲劇的な展開を迎える。アンナさんとスポーツ刈りが、キャッキャッと声を上げながら会話を続けている。
「ちょっと、あたしのこと、どう見えてるのよ~」
「だって、モテそうなんですもん~」
「なにお世辞言ってんのよ~!」
「じゃあ、正解教えてください!」
「……大体、百人くらいだよ」
シン、と場が静まる。
アンナさんは続ける。
「あたしさ、お酒の席で告白されたら、絶対に付き合うって決めてるの。だって、断ったら、その場がしらけちゃって、せっかくのお酒がまずくなるでしょう?」
そういって、サーバーから自分のジョッキにビールを注ぐアンナさん。
「だから、お酒を飲み終わるまでは、付き合うってルールでやってんの」
その言葉に、スポーツ刈りは震える声で尋ねる。
「え、じゃあ、この関係も……?」
「……この一杯が飲み終わるまで、あたしはサカちゃん(スポーツ刈りのことだ)の彼女ってことだよ」
そしてアンナさんは、ごくごくと、ビールを飲み干していく。
メガネのナレーションが場を包む。
「オレたちは、自分の無力さを感じながら、ただなくなっていくお酒を見つめるしかなかった……」
悲劇は頂点に達した。
アンナさんは、自分の定めたルールに従い、いまはビールを飲み干すしかない。
そしてスポーツ刈りもメガネも、それを見つめる以外になすすべはない。
世界の片隅で、三人が、三人とも、そこにある風景に従順でいるしかないのだ。
瞬間、コントの中で描かれていた人物たちは全員、景色の一部と化す。
すぐさま額縁内の密度は最高潮に高まり、そして一枚の名画がそこに誕生する。
「なんじゃこいつら」
メガネでなくても、そのシーンを鑑賞すれば誰しもがそんなコメントを胸に浮かばせることだろう。
それは悲しくもバカバカしい、そして切なくもしょうもない、愛しい名画である。

「なんか熱くなって変なこと言ってしまった」

アンナさんがビールを飲み干したあと、なんとも物悲しいトーンが開店前の居酒屋に流れる。
しかし、最後にメガネはこんな捨て台詞をアンナさんに残す。
「まあ、あの、いつかオレの親友が、アンナさんを酔わせるような男になって、戻ってくると思いますんで、……なんか熱くなって変なこと言うてもうた」
きっとメガネとスポーツ刈りの前には、これからもイケてない過酷な現実が続く。農婦は農婦で貧しい時代を切実に生きていただろうが、ダサ坊だってそれなりに切実な青春時代を生きているのだ。しかしメガネは、最後の最後に、未来に向かって力強く生きようとする態度をほんの少しだけ覗かせるのである。
これが、八分間で描かれたGAG版の『落穂拾い』だ。
疲れて帰宅した日に、このコントを布団の中で視聴する。
明日はきっと、今日とは違う景色が描けているはずだ。そんなことを思いながら、うとうとと眠りにつく。
それはなかなかに救いのある、一日の終わりである。

メガネと同様、なんか熱くなって、変な理屈を口走り続けてしまいましたが、とにかく理屈抜きに、このGAGの『居酒屋』が走馬灯によぎれば、それだけで私は満足なのですマジで。

GAG公式チャンネル


執筆者プロフィール
文筆業。東京生まれ。
主な著書に『今日もひとり、ディズニーランドで』、『ふざける力』、『夜の墓場で反省会』、『ヤバイ鳥』などがある。
YouTubeでネタ動画ばかりを視聴して毎日を過ごしています。

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