今月も始まりました『ガクテンソク奥田のGossip Times』でございます。私事ですが、先日、四十歳になりました。四十路も『ゴシップ道』に邁進していく所存です。
さて、連日ニュースで報じられている『ウクライナ情勢』ですが、皆さまも非常に気になっているところだと思います。今回のコラムでは、ゴシップ的な目線から、この問題を見ていきたいと思います。
そもそも、なぜロシアはこの無謀な戦争に踏み切ったのでしょうか? 様々な憶測がありますが、ゴシップ的には『プーチン大統領の過去』が、深く関係しているのではないかと睨んでいます。
まず、ロシアという国は、ご存知のとおりとても広大な国土を持っています。なので、歴史上何度も他国に侵略されてきました。1812年『ナポレオンの侵攻』があり、1918年『対ソ干渉戦争』、1941年『第二次大戦・独ソ戦』がありました。特に、最後の独ソ戦では、ソ連だけで約2700万人の方が亡くなっています。
このように、ロシアには『侵略のトラウマ』があって、自国を守らないといけないという意識が強いわけです。
そして、プーチン大統領ですが、1952年に生まれました。お父さんが「機械技師」、お母さんは「工場労働者」で、貧しい幼年期を過ごされたようです。
生まれた街は、ソ連時代の第二の都市『レニングラード(現サンクトペテルブルグ)』です。実は先述した『独ソ戦』において、『レニングラード包囲戦』が行われた街でもあります。
これが、非常に凄惨な戦いで、ドイツ軍は、レニングラードを約900日も包囲したんです。結果、補給線が断たれ、食料や医療物資が届かなくなってしまい、大量の餓死者・病死者が出てしまいます。戦争前、240万人いた人口が、戦争が終わると100万人に減っていました。戦闘で亡くなった方もいますが、100万人以上が餓死・病死だったそうです。
プーチンさんのお兄さんも、このとき「腸チフス」になり、治療を受けられず死んでしまいます。プーチンさんのお母さんは餓死寸前にまで追い込まれたそうです。幼少期からその話を聞かされていたプーチンさんは、「国を守らないといけない」という意識と、「国境のすぐ隣に敵がいることの怖さ」を学ぶことになります。
大人になったプーチンさんは「国を守るため」KGB(ソ連国家保安委員会)のスパイになり、東ドイツに配属されます。しかし、その地でとんでもない経験をします。1989年『ベルリンの壁の崩壊』です。
それを目の当たりにしたプーチンさんは、「国なんて簡単に無くなってしまう」ということを知ります。
1990年、レニングラードに帰ったプーチンさんは、生活が苦しく、一時はタクシードライバーなどで生計を立てていたそうです。
都市の名前が、『レニングラード』から『サンクトペテルブルグ』になった頃、大学時代の恩師が、サンクトペテルブルグ市長になります。そしてその恩師から、その「市長の仕事の手伝いをしてほしい」とお願いされます。それが政治家になる切っ掛けでした。
しかし、1991年にソ連が崩壊します。次は母国が無くなってしまいました。
この頃になるとプーチンさんは「悪いのは全部西側諸国だ」と思っていても不思議ではありません。
これらの経験が、プーチンさんの精神形成に関わっているのではないでしょうか?
プーチンさんは、「ロシアの国境の向こう側は、自分の言うことを聞く国でないと、安全保障上不安」と思っていて、敵国との間にクッション的な『緩衝地帯』が欲しいんです。
ソ連の時代には「東ヨーロッパ」という緩衝地帯がありました。しかし、ベルリンの壁が崩壊し、東ヨーロッパがすべて西側についてしまいます。
その後、ソ連も崩壊し、ロシアとヨーロッパとの間にたくさんの国が生まれました。その中に『ウクライナ』もあって、緩衝地帯になっていたわけです。
しかし、そのウクライナが、今やヨーロッパの方につこうとしている。なのでウクライナに侵攻したとすれば、合点はいきますよね?
アジアを見てみても、北朝鮮はめんどくさいが、アメリカの基地がある韓国が隣接するくらいなら、北朝鮮を緩衝地帯としておきたい。日本もアメリカの同盟国だから、完全に隣り合わないように『北方領土』という緩衝地帯を置いておきたい。
このあたりが、実はプーチンさんの狙いなのかもしれません。
ただ、どんな理由があっても、正しい戦争というものは無いので、早く平和的に解決することを強く望みます。