新しい総理が決まりましたね。さぁ始まりました。ガクテンソク奥田のGossip Timesでございます。
石破茂総理大臣が誕生したということで、早ければ10月中にも選挙が行われるといわれています。意味合いとしては、
「自民党の関係者だけで総理を決めたわけですけど、国民の皆さんは支持してくれますか?」
を問う選挙になります。そして、そこで大きなテーマとなりそうなのが
『憲法改正』
これは非常に大きなトピックになると思われるので、今回は憲法について書いてみようと思います。もちろんゴシップ的な目線を入れてね。
そもそも『憲法』とは、国民の権利と自由を守るために、国がやってはいけないこと、国がやるべきことについて、国民が定めた、その国でもっとも力の強い決まりです。『最高法規』なんて言ったりもします。
『国民が定めた』
ってところが超重要で、僕たち国民が守るべきルールとして『法律』があります。法律を作るのは国家権力、つまり『国』です。国がとんでもない法律を作ってしまうかもしれない。そうなると国民が大変な思いをすることになる。そうならないように、その時に国民が、憲法で国の力を制限するんです。
憲法というのは国民が国を縛るもの
これが大原則。これを『立憲主義』と言います。国民が国に対して
「これを守りなさい!」
と押し付けたものが憲法だと言えます。
『憲法』は国が守らなければならないルール
『法律』は国民が守らなければならないルール
ということです。憲法は法律の「親分」のようなものなので、世界各国で定められています。ただ、国によってけっこう違います。
たとえば、イギリスは憲法を文章にしてなくて、過去の慣習や裁判例などを「憲法」として今に受け継いでいます。サウジアラビアはイスラム教の経典「コーラン」が憲法です。コーランは神様が人間達に与えた言葉だから、神様がおっしゃったとおりに行動すべきだという考えだからです。なので、コーランに基づいて法律が作られています。
中国や北朝鮮には文章化された憲法はあるのですが、憲法の上に「中国共産党」や「朝鮮労働党」があり、憲法の解釈は党の考え方次第でどうとでもなります。日本は立憲主義なので、
国民→憲法
↑ ↓
法律← 国
みたいなサークルの感じですが、中国や北朝鮮だと
党
↓
憲法
↓
法律
↓
国民
のような感じなります。これを『専制主義』といいます。
「、、、授業か!」
という読者の声が聞こえた気がするので、もっとポップに、ゴシップにいきます。日本国憲法には『納税の義務』と定められていますが、世界には納税の義務がない国があります。たとえば『ブルネイ王国』では、エネルギー資源が豊富で国がお金持ちなので、所得税や消費税はなく、医療費や教育費もタダです。最高ですよね。
モンゴルの憲法には『家畜は国の富であり、国の保護の下に置かれる』とあります。遊牧民の国ならではですよね。家畜は国が保護しているので、餌場である牧草地などは国のもので、個人では持つことができません。
中国の憲法には『夫婦双方は、計画出産を実行する義務を有する』と定められています。国民の家族計画にまで踏み込んでいるんです。そりゃ14億人にもなりますよね。
さて、ちょっとポップになったところで、最後に少し踏み込んだことを書いて終わりたいと思います。
憲法論議になると必ず「日本国憲法」のことを「平和憲法」と呼ぶ方がいますが、僕はその言い方はあまり好きではありません。なぜなら、「平和憲法」と呼んでしまうと、憲法を否定したり改正したりしようとする人は
「平和に反対してる悪い奴=戦争をしたがっている危ない奴」
ということになって、そのせいで憲法論議が平和か戦争のどっちを選ぶのかという簡単な二択の言い争いになって、「護憲」「改憲」といった極端な考えを持った人同士のプロバガンダ合戦になるからです。憲法は憲法です。平和を願っているのは当たり前です。
本当に論議されるべきは、
「日本国民の生命と自由を守るために、今の憲法で十分足りているのか? 将来的にそれで本当に問題がないのか?」
という点です。ここをまずしっかり話し合っていただいて、その上で将来的な問題が出てきた場合、
「変えるとするならどの部分を変えるのか」
という議論になっていくべきだと思うのです。
たとえば、憲法第25条に「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあります。ここに書かれている
「健康的で文化的な最低限度の生活」
という部分をやさしく解釈して「国民年金法」や「生活保護法」が出来たわけです。しかし、この25条を極端に解釈してヤバイ法律を作ることだって出来るわけです。なぜなら「最低限度」の基準があやふやだから。最低限度をめちゃくちゃ低く設定すれば、「奴隷制度」くらいのヤバイ法律は簡単に作れるわけです。そうなった場合、この
最低限度
を、しっかり定めないと国民が困りますから、憲法を変える必要が出てくることもあるでしょう。
もし憲法を変えるとするなら、どの部分をどの様に変えるのか?は国にキッチリ説明していただきます。そして、納得できなければ国民投票で「NO」を出し続ければいいし、ちゃんと納得できたなら「YES」を出せばいいと思います。最後に決めるのは、我々国民なんです。
ちなみに、アメリカにも憲法問題はあって、日本では憲法9条「戦争の放棄」を巡ってよく揉めてますが、アメリカでは合衆国憲法修正第2条「人民の武器の保有、携帯の権利」で揉めています。政府が銃を規制しようとすると「俺達から銃を奪うな! 憲法を守れ」ということになるんです。憲法にはお国柄がよく表れてますね。
※あくまでも本連載は個人の見解です。