「神の子」と呼ばれたアルゼンチンのサッカー選手、ディエゴ・マラドーナのモノマネネタでおなじみのお笑いコンビ、ストロベビー(ディエゴ、生いっちょう)。2006年のコンビ結成から、まもなく20周年というタイミングですが、6月30日(月)で生いっちょうが吉本興業を退社することとなりました。今後もコンビは解消せずに、引き続き吉本に所属する相方のディエゴとともに活動を継続しながら、得意分野を生かした個々の活動に注力していくとのこと。そこで2人に今回の決断、そして今後について話を聞きました。

退社のきっかけは“最後の仕事”の終了
――まずは、生いっちょうさんの吉本退社の経緯から教えてください。
生いっちょう YouTubeで『ストロベビーの『ベビロト』』という競輪予想の生配信番組を週5でずっとやらせてもらってきたんですけど、それが6月いっぱいで終了するというのが大きかったです。
――競輪の仕事はいつごろから?
生いっちょう 10年くらい前ですね。プロフィールに“ギャンブル”と入っていたのがきっかけで、3日間、マンガ喫茶で朝から晩までひたすらに競輪の予想をするという企画が始まったんですよ。そこで競輪にハマって、まずは1人で競輪のYouTubeを始めました。当時は競輪芸人なんていなかったし、競輪のYouTubeチャンネルもあまりなかったので、少しずつ視聴数も増えていきました。
――『ストロベビーの『ベビロト』』は、チャンネル登録者数が1万人を超えていて、視聴回数もほとんどが1万回超えの人気コンテンツでした。
生いっちょう ありがたいことに、競輪界では多いほうだと思います。YouTubeではありますけど、僕らにレギュラーの仕事がもらえることなんてないので、これが最後の仕事だというくらいの気持ちで始めた番組でした。
だから、番組が終わるらしいという話が入ってきたときに、ディエゴには「『ベビロト』が終わったら、吉本を辞めようと思う」という話をふわっとしていて、番組終了が正式に決定したときに、収録前の楽屋で改めて話をしました。

ディエゴ 2人でやっている『ベビロト』は僕にとっても大きかったので、(番組終了となると)まぁ、それもあるかなって。僕らは劇場にもほぼ出ていなかったので、番組が終わるとほぼ無職になってしまうし。
生いっちょう けっこう、あっさりだったよね。「いいんじゃない?」って言われた(笑)。
ディエゴ まぁ、家族がいるし。
生いっちょう 家族がいるっていうのは大きかったですね。嫁も番組が終わるとなってちょっと不安になったみたいで、「これからは自分でやってみたら?」と背中を押してくれました。家族のせいにするわけじゃないですけど、独身だったら、たぶん吉本を続けていたと思います。やっぱり、すごく楽しいんで。
ディエゴは吉本に残るという決断だったので、「コンビはどうする?」って聞いたんですけど、「解散はしなくていいんじゃない?」と言ってくれて。
ディエゴ 僕は(吉本を)辞めても、辞めなくても変わらないなと思ったんです。あとは、いまのところ、そんなによく考えていないというか……。

「やっぱり吉本はスゲェな」
――退社にあたって葛藤はありましたか?
生いっちょう 実はそんなになかったんですよね。『ベビロト』が最後の仕事だと思って、いつ終わっても悔いがないよう、全力で頑張ってきたので。どちらかというと、番組が始まってから、この4年半くらいはお笑いより競輪のことを考える時間が増えて、オレは芸人なのかなという葛藤のほうが大きかったです。
あ、でもひとつだけ……。9歳の娘がいるんですけど、娘はオレのことをYouTuberだと思ってるんですよ。だから、吉本の芸人であるとか、そもそも吉本興業についてもあまりよくわかっていないだろうなと思っていたんです。だけど、嫁に「今日、吉本を辞めるって言ってくるわ」って話をしたときに、娘が「吉本辞めるのー!?」って言い出して……。
「吉本知ってるの?」って聞いたら、「(千鳥の)大悟のとこでしょ」って言うんです。「本当に辞めるの?」って言うので、「辞めるよ」と答えたら、泣き出しちゃって。
ディエゴ えーっ!?
生いっちょう 大悟に会いたかったって……。
一同 (笑)
生いっちょう いや、オレもなかなか会えないよって言いましたけど、幼いながらに吉本の偉大さがわかっていたんですね。やっぱり吉本はスゲェなって思いました。

――生いっちょうさんの吉本退社にあたって、芸人仲間に相談することはありましたか?
ディエゴ 僕は相談はしていないですけど、『ベビロト』が終わるという話になったときに、こういうことになりそうだというのは伝えました。だから、結果報告くらいですね。
生いっちょう 僕も結果報告のほうが多くて、決心がついて最初にお話ししたのはアホマイルド坂本さん。キャベツ確認中のキャプテン★ザコさんには、(バルーンアート技術を生かした活動もしているので)バルーンを特訓すれば、営業をいっぱい持ってきてやるぞって言ってもらいました。吉本の人たちは、やっぱり止めてくれるんですよ。寂しくなるし、もう少しいたらって。
“華の10期の忘れもの”と言われて
――おふたりは年齢が3つ違うので、出会いはNSC(吉本総合芸能学院)東京でしょうか。
生いっちょう 2人ともNSC東京10期ではあったんですけど、ディエゴは入学して1カ月でNSCを辞めていたんですよ。だけど偶然バイト先で一緒になって、「同期だけど見たことないですね」っていう話をして、それが初対面でした。
――NSC東京10期というと、なかなかすごい期ですよね。
生いっちょう そうなんです。オリエンタルラジオ(中田敦彦、藤森慎吾)、はんにゃ(川島章良、金田哲)、フルーツポンチ(亘健太郎、村上健志)、トレンディエンジェル(たかし、斎藤司)と“華の10期”って言われていて、僕らは、その“華の10期の忘れもの”って呼ばれてました(笑)。

――ストロベビーというと、ディエゴさんのマラドーナのモノマネが印象的です。
ディエゴ ワールドカップのシーズンは、かなりよかったですね。
――コンビネタも、ディエゴさんのモノマネが軸になっていますね。
生いっちょう ディエゴがモノマネを始めてからはそうですね。その前はコントをやっていたんですけど、正統派じゃなくて人と違うことをやろうという感じで。そうしたら、マラドーナがドンといっちゃって、営業に呼ばれるようになったので、慌ててやったことのない正統派ネタをつくりました。キャラクター漫才は、ベタじゃないとウケないんですよ。
キュートンとワンボックスで大阪めぐり
――思い出深い仕事はありますか?
ディエゴ 千葉のほうの大きなホールで吉本芸人がネタをやるイベントがあって、前説で呼んでもらったんですよ。本ネタをやる芸人さんたちは皆一緒に大型バスで移動するんですけど、僕らは前説なので先に電車で向かって、ほかの芸人たちがバスで帰ったあとも、残ってビンゴ大会の司会をして……。

生いっちょう イベントがすべて終わって楽屋を出ると、人気芸人の出待ちのお客さんがめちゃくちゃいて、「〇〇さんいますか?」って聞いてくるんです。「もう帰ったよ」と伝えると、「じゃあ、いいか……。写真撮ってください」って(笑)。
ディエゴ 僕らで手を打つ(笑)。
生いっちょう そのうえ、その人たちと一緒に駅へ向かうのが、すげぇ恥ずかしかったです。
それから、沖縄国際映画祭も楽しかったし……。それと、僕たちはキュートン(椿鬼奴、くまだまさし、キートン、しんじ、アホマイルド坂本、クニによるユニット)さんにすごくかわいがってもらっていて、あるときキュートンのNGK(なんばグランド花月)公演があるというので、運転手として呼んでもらったんですよ。ワンボックスカーを借りて、みんなで大阪まで移動して、公演が終わったらちょっと大阪観光をして帰るっていうのが、すげぇ楽しかった。
――なんだか青春っぽいですね。
生いっちょう そうですね。同じように八ヶ岳へも行かせてもらったな。

“DJディエゴ”の誕生か!?
――コンビは継続するとのことですが、今後の活動について教えてください。
生いっちょう 僕は“競輪特化型芸人”を目指していきます。
ディエゴ 僕は1人でできることを増やさなきゃ、と思っていますけど。とりあえずは、いったん旅行に(笑)。その後はYouTubeとかTikTokとか、自分で撮れる動画系のことをやろうかなと思っています。やりたいことだけをやるYouTubeとか。お笑い以外でも興味があってやってみたいことはあって、たとえば滝行とか……。
生いっちょう 本当にやりたいの? そんなにストイックなタイプに見えないけど(笑)。
ディエゴ 夏場だよ? 冬とかやりたくないよ。
生いっちょう 夏場の滝行は修業になんないだろ!「気持ちいい」で終わるだけ。誰も見ないよ。
DJやれば? もともとディエゴはDJをやるために沖縄から出てきたんです。めちゃくちゃウマいんですよ。
ディエゴ 黒歴史ですね。
生いっちょう うちの嫁、むかしダンサーだったんですよ。1回だけディエゴのDJを聴いたことがあって、「マジウマいんだけど」って感動してました。
――となると、ほかの芸人さんと一緒にDJイベントという方向性も?
ディエゴ いまはあまり考えていないですけど、毎回、誰かと対決とかも面白そうですね!

20周年を機に新たなスタートを切るストロベビーに乞うご期待ください。