清塚信也が認めた“才能” 西村ヒロチョが芸人になったワケ『スッキリ』セッションで話題!

朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)で披露した、ピアニストの清塚信也とのセッションが大きな話題を呼んでいるピン芸人・西村ヒロチョ。日常の何気ない出来事をすべてロマンティックに変えてしまう“ロマンティックネタ”で知られるヒロチョは、じつは清塚から「音楽的センスが抜群!」と絶賛されるほどの才能の持ち主です。今回は、そんな彼を徹底解剖! 40種類以上の楽器が演奏できるというズバ抜けた才能はどこで培われたのか、そして、そんな彼がなぜお笑い芸人になったのか――その“秘密”を語ってもらいました。

出典: FANY マガジン

ヒロチョが出演したのは、5月27日(木)に放送された『スッキリ』の人気コーナー―「SHOWCASE」。清塚から「大好きのトリとして紹介されたヒロチョは、まずは持ちネタの「ロマンティックグーチョキパー」を披露。そのまま終わるのかと思いきや、おもむろに清塚がピアノの生演奏で「グーチョキパー」のメロディを奏で始め……。

画面が切り替わると、まさかのヒロチョがサックスを熱演! もはやお笑い芸人とは思えないその姿は、まさにアーティスト同士の“魂のセッション”です。しかも、その演奏が「(事前に)流れだけ決めて、あとは本番で自由に」というアドリブ全開だったことに、スタジオも驚愕。クオリティの高いパフォーマンスに、Twitterでトレンド入りするなどSNSでも評判になりました。

清塚さんとのセッションは気持ちよかった

――『スッキリ』でのセッション、すごかったですね!

清塚さんとは、だいぶ前に1回だけ(テレビ番組で)共演させていただいたことがあって。そのあとTwitterで清塚さんからDM(ダイレクトメッセージ)をもらい、LINEを交換させていただきました。会ってお仕事させていただくのは2回目でしたが、清塚さんがあまりにも褒めてくださるので、めちゃくちゃうれしいものの、どう反応していいかわからなくて(笑)。

ただ、清塚さんとのセッションは、本当に、純粋に気持ちよかったです。だって、世界的ピアニストですよ! 僕はピン芸人なので、自分で音源を作っておいてそれに合わせてネタをすることがほとんどです。誰かと生演奏でセッションすることはほぼないので、すごく気持ちよかったです。

出典: FANY マガジン

――反響はどうでしたか?

親もそうですし、いろんな人から「見たよ!」「トレンドに入ってるね!」と連絡が来ました。椿鬼奴さんからもLINEをいただいたり、本当にここ最近のメディア出演のなかで、いちばん反響がありました。

音楽を専攻したのに芸人になった理由

――ヒロチョさんは芸人になる前から音楽をやっていたんですよね?

初めてサックスを買ったのが、忘れもしない中学3年の4月1日でした。中学は吹奏楽部がなかったので、独学で始めて。とにかく楽器がやってみたかったんです。小学校の音楽室にあったギターを触ってやってみたりしてたけど、ベタに「F」(初心者にとって弾くのが難しいコード)が押さえられなくて離脱しました。あと、音楽準備室にトランペットがあったので、こっそり家に持って帰ってやってみようかなとか。

――なぜそんなに楽器にあこがれていたんですか?

単純にかっこいいからです。たぶん根底には、モテたいっていうのがあったんでしょうね(笑)。かっこいいな、やってみたいな、と。そんなことを思っていた中学3年のとき、たまたま駅前の楽器屋さんでサックスがショーウィンドウに飾られていて、「これだ!」と衝動買いみたいな感じで買ったんです。

高校では、吹奏楽部には入れたんですけど、“ぬるま湯”の吹奏楽部だったのと、女子が強くてすごくハブかれまして……。ぜんぜん楽しい青春ではなく、暗黒の悩み深き3年間でした。だけど、その悔しさもあって、楽器では絶対に誰にも負けないってくらい練習しましたね。

出典: 本人提供

――ヒロチョさんの“青春”が花開いたのはそのあとですか?

そうですね。大学が日本大学芸術学部の音楽学科でして。高校3年まで、ふつうの大学に行こうと思っていたんですが、高校の音楽の先生が「(日大芸術学部なら)小さいころから音楽をやっていなくても、勉強すればカバーできる部分もあるし、受けてみたら?」とアドバイスしてくれて。高3になって進路を決めたので、浪人も覚悟してそこしか受験しなかったんですけど、ラッキーなことに受かりました。

でも入ってみたら、吹奏楽部の全国常連とか、親がピアノの先生とか、まわりがすごくできる人ばかりで、レベルが高くて大変でした。毎日、怒られないためにレッスンしているようなものでしたから。ただ、仲間には恵まれて、ビッグバンドを組んだり、大学はめちゃくちゃ楽しかったです。大学がいちばん青春していましたね。

――そこまで音楽を専門的に学んだのに、なぜ芸人になろうと?

僕も、なんでなんだろうって思います(笑)。もともとは大学院に行こうとしてたんです。大学でやってたビッグバンドがめちゃくちゃ楽しかったんですよね。エンターテインメントっていうか、万人が楽しめるような舞台やショーを作ることに興味があって、大学院でステージ演出の勉強をしたいなと思いまして。

でも、面接で教授に「君がやりたいことは、うちにはないんじゃないかな」と言われて、「あ、ハマってないな」と(笑)。結局ダメで、どうしたもんかなと思っていたとき、ちょうどお笑いブームで『エンタの神様』(日本テレビ系)などネタ番組がたくさんやっていて。それで、この世界に飛び込んでみようかなと思って、勢いでNSC(吉本総合芸能学院)に応募しました。

出典: FANY マガジン

――お笑いというより「エンターテインメント」や「ショー」に興味があったんですね。

そうだと思います。もともとマイケル・ジャクソンがめちゃくちゃ好きで。NSCの履歴書にも、尊敬する人に「マイケル・ジャクソン」と書いたし、将来の夢にも「エンターテイナーになりたい」と書きました。当時、NSCの面接をした社員さんは変な顔してましたけどね(笑)。

やっとお笑いと音楽がつながった

――なぜピン芸人に?

NSCでコンビを組んでいたんですけど、卒業してすぐに相方がどっか行っちゃったんです(笑)。で、必要に迫られてピン芸人になりました。

解散してしまってピンになったとき、いろいろ試したんです。バカリズムさんみたいな方向性を探した、おこがましい時期もありつつ(笑)。当然、そんなことはできず、結果が出なくてライブで最下位とかも取っていた時期に、作家さんに「音楽できるんだったら、それを活かしたら?」と言われて。

でも、ひとりだから、楽器を吹く形にすると口がふさがっちゃうので、自分でインターネットの無料作曲ソフトで音源を作って、それを流しながらネタをするっていうのが始まりでしたね。

出典: FANY マガジン

当時は、2700(八十島、ツネ)さんがKOC(キングオブコント)で話題になっていた時期でもあって、「2700さんぽい感じもするね」と言われつつ、「でも、自分で音源を作っている芸人さんはいないから」と褒めていただいて。そこでやっと、お笑いと自分の特技である音楽がつながった感じがしました。

当時、解散してピンになって同期からだいぶ遅れてしまっていたので、とにかく新ネタを作りまくっていました。1年間ずっとネタを作り続けて。そのうちに、ミュージカルソングとか、キャラになりつつ音楽に合わせてネタをっていうスタイルが徐々に見えてきた、ということです。

――そうしてロマンティックネタが誕生したわけですね。

そうです。当時出ていた東京・∞ホールは若い女性のお客さんが多かったので、恋愛に絡めたネタのほうが反応がいいなと思って、恋愛に絡めたショートコントみたいな形の「ロマンティック大相撲」のネタができました。学生時代からモテなかったので、「こんなふうに気の利いたことを言ったらモテるだろう」みたいな妄想をネタに込めて。

ただ、最初のお客さんの反応は、ウケたというより、客席がザワザワしていました(笑)。でも、ネガティブなザワザワではなかったので、シリーズにしてロマンティックネタを少しずつ増やしていきました。

出典: FANY マガジン

自分の単独イベントがいちばんスベる…

――サックスのほかにもギターやフルートなど、とにかくさまざまな楽器を持っていて、それを演奏できるって、そんな芸人はそうはいません。

いま持っている楽器は40弱ですね。そこが強みになっていけばいいなと自分でも思っています。おっしゃる通り、芸人では前例がない。だから、どういうアプローチをしていくのがいいんだろうって考えているところで。

大学時代に楽器の講師になりたいと思っていたことがあったし、芸人になってからも、ヤマハさんの『TOUCH & TRY』という初心者に楽器を楽しんでもらうイベントで、楽器を教える仕事があってすごく楽しかった。そういうことが今後、増えていくといいなと思っています。

一方でお笑いも、新ネタでしっかり面白いものを作っていかなきゃなと。『マンロマ!』という僕の単独イベントがあるんですが、それがいちばんスベる(笑)。ロマンティックのネタとか、お客さんは「はいはい、ロマンティックですね」的な感じの反応なので。毎回来てくれるお客さんも大笑いしてくれるようなネタを作っていかないといけないなと思っています。

――お笑いはもちろん、音楽を教えることに関しても、ヒロチョさんぐらい楽しい先生に教えてもらったら音楽を好きになれそうですね!

芸人になって改めて、“伝えること”の大事さを身に染みて感じています。同じ能力があっても、しゃべりが立つと伝えやすいし、伝わりやすい。それは間違いなく強みになる。そういう意味で、芸人をやってきていることは強みになると思っています。

出典:本人提供

『スッキリ』出演はターニングポイント

――こうして話を聞いていると、ヒロチョさんってすごくストイックで真面目ですよね。

最近、それをイジってもらえるようになってきました。コンビなら、相方が面白エピソードとかでイジったりしますけど、ピン芸人なので、これまでイジられる経験があまりなくて。慣れてないからイジられたとき、口がパクパクしちゃっていました(笑)。

それで、いろんな人に「どうすればいいですか」と相談したんですが、おしみんまるさんが「そのとき思ったことを、そのまま言葉にすればいいんだよ」と言ってくれて。それで、なんか自分のなかでつながった感じがしました。

そういえば以前、テレビ番組のなかで(ウッチャンナンチャンの)内村光良さんに、「狩野英孝と同じ匂いがする」と言われたことがあって。当時は「いやいや、なに言ってるんですか!」と返したんですが、最近、もしかしてそうなのかもと。

というのも、ついこの間、狩野さんと初めてお会いしたんですが、狩野さんにも番組内で「10年前の僕を見ているようです」と言われたんです。自分ではずっと“イジられる”ではなく、“イジる”タイプの人間だと思っていたんですけど、どうやら違うみたいです(笑)。

出典: FANY マガジン

――今後は、どんなふうになっていきたいですか?

今回の『スッキリ』出演は、ターニングポイントになったと思うんです。音楽や楽器に特化したことをやっていかなきゃと思いつつ、お笑いも絶対にしっかりやっていかなきゃなと思っています。

ちなみに、自分のYouTubeチャンネルでは、ネタはもちろん、作った曲もアップしていて。けっこうガチな曲も作っているので、YouTubeが名刺代わりになっていけばいいなと思っています。狩野英孝さんの『50TA』(オリジナルアルバム)みたいな形で、あやからせてもらいたいです(笑)。

――芸人さんとの絡みもそうですが、清塚さんのようなプロのミュージシャンとのセッションも楽しみにしています!

そこはぜひ、どんどんやらせていただきたいです! 芸人さん同士がYouTubeでコラボするのは最近よく目にしますが、僕の場合は、コラボというよりまさに“セッション”。アーティストやプレイヤーと積極的にやらせていただきたいですね。僕だけができること、僕に求められていること――それこそが、音楽を活かしたセッションだと思っているので。

出典: FANY マガジン

『R-1グランプリ』のエントリー条件が芸歴10年以内に変わって、僕は今年3月の「復活ステージ」が最後でした。それで、これからは好きなことをやっていこうと路線を切り替えました。どんどん好きなことを発信していきたい。好きなことに没頭できるように、そういう形の芸人になっていければと思っています。

ということで、関係者のみなさん、ぜひお仕事ください! ちなみにダーツにめちゃくちゃハマっているので、それ関連もお仕事あればぜひ(笑)。

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