先日放送された『やりすぎ都市伝説』はご覧いただきましたでしょうか?
このコラムの読者の皆様ならば、間違いなく見てくださっていると信じて、今回は『やりすぎ』で話した内容を、さらに掘り下げてお伝えしようと思ってるんですけど、あの、マジで見てくれましたよね?(汗)
今回の『やりすぎ』で、僕は、
「首都、変わるんじゃね?」
と、なかなか頭がおかしいことをほざかせていただきました。
文献に残っている、日本の感染症の一番古い記録は、6世紀半ばの『飛鳥時代』です。『日本書紀』に、
「全身に膿疱を発症し、激しい苦痛と高熱で死に至る病が流行した」
という記述があり、これが『天然痘』だと考えられています。どうやら、大陸から日本にやってきた『渡来人』によって持ち込まれたようです。
天然痘は、致死率が非常に高く、しかも、何度も何度も流行を繰り返すという恐ろしい感染症です。もちろんこの頃は、
『感染症の原因=ウイルス・細菌』
ということがわかっていない状態なので、原因がわからないまま、同じ症状でたくさんの人が死んでいくのを見た人々は、
「神の祟りだー!!!!」
と騒いでいました。
ちなみに、感染症の原因が、ウイルスや細菌によるものだとわかるのは、飛鳥時代から1300年後の19世紀後半です。なので、19世紀後半まで、感染症が起こる度に、人々は上記のような状態だったと思ってください。
なので、当時の日本で感染症が起こると、今の日本とは比べ物にならないくらいに、社会が混乱していました。そして、その度に社会が変化していきました。
『やりすぎ』でもお伝えしたように、大化の改新が起こったり、武士が生まれたり、武士が滅んだりしたわけです。
その様々な変化の中でも、当時の日本が頻繁に行なっていたことが2つあります。
一つが『改元』です。
「嫌なことがあって縁起悪いから、元号変えようぜ!」
ということです。そして、もう一つが『遷都』です。
「神の祟りがあった土地は縁起悪いから、都変えようぜ!」
という感じです。ノリはここまで軽くはありません。
こういった流れから、僕の、
「首都、変わるんじゃね?」
に繋がるわけです。
ただ、理由は昔と全然違います。けっこう前から、
『もう、東京一極集中ってどうなん?』
という議論がされていたので、
「感染症が流行ると首都が変わるって、昔からのノリもあるし、今回のコロナを機に、話進めちゃおっか!」
ということになりそうなんです。
そもそも日本は、『首都』というものを憲法で定めていません。なので、日本における『首都』とは『システム』です。
世界各国にある『首都』と、同じような仕事ができる『システム』を、東京に置いているってイメージ。
ってことは、極論どこにあってもいいんです。
『やりすぎ』では、
「次の首都は岡山!」
ということを言いましたが、もう一つ、僕が考えているのが、
「どこにあってもいいなら、色んな所に散らしてもいいよね!?」
という『首都機能分散型』です。
東京から本社機能を地方に移した大企業が、けっこうニュースになっていましたよね? そんなイメージです。
農林水産省なんて、東京にある意味ないし、防衛省は、きっと九州にあったほうがいい。
実際、文化庁は2022年に京都市に移転します。あと、消費者庁は徳島市に移転します。実は、首都の分散は、すでに始まっているのかもしれません。
信じるか、信じない……あ、コラムでは言わなくていいんだった。
また次回もお楽しみに!