「上着ミスった〜。まだ寒かったんすね〜 」
これは、ロングコートダディの堂前が、ロングコートを着ずに薄めのアウターを着ていたため放った一言。
2月も終わりに差し掛かる頃。確かにこの時期は、冬が春めいた表情を一瞬見せることもあるため、上着のチョイスを失敗する者が現れる。
この日も新宿ルミネtheよしもとでは、祝日ということもあり3ステージとも満席の盛況ぶりだった。
1ステージ目を終えたバイク少年ことBKBは、後輩のロングコートダディ堂前とすゑひろがりず三島、そして同期にあたるアキナ山名を誘い、4人で出番の合間、昼食に出かけていた。
目的地はまだ決まっておらず、皆でひとまず新宿駅の東南口近くの外階段をゆっくりと下る。
「まだ寒いよそりゃ。2月は毎年騙されるからな」
「昨日まで寒いと聞いてましたけどね。今日までやったんすね」
「うん、そうね。俺はそれ聞いてなかったけど」
「てか、なに食べるよ?」
「うどんがいいすね」
「うどん屋なんかこのへんある?」
「うどんイヤってこと?」
「そんなこと言ってない」
「兎は一人でラーメン行ってましたね」
「誘えばよかったかな」
「いや、いいでしょ」
「てかなに食べるよ、うどん?」
「うどん屋近くあるか?」
「うどんイヤってこと?」
「なんでそうなんねん」
「てか花粉やばないすか?」
芸人が四人も集まると、道中もそれはそれはキレのあるウィットにとんだ会話が繰り広げられる───わけでもなく、なんとも締まりのないやり取りが続いた(誰がなにを話してたかは想像にお任せ)。
結局、たまたま見つけた、誰も行ったことのない中華屋を見つけ飛び込んだ。お昼の12時前だったが半数ほど席は埋まっていることと、程よく年季が入った色あせたメニュー表が、穴場感を醸し出していた。
席につき、皆が注文を済ませ一段落ついた時、三島がポツリとつぶやいた。
「守谷さん……一緒に来たがってましたね」
『守谷さん』というのは、昨年、大河ドラマの出演も果たした演技派ピン芸人、守谷日和のこと。BKB、山名とも同期で、芸歴20年を超えた彼らは長い付き合いだ。
確かに、今日の守谷日和は楽屋でずっと様子がおかしかった。
それは───さみしい事件だった。
*
平日のルミネtheよしもと本公演は、基本的に8組前後の芸人が立て続けに、漫才・コント・漫談などのネタを披露して終演する。だが、それに加え、土日や祝日に限り『スペシャルコメディ』という豪華な大人数でのユニットコントが上演されていた(毎週というわけではないが)。
その兼ね合いもあり、普段は誰がどの楽屋に入っても基本問題はないのだが、スペシャルコメディがある日に限っては『ネタ出番組』、『コメディ出番組』と楽屋が明確に分けられていた。
当該日はネタ出番組に、BKB、すゑひろがりず、ロングコートダディ、アキナ、そして5GAPにNONSTYLE、テンダラーとバラエティにとんだメンバーだった。
そして、前述した守谷日和───。
彼はこの日、ピンでのネタ出番ではなく、スペシャルコメディでのユニット出演だった。しかも『今田班』という、今田耕司が座長を務め、月亭邦正もメンバーに加わっている盤石なユニット。
テレビなども忙しい中、今田耕司は毎月一日、このスペシャルコメディで生の舞台に出続けている。
大人数で、なおかつ30分強のユニットコント尺のため、稽古で一緒に過ごす時間も長い。
そのため、出演メンバー同士で『家族』のような絆もできる、と聞いている。
その今田班に前々からレギュラー座員として呼ばれている守谷日和は、おしなべて光栄なはずだったが彼はこの日、様子がおかしかった。
守谷日和は、自身の楽屋にとどまらず、ずっとネタ出番組の楽屋を行ったり来たりしていたのだ。
「守谷?ずっとなにしてんの?ウロウロと?」
BKBが声をかけると守谷は、少し儚げな表情を浮かべながら答えた。
「めっちゃこっち楽屋、楽しそうやん……。大阪を思いだっすなぁぁぁぁぁ」

守谷が言った通り、この日は普段大阪で活動しているアキナの二人がいたため、その思いが強くなったのは頷ける。彼らは本当に旧知の仲であり、戦友だった。
守谷とアキナ山名は、若手の頃に数年、ルームシェアをしていたほどの関係性。そしてアキナ秋山は守谷にとって、婚姻届の証人もお願いするほど一番お世話になってきた先輩だった。
金はないが時間だけはあった大阪若手時代。守谷、アキナ、そこにBKBも加わり、よく朝まで飲んだりゲームをしたり。二度とは帰ってこない、大人になってからの青春を共有してきて間柄。
さらに大阪時代から仲の良い、すゑひろがりずやロングコートダディまでいる。
守谷にとっては、今田班も大切だが、この大阪メンバーがルミネで揃うことの希少さが堪らなかったようだ(確率的には確かにめったにないことではある)。
楽屋にやって来ては「もしかして、え?合間みんなでご飯とかいく感じ??俺もいける?」と気持ちいいくらい構ってアピールをする守谷。それに対して「ムリやろ」「いや、時間合わないすよ」「今田さんとなんかあるでしょ」と皆が一蹴する。
これは別に、守谷に冷たくしているわけではなく、ネタ出番組とコメディ出番組は出演時間がまったく違うので、昼食に共に向かうことは物理的にもあり得ないからだ。
守谷をふりきって、各々が昼食に向かおうとルミネのエレベーター前までやってきた。

なぜかそこまでついてくる後方の守谷日和。
───これを受けて、中華料理屋での三島の「守谷さん……一緒に来たがってましたね」に話は戻る。
「まあ……しゃあないよな」
「うん。てか今田さんが毎回全員にご馳走してくれてるって聞いてるけどな」
「それ食べてから、僕らとも食べにいきたい、って言ってましたよ」
「大食いなんかい」
「いや、みんなが飯食ってるとこ横で見ときたい、って言ってましたよ」
「どゆこと?」
ひとしきり守谷の話題も出つつ、楽しく会話をしながら、中華を堪能したBKB達。途中、BKBが今さらハマったポケモンカードの話、以外はおおむね盛り上がった。
腹をさすりながら、肌寒い新宿の裏道を通り、楽屋へと戻ってきた四人。
ちょうどコメディ出番を終えた守谷日和が、またBKB達側の楽屋へと来ていた。
最初は皆が守谷に「いや、なんやねんな守谷」「向こう行ったほうがいいでしょ」「寂しがりなんかい」などと絡んでいた。
しかし、流石に異常な守谷の熱と、周りと間で、徐々に温度差ができていた。
「山名〜なにしてんの?なに食べた?また後でいける?」

別の作業を始めている山名に守谷がアタック。
「ちょ、今、ネタ書いてるから」
「そかそか……じゃあ、えーと、あ、秋山さ〜ん、なにしてんすか?」

「どうしたん、守谷。なに?」
「いや用事はないんですがね。へへへ!」
一部始終を見ていたBKBは、ふと、ある種の不安がよぎる。
もしかして───守谷は今田班のコメディの人達と馴染めていないのでないか?
コメディの楽屋に居場所がないのでないか?
確かに大阪メンバーが隣の楽屋にいるのが嬉しいのはわかるが、これは度を超えている。
コメディ出演メンバーは守谷からすれば東京で知り合った人達ばかり。
まして今田さんや邦正さんといった大先輩のいる、気を使うであろう楽屋だ。
これは同期の、不器用なSOSかもしれない。
BKBは悩んだ。どうすればいい。BKBにとっても今田達とはそこまで絡みがあるわけでない。簡単に間を取り持つことはできない。
悩んでいると守谷が一言。
「しゃあないな。コメディの楽屋戻るわ」
「守谷……え、大丈夫なんか」
「バイク?え、なにが?」
「あ、いや……」
「変なの。ほなまた後でそっち行くわな」
引き止めることなどできないBKBは、守谷の小さな背中を見送るしかなかった。
しかし気になる。数分、迷ったのちBKBは、コメディの楽屋の様子をこっそりと覗いた。守谷がどういう状態にいるか確認したかった。頼む。杞憂に終わっていてくれ。
「え?」
覗いた瞬間、BKBは驚愕する。
「守谷なんやねんそれ、ははははは!」
「今田さんがそう言ってたんすよ、先に!ははは!」
いや───仲ええんかい。
蓋をあけると、守谷は馴染んでいた。とにかく馴染んでいた。
つまり守谷は、ただただ自由にうろうろしているだけの人だった。
「え、バイク?そこでなにしてんの?」
こちらの不安などお構い無しの守谷が、BKBに気がつき話しかけてきた。
「いや……その……あ、お疲れ様です。え。守谷全然こっちも馴染んでる?……んですね?」
BKBが不安げに今田に訊ねた。
「こっちもとは?ん?どしたん?」
気さくに返事をしてくれる今田。
「いや『守谷がコメディ楽屋に馴染めていない事件』なのかなと思い……あ、すみません、せっかくなので、これ小説にするんで、今田さんと邦正さん、守谷のスリーショット撮らせてもらってもよろしいですか……?」
「なんかわからんけど全然いいよ!なんもないのに自然に笑うのめちゃくちゃ得意よ!」

「最高の写真です!ありがとうございます!」
BKBも思いがけない撮れ高に、ほくほく顔を浮かべていた。
「いやあ、ルミネで今田さんと邦正さん、お二人の写真撮れるのほんと貴重です!それでは失礼しま……」
BKBがそう言って、コメディ楽屋から退出しようとしたその時。
「いや、俺は撮らんのかーい!!!」

楽屋にこだまするコメディメンバー、大山英雄、魂の叫び。
完全にすぐ隣にいたのに、今田達を写真におさめることで視野が狭くなっていたBKBは、あろうことか“Mr.ルミネ”こと大山英雄の存在に気がつかなかった。
それが今回、一番の事件だった。
そして───、一家団らんの『家族』のような笑いが、楽屋を包んだ。
【完】