桂文珍の55周年記念独演会は満員御礼!! 「できるだけ長い間、落語を聞いてもらって笑ってもらいたい」

芸歴55周年を迎えた落語家・桂文珍の記念独演会が11月24日(日)、国内屈指のコンサート会場である大阪・フェスティバルホールで開催されました。「ザ・ヒットパレード」という副題を冠した落語会には、ゲストとして立川志の輔らが出演。文珍は、55年で培った話芸の粋を満員のお客さんに披露しました。

出典: FANY マガジン
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人気のネタで客席を魅了

オープニングは、文珍の55年の歩みを振り返るヒストリー映像でスタート。宇宙から地球を俯瞰して始まった映像は、日本、大阪と徐々にクローズアップし、最初に見えた類人猿が文珍に進化し、電脳空間から挨拶して幕を開けました。

開口一番は弟子の桂楽珍です。1982年に文珍に入門した一番弟子の楽珍は、鹿児島県徳之島出身。入門してしばらくは大阪弁を話すのが難しかったと振り返り、徳之島の方言を披露します。

そして「手水(ちょうず)と言っても今はもう通じませんが、昔は地方でも通じませんでした」と、「手水回し」を口演。手や顔を洗うために桶に水をはった“手水”を初めて目にした田舎の宿屋の主人たちが戸惑う様子を、徳之島の方言のイントネーションも生かしてコミカルに魅せました。

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次の高座の準備をする「お茶子」を務めたのは、文珍の末弟子である桂文五郎です。

高座が整うと、文珍がゆったりとした足取りで登場。「なんだかんだ55年、この仕事をしています」と話した文珍は、フェスティバルホールの場所にかつてあったSABホールで「ヤングおー!おー!」(MBSテレビ)の収録をしていたことを振り返ります。そして「いつかフェスティバルホールで落語会ができたら面白いと思っていました。今日、ついに実現しました」と感慨深い表情を浮かべました。

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最初のネタは「デジタル難民」です。スマートフォンの使い方を携帯電話の販売員に教えてもらいますが、高齢者がゆえに聞き間違いが多発。「ごみ箱をタップ」と言われると、踊りのタップと勘違いし、「ごみ箱の上でタップなんてフレッド・アステアやジム・ケリーでも難しい」とジェネレーションギャップを逆手にとって沸かせます。途中、『雨に唄えば』の一節を歌いあげ、拍手に包まれるひと幕もありました。

続いて登場した女道楽の内海英華も、文珍の55周年に華を添えます。歌で全国を回る「品川甚句」や福岡・博多の柳町で歌われる「博多子守唄」、京都のお座敷で歌われる都々逸など、三味線を奏でながら日本の伝統芸能で彩りました。

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文珍の二席目は、約45年前に自作し、「これでご飯が食べられるようになった」という代表作、「老婆の休日」です。リクエストを募ると、「デジタル難民」とともに必ず上位にランクインする人気の噺で、文珍曰く「舟木一夫さんの『高校3年生』みたいなもの」という鉄板ネタです。

病院の待合室を舞台に、高齢女性たちのおしゃべりで展開し、嫁姑問題を彷彿とさせる意地悪な会話も他人事であれば大笑い。文珍が繰り出す元気な女性たちのおしゃべりに、終始、笑いが絶えませんでした。

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ゲストに立川志の輔が登場

ゲストの立川志の輔は、「東京の落語界のお祝いの気持ちを代表して来させていただきました」と挨拶。この日のネタについて、文珍から「気楽なものを」というリクエストがあったそうです。「(文珍の)ヒット作二席を聞いたあとに何をやればよいのだろう」と悩んだ志の輔は、江戸落語のヒット作である「八五郎出世」をたっぷり聞かせます。

口は悪いが家族思いで優しい大工の八五郎の心情を、情感たっぷりに描く志の輔。まるで手綱を操っているかのように会場の空気を緩めたり引っ張ったりして、江戸の世界をありありと立ち上げました。

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そしていよいよ文珍のトリネタへ。披露したのは、桂米朝に教わったという古典落語「地獄八景亡者戯」です。死後の世界を面白おかしく描写するネタで、三途の川へ向かう道中では「べらべらしゃべりながら歩いているのは(桂)雀々さん」「うーうー言っているのは(桂)ざこばさん」と、今年急逝した2人の噺家を偲びました。

ほかにも惜しくも鬼籍に入った著名人の名前を挙げ、「いろんな人が亡くなりましたなぁ……」とつぶやきます。そのうち、現世をしのぐほど賑わっているあの世の場面に移り、ダジャレや時事ネタをふんだんに取り入れて笑いを連発。さまざまなギャグやくすぐりをぎゅっと詰め込んで、客席を魅了しました。

出典: FANY マガジン
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エンディングで文珍は、「いつの間にか55年が経ちました。できるだけ長い間、落語を聞いてもらって、笑ってもらって、楽しい時間を共有できれば」と挨拶。そして、五代目古今亭志ん生作とされる「噺下手 笑い上戸に 助けられ」という一句を詠み、大きく手を振って高座を降りました。