結成35年、多くの芸人たちに影響を与えた”芸人’s芸人“リットン調査団(藤原光博、水野透)。このたび水野が還暦を迎えたことを祝して、彼らを尊敬してやまないバッファロー吾郎(バッファロー吾郎A、竹若元博)、ケンドーコバヤシ、ハリウッドザコシショウ、なだぎ武、村越周司、チャンス大城という仲間が一堂に会する『リットン軍団リターンズ』が、10月4日(月)に東京・ルミネtheよしもとで開催されます。じつに18年ぶりという奇跡の再結集を前に、主役の2人にその重すぎる“歴史”を語ってもらいました!
今回の「リットン軍団」再結集にあたっては、関係者たちの並々ならぬ情熱がありました。まずは、企画実現のために奔走した劇場スタッフの証言からお聞きください。
「企画を最初にもってきてくれたのは、構成作家のたぐちプラスさんです。『なだぎさんのYouTube撮影でザコシさんに来ていただいたとき、”オレらの原点はリットン調査団だ”と話していた。水野さんの還暦を機にぜひ軍団に集まってもらえないかと、まずケンコバさんに相談をしたところ快く引き受けてくれたので、これはやるしかないと思った』とのことです。
やりましょう!と決まったのは5月でしたが、8人のスケジュールが合うのが5カ月先という多忙さで、正直、調整は大変でした! それでも声をかけた全員が『ぜひやりたい』『また集まれるなんて嬉しい』と言っておられて、おふたりの人望、そして”リットン軍団”が当時、本当に楽しかったことがうかがえました――」
どうでしょう、この熱さ。彼らの“血の結束”の原点を、さっそく2人に語ってもらいます。
主要メンバーが18年ぶりに集結
――水野さんが昨年9月に還暦を迎えられたとのことで、おめでとうございます!
水野 ありがとうございます!
――リットン調査団も結成から約30……。
藤原 もう僕らも結成何年かわからんくなりました。
水野 35~36年でいいんちゃいますか。ダウンタウンさんが(NSC大阪の)1期、僕らが4期ですから、3年引いてくれれば(笑)。
――今回の記念ライブ『リットン軍団リターンズ』は、スタッフさんの熱望で開催が決まったそうですね。
水野 はい、作家さんから声かけていただきまして、僕としては青天の霹靂でした。調べてみたら、このメンバーが集まるのは18年ぶりなんですって。僕ら「お笑い世界一決定戦」というイベントをやっていたんですが、18年前に「このメンバーでもう続けていかなくてもええやろ、それぞれがやりたい道を選んでいけばいい」と終わらせたんです。まあそこから、「もう1回、集まってもいいかな」と思えるくらいの時間が経ちましたね。
――藤原さんは、今回の話を聞いてどう思いましたか?
藤原 皆さん、それぞれ自分のやりたいことをやり続けて、それぞれの分野で立場を確立しているなかで、自分はいったい何をやっているんだろうと……。彼らに刺激を受けて、思い出話をするだけではなく、自分の刺激にもなればいいなと思います。
伝説のイベント「お笑い世界一決定戦」
――この豪華メンバーが出ていた「お笑い世界一決定戦」とは、どんなイベントだったんですか?
水野 たとえば僕らと、バッファロー吾郎がネタ4本ずつで勝負するんです。ちゃんとリングアナウンサーがいて、オープニングから「リットン調査団の入場です!」と客席から登場する。お約束のようにマイクを持って、「この野郎、ぶっ潰してやるぞ!」みたいなことを言い合って1本目のネタをやるんです。そのあと、ちょっとしたストーリーが始まるんですよ。リットン側は「今日のバッファローのネタ、どうや」って言い合って、バッファロー側はバッファロー側で悪巧みをしてる場面をやる。そうして2本目、3本目とやっていく間に誰かが乱入してきたりもして……。
――つまり、徹底してプロレスをなぞるかたちで、コント対決を見せていたわけですね。
藤原 みんなプロレス好きやったから。
水野 いわゆるサイドストーリーをしっかり見せるという。
藤原 イベント終わりに「打ち上げ行きましょう」と言われて、「一緒に出たらあかん!」と言ったこともあるくらいです。
水野 楽屋も別々にしてましたね。狭い劇場だから、結局、会っちゃうんですけどね。
藤原 1組ずつ時間差で出て、出待ちのファンの人にわざとらしく、「ちくしょう、今日は負けたけど、東京ではやってやるぞ!」とか言ってみたり。その話をあるプロレスラーの人にしたら、「俺らよりちゃんとやってる。それくらいせなあかんな。勉強になりました!」って言われたことあります。
水野 でも、その演技もすっごいわざとらしいんですよ。「ちくしょう、卑怯な手使いやがって!」って、出待ちの子に聞こえるような大声で言ったりして(笑)。
――バッファロー吾郎さん、ケンドーコバヤシさん、ハリウッドザコシショウさんらがプロレスを模したライブをすることがありますが、それはまさにおふたりの流れを汲んでいたのだということが、いまわかりました(笑)。
水野 まあ、お笑いの劇場でプロレス風のイベントをやったのは、僕らが日本で最初じゃないですか。ちゃんと、いろんなスジを作ってね。ただ、このやり方をすると、ネタでスベることができないんですよ。ストーリーが成立しなくなるから。だから本当に必死でネタをやってました。
――「お笑い世界一決定戦」はいつごろからやっていたんですか?
水野 1発目は1993年ごろやったと思います。
藤原 みんなまだ大阪にいて。東京でイベントするときには、おカネもないからホテルに1部屋3人で泊まって。
水野 あった、あった。でも、面白かったですよ。東京では、中川家の礼二とかにも出てもらってユニットコントしてね。セコンドの顔ぶれはいつも変わるんですけど、ケンコバはバッファローのセコンドで、なだぎが僕らのセコンドをやってくれてました。だから今回、集まってくれるのはその当時の主要メンバーですね。
プロレス愛でつながった仲間たち
――本当にプロレス好きな皆さんが集まっていたんですね。
藤原 コバヤシが、よく言うてましたね。「みんなプロレス好きやけど、お酒が入るとリットンさんの2人は最終的に国際プロレスの話をしはじめて誰もついていかれへん」って。
水野 僕も一度、ケンドーコバヤシを叱ったことありました。「お前、それでプロレス語れると思うなよ。力道山時代のことを勉強しろ」って。僕ら、お笑いについて説教とかしたことはないですけど、プロレスのことはいつも真剣で(笑)。
藤原 ジャイアント馬場さんが亡くなったときも、コバヤシがいちばん最初に僕に電話くれて。当時、まだ携帯じゃなくて家の留守電やったと思うんですけど、一言だけ、「心中お察しいたします」とメッセージが入ってました。
水野 シンプルないい言葉ですね。
――プロレス愛でつながっているメンバーなんですね。
藤原 そうそう、ザコシはようヘンな小道具作ってきてたしなあ。
水野 ハハハ!
藤原 当時、ヘンな凶器を使ってデスマッチをやるインディー団体があったんですよ。それをマネして有刺鉄線バットとか、なんかの牙とか、よう自分で作って持ってきてた。
水野 あと、イベントに参加はしてないですけど、野性爆弾のくっきー! にイベントで使う犬小屋を作ってもらったことがあるんですよ。新日本プロレスのパロディなんですけどね。で、当日作ってくれた犬小屋見たら、なぜか煙突がついてて、そのかたちがチ○コやったんです。やられました(笑)。
藤原 ずっと「誰も知らんからウケへんやろ」と思うようなプロレスのパロディばっかりしてましたけど、けっこうウケるんですよね。なんでやろなあと思うけど、やっぱりいい大人が本当に無邪気に楽しそうにやってんのを見て、お客さんも楽しくなってくれてんのかなあと思います。
ライブに今田登場ドッキリの顛末
――昨年末の『リットン調査団の推し芸人〜ネタショー〜』で、サプライズで今田耕司さんが出演したとか。
水野 あれは完全に藤原さんのドッキリで。僕は本当に後輩のネタを見るというイベントやと思ってたら、ラストで藤原さんが焦りはじめてね。
藤原 まずひとつは、相方の還暦のお祝いをしたいのがあって。それを面白いことに繋げられないかと思ったときに、「そうや、同期の今田くんに出てもらおう」と。今田くんは二つ返事で「やろう、やろう」言うてくれました。でも「還暦のイベントやろう」と言うても、水野さんは「恥ずかしいしええわ」と断ると思ったんです。だったらドッキリにしてしまえと。
――じゃあ水野さんはまったく知らないまま。
藤原 ドッキリを成立させるために、後輩のネタを見るというイベントを考えたんです。3カ月くらい前から準備して、スケジュール調整して。
水野 それこそ、むかしアントニオ猪木がやってた1人演出のプロレスですよ。猪木だけがオチを知ってる。
藤原 僕と作家だけでこっそり打ち合わせして、水野さんを入れた八百長の打ち合わせも段取りして。台本も2つ作って。
――念入りですね(笑)。そのライブで、今回も出演するチャンス大城さんが号泣したとか。
藤原 なんであいつが泣いたんや。まあ、むかしお客さんとして僕らのこと、よう見てたらしいんですよ。
水野 遠いむかしの心斎橋筋2丁目劇場(1999年に閉館)時代の先輩が並んでいるので、胸いっぱいになったらしいです。
藤原 お笑い好きの中学生に戻ってたんやな。
水野 僕もさすがに、涙出かかりましたよ。でも「泣いたらあかん!」思うて。今田くんがあえてドライに接してくれたから助かった。
藤原 今田くんも後で面白かったって言うてくれてね。
水野 そのイベント、本編が思いのほか盛り上がったんですよ。2回目も、すぐやりましたけどね。
――ドッキリのために作ったはずのネタパートが。
藤原 2回目のオープニングで言いましたからね、「今回は誰も来ません。東野(幸治)くんが来ると思うたら大間違いです」って。
リットン調査団=アートシアター系映画!?
――自分たちで作るコントは、芸歴を重ねて変化するものですか?
水野 やっぱり年齢は関係しますよね。何年か前、デビュー時のネタをやるいう企画をやったんですけど、それが動きまくるネタで。50代でそのネタやって、2分でゼーゼー言うてましたもん。
藤原 以前、落語をやったとき、すぐに喋りださずに「えー……」と言っただけでお客さんが笑ったんですよ。これは年齢のなせる技かもしれへんなと思いました。いままでのいろんな経験が自分のなかに蓄積されて、それで醸し出す空気みたいなんでお客さんが笑ったのかな、と。
――そう思うと、できなくなるネタもある一方で、いまの2人だからできるネタもありそうですね。
水野 そうですね。あとネタの内容も。少し前、太平洋戦争を使ったネタやったりしたんですけど、そんなん若手は無理でしょ(笑)。
藤原 戦争は経験してないけどね。
――水野さんが還暦を迎えて、コンビ歴も35年になりますが、改めて感慨もあるんじゃないでしょうか。
水野 あんまり振り返る気持ちもなくて。別に通過点でいいんじゃないですか。
藤原 僕、やりたいことがまだまだいっぱいあるんですよ。身体はちょっとしんどくなってきたけど。音楽もやりたいし。
水野 コンビでも何回かやったやん。バンドもやったし。
藤原 下ネタを表現するために、これまでエロ落語もエロ新喜劇もやったけど、エロソング作ってないなって。ラップをやろうと動き出したんですけど、コロナで延期中です。あとは役者の仕事も楽しいですし。
水野 僕はこないだ木村(バッファロー吾郎A)とトークライブやりましたけど、あんなんもいいですね。そこに来てくれた、ずんのやすくんも交えて3人でトークもやってみたいし。
――リットン調査団としての展望はどうですか?
藤原 テレビでネタ見るのが好きな人もいれば、小さいキャパの劇場でリットン調査団を見るのが好きでいてくれるお客さんもいる。そんなお客さんに満足してもらえるように頑張りたいです。
水野 僕ら、かっこよく言えばアートシアター系にかかる映画です(笑)。おしゃれな映画じゃなくて、ちょっとヘンな映画ですけど。
――熱狂的なファンがいる。
水野 そういう人たちがずっと好きでい続けてくれるような存在でいたいです。まあ、次は古稀を目指してがんばります(笑)。
今回も新たなドッキリが?
――今回の『リットン軍団リターンズ』は、どんなものになりそうですか?
藤原 まだ、全然どうなるかわからないんですよ。
水野 そう、イベントの中身はまだ何も知らないんですけど、まあ何が起こるかわからないところが見どころじゃないですか。ただ、藤原さんが今田さんを呼んだドッキリあるから、俺にあいつらがなんか仕掛けてくるんじゃないかって、ちょっとだけ思っちゃってるんですよ。
藤原 誰が来るやろ、たけしさんかな。
水野 誰か呼ぶとかじゃなくて、プレゼント用意してるとかね。
藤原 赤いスケベイスとかか。
水野 そんなん、誰も笑わへん。
藤原 逆に誰も来えへんのちゃうか!
水野 ひょっとしたら誰も来ないかもしれません。でも、もしそうだとしても、きっと竹若だけは真面目やから来てくれると思うわ。
イベント概要
『リットン調査団水野 還暦記念 リットン軍団リターンズ』
日時:10月4日(月) 開場18:00 開演 18:30 終演 20:00
会場:ルミネtheよしもと
出演:リットン調査団(水野透、藤原光博)、バッファロー吾郎、なだぎ武、ケンドーコバヤシ、ハリウッドザコシショウ、村越周司、チャンス大城
チケット:前売3,000円 当日3,500円 配信2,000円
※オンライン見逃し視聴は10月6日(水)18:30まで(チケットの販売は同日12:00まで)
10月1日(金)チケット追加販売!