浪曲師・二代目京山幸枝若が「人間国宝」認定! 「死ぬまでに人間国宝をいただいて後継者に残したいと思っていた」

吉本興業所属の浪曲師・二代目京山幸枝若が、2024年度の重要無形文化財保持者、いわゆる「人間国宝」に認定され、12月2日(月)に京都市内で行われた認定書交付式に出席しました。人間国宝は浪曲師として初、かつ吉本興業の所属としても初の認定となります。交付式を終えた幸枝若が記者会見を開き、喜びや浪曲への思いを改めて語りました。

出典: FANY マガジン
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20年ぶりにNGK本公演で浪曲披露

声、節(ふし)、啖呵(たんか)の三拍子がそろい、力強く伸びやかに響かせる高音、緩急自在の節と啖呵によって作品世界を情感豊かに語る芸として高い評価を受けた浪曲語り。幸枝若は、自身の高座活動とともに後進の指導・育成に尽力し、公益社団法人浪曲親友協会の会長として浪曲語りの継承、関西浪曲界の発展に貢献してきました。今回の「人間国宝」認定は、浪曲語りを正しく体得し、かつ、これに精通しているとともに、技法を高度に体現していることが認められたものです。

交付式では喜びを隠しきれず、「写真撮影ではみんな真面目な表情をしているのに、私だけ笑っていたと言われました」という幸枝若。改めて、浪曲師として初の「人間国宝」となった重みを語ります。

「曲師の名人方がたくさんおられたのに、各大衆芸能で浪曲だけが、いままで誰一人、重要無形文化財の保持者がいないことが不思議でした。死ぬまでに人間国宝をいただいて、後継者に残したいと思っていました。それが古希、70歳という若さでいただいたということは、まだまだ浪曲の後継者を育てる期間があると思います。いまの元気さからみたら、あと10年は頑張ってやれるのではと思っているので、そういった点でも浪曲語りが重要無形文化財に認定されて本当にありがたく思います」

出典: FANY マガジン
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来年2月28日(金)には、人間国宝認定の記念公演が大阪・なんばグランド花月で開催されます。また、12月12日(木)には同じくなんばグランド花月の本公演に出演。なんばグランド花月での浪曲披露は2004年5月8日の「二代目京山幸枝若襲名記念興行」以来、約20年ぶりです。

「幸枝若襲名以降は、音楽ショーに出てはいましたが、浪曲では久しぶりです。なんば花月のころはよく出ていましたが、なんばグランド花月になってからは20年ぶりです。ぜひ来てほしいと思います」と意気込みを語りました。

浪曲は“和製ミュージカル”、若い人も十分楽しめる

この日の会見場には弟子の幸太と幸乃の姿も。後進育成に力を入れる幸枝若は、若い世代に向けて浪曲の魅力をこう語ります。

「浪曲は自分で演じて自分で歌うという和製ミュージカルで、歌の部分は浪曲では節と言いますが、節を語って、一人で物語を演じる。その面白さ。自分でできたらこんなに面白い芸はないと思います。(伴奏の)三味線に合わせたり、ギターでやったり、ギターと三味線でやったり、二挺の三味線でやったりと、いろんなパターンでできるので、若い子がやるには十分、楽しいと思います」

出典: FANY マガジン
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なかでもポイントは「節のリズム」だとのこと。

「節の良さは、これからはリズムだと思います。リズムのある節をどんどんやっていけば、若い人たちもひょっとしたらついてきてくれるのではないかなという感じがします。むかしの浪曲はゆっくりしたテンポで唸るという感じでした。これからはロックやジャズなどいろいろなリズムに合わせて浪曲をやったら面白い、若者にウケるのではないかなと思います」

そして、今後に向けてこんなプランを明かしました。

「いま浪曲界は若い子が少ないので、若い子を増やすために浪曲塾を作りたいなと。その前に、『浪曲にチャレンジ』という若い子を対象にした賞レースを開催したいと考えているのですが、それで優勝して、浪曲をやりたいという方には浪曲塾に入塾してもらって、どんどん新しい浪曲をやってもらいたいですね」

出典: FANY マガジン
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「幸枝若という名前で人間国宝をもろたぞ」

また、父である初代幸枝若にどんな報告を? と問われた幸枝若は「幸枝若という名前で人間国宝をもろたぞ、と」と力を込めながら、こう続けました。

「幸枝若という名前は先代の名前で、私は長い間、京山福太郎でしたので、幸枝若を襲名して20年経ってもピンと来てないのですが、幸枝若が重要無形文化財保持者として人間国宝に認定されたよと報告したいですね」

1971年に17歳で初代幸枝若に入門。若手時代は「反発していた」と明かします。

「30歳まで(父と)似ていると言われるのがいやで、いろんな節を変えていました。でも、初代からの幸枝節をやっている限りはどれだけ節を変えようがよう似ていると言われてしまいます。それはもうしゃあないと。開き直って、よし、俺以上に似ている奴がおるか! と思いながらやっていました」

出典: FANY マガジン
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入門から53年。浪曲師としての日々をこう振り返ります。

「いろいろなことがあったので言い尽くせませんが、成人になってから漫才ブームが来たときは、舞台に上がっても、漫才が終わるとお客さんが半分以上いなくなって、前も三列目までは誰もいなかったりと、苦しいこともありました。ただ、いろんなところでやるという度胸がつきました」

そして「吉本興業でいちばん勉強になったのは、時代の流れもわかるようになったことです。そういうことを勉強させてもらいました」と改めて吉本への思いも明かしました。