5月18日に行われました『THE SECOND〜漫才トーナメント〜2024』にて、ガクテンソクが優勝しましたー! やったー! 応援してくださった皆さまありがとうございました!
はい。漫才師のガクテンソク奥田くんの挨拶はここまで。ここからはゴシッパーのガクテンソク奥田がお届けします。祝福のメッセージなどは、彼のSNSやnoteにコメントしてあげてください。来年のチャンピオンが決まるまでは喜び続けると言っていましたので。
ということではじまりました、ガクテンソク奥田のGossip Timesでございます。
せっかく『THE SECOND』というワードが出たので、まずは『THE SECOND』関するゴシップを一つご紹介します。
『THE SECOND開催のきっかけを作ったのは、おいでやす小田さんらしい』
2021年〜2022年頃に、芸人の楽屋界隈で囁かれていたゴシップなんですが、実際に『THE SECOND』という大会が行われ、しかも今後も続きそうなので、ここでこのゴシップの真相をお答えしましょう。答えは、
本当
だそうです。
2020年、ピン芸人のこがけんさんと『おいでやすこが』というユニットで、ユニット史上初のM-1決勝進出を果たしました。グランプリ2位という好成績を収めた小田さんなんですが、その大会の準決勝直前、『R-1ぐらんぷり』の芸歴制限が発表され、急にR-1の出場資格を失ってしまいます。そんな中での2位という好成績でした。
ちなみに、その準決勝の同じ舞台に出ていた漫才師のガクテンソク奥田くんは、決勝でも披露していた、
「先日僕たち、寝て起きたら漫才しか残ってませんでした」
という小田さんのツカミと、その時の会場のウケを聞いて
「いやぁ、笑い声で壁が崩れるかと思いましたよ」
と漏らしていたそうです。
M-1、R-1の芸歴制限を超えてても、おもしろい芸人はいる!
それを自分自身で証明した小田さんが、会社の上層部に伝えて、結果的に『THE SECOND』に繋がったというのは、とても美しい話ですよね。ガクテンソクは小田さんに賞金の1割をお渡しするべきだと思います。
ということで今回は、
お笑い界に伝わるゴシップ〜カッコ良い話編〜
をお送りしたいと思います。昭和の芸人さんたちは本当に『粋』という言葉がよく似合います。個人的に痺れた話をお伝えしたいと思います。
『立川談志師匠の粋な計らい』
たけし軍団で有名なダンカンさんは、元は立川談志師匠のお弟子さんで、立川談かん(たてかわ だんかん)という芸名で落語家をされていました。
行儀の悪いお弟子さんだったようですが、談志師匠には可愛がられていたそうです。しかし、どうしても古典落語をおもしろいと思えなかったダンカンさんは、ある日から、漫才師のツービート、さらに言えばビートたけしさんに憧れます。
そしてついに、「たけしさんの弟子になりたい」と談志師匠に言いました。
落語家から漫才師の弟子に鞍替えする
落語界の大看板である談志師匠にそれを伝えるわけですから、ダンカンさんは殺される覚悟で挑んだことでしょう。
それを聞いた談志師匠は、棚に並んでいるブランデーの瓶を1本手に取りました。その様子を見たダンカンさんは、
「あー、その瓶で俺の頭をカチ割るんだろうなぁ。」
と思い、覚悟を決めたそうです。さらに、その様子をのぞいてた他のお弟子さんたちは、そうなる前に師匠を止めようと部屋に飛び込もうとしていたそうです。
しかし談志師匠は、その瓶のラベルにマジックで
『たけしへ こいつ頼む 談志』
と書き、
「これ持ってたけしのところに行け。俺の言うことだったら邪険にはしないはずだから。ちゃんとやれよ、恥ずかしい思いさせるなよ」
とおっしゃったそうです。
いや、マジで粋すぎません? 自分で書いてて鳥肌が止まらないんですけど。カッコ良すぎ。
その瓶を受け取ったたけしさんは、
「談志師匠に頼まれたら断るわけにはいかねえよ」
と言って、弟子入りを認めました。芸名が『ダンカン』のままのは、談志師匠が付けた芸名に敬意を表されてのことかもしれません。
『上方の喜劇王と月亭八方師匠』
東の大師匠のお話を書いたので、次は西の大師匠である藤山寛美先生のお話を書きたいと思います。
松竹新喜劇の藤山寛美先生は、上方の喜劇王と呼ばれた喜劇役者です。俳優の家に生まれた寛美先生は、「俳優」「芸人」としての姿勢を私生活でも徹底し、とても金使いが荒かったそう。
「遊ばん芸人は華が無うなる」
という母親の言葉を守り、夜の街では金に糸目をつけず豪遊したそうです。クラブではわざと酒をこぼして『クリーニング代や』といって何十万円もはずんだり、ホステスにマンションを借りてあげたり、バーのボーイに「チップとして」車のキーを渡し、自動車1台を与えたこともあったとか。そのため、多額の負債を抱え自己破産。事務所にも解雇されます。借金は10億円にも登っていたそうです。
少し話は変わりまして、大阪に月亭八方という落語家の師匠がいらっしゃいます。
八方師匠は、大のギャンブル好きで、長男の出産の際にも、麻雀をしていたほど。36歳のときには、ギャンブルが原因で8000万もの借金がありました。
『もう消えるしかないか』
と、途方に暮れながら街を歩いていると、ある人に声をかけられます。寛美先生でした。
「あんさん、今にも死にそうな顔してますなぁ」
と言われ、そのまま喫茶店に入り、ことの経緯を寛美先生に伝えました。すると、
「そうでっか。芸人にとって借金は勲章や」
と言った後、
「これ、好きなように使いなさい」
といって革のカバンを渡しました。開けると現金1000万円が入っていたそうです。
寛美先生にも多額の借金があることは、八方師匠ももちろん知っていたのですが、
「わての借金は10億でっせ? 1000万なんかあってもなくても一緒や」
とおっしゃったそうです。
八方師匠も、さすがにこれは断わったそうです。寛美先生から芸人としての生き方を教わったのです。
最終的には、その借金は吉本興業に肩代わりをしてもらい、借金返済のために働き続け3年で完済。その働き続けた3年で人気者になっていきました。
八方師匠は、人生の中で寛美先生との出会いこそが最高の誇りだとおっしゃっています。
なんか、痺れますよ。あれ? 伝わってます?
決して褒められたエピソードではないのかもしれませんし、今の時代にそぐはないかもしれませんが、なんか、芸人だなって思うんです。
というわけで今回は、お笑い界に伝わるゴシップ〜カッコ良い話編〜をお届けしました。令和のお笑い界でも、きっと未来で語られてるゴシップがあったりするんでしょうね。まさに、ゴシップに歴史ありです。