芸能界にファンも多い“アート芸人ひとみ”が展覧会で念願の受賞! 「絵を描き続けていたら、みんなが私を見つけてくれた」

ニューヨークや横澤夏子ら売れっ子ぞろいのNSC(吉本総合芸能学院)東京の15期生で、アート芸人として活動するひとみが、現代アートの団体「青枢会」が主宰する『第50回記念 青枢展』で東京都知事賞を受賞しました! 2022年に緑内障を発症したひとみは、徐々に視力が低下していくなかで新たな道を模索。そうしてたどり着いた現在の作風が評価されました。そこで今回、受賞作品『おHANA』に込めた思いや、「アート芸人ひとみ」として花開くまで、彼女を導いてきた素敵な出会いの数々について語ってくれました。

出典: FANY マガジン
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美術の成績は「2」でも絵は好きだった

――このたびは東京都知事賞の受賞おめでとうございます! 作品について語っていただく前に、まずはひとみさんの経歴から教えてください。

はじめは「ブービーマドンナ」という女性3人のトリオで、2017年まで活動していました。メンバーの1人は、同期のいぬの太田(隆司)くんがずっと付き合っている彼女です(笑)。

――絵はずっと得意だったのでしょうか?

絵はただただ好きだったんですが、学校の美術や図工の成績は悪くて(通知表で)「2」とかでした。だけど、まわりの人が喜んでくれたので、好きでいられた感じです。

トリオ解散後、ピン芸人としてネタをやりながら、今後どうしていこうかと悩んでいた時期に、ふりいくっ!の、うぶのハツナという仲のいい後輩がずっと支えてくれていて、あるとき、彼女にありがとうの手紙とともにハガキくらいのサイズの絵を描いて渡したんです。

そうしたら、「すぐにSNSにアップしてください!」って言ってくれて、それが多くの人に絵を見てもらう最初のきっかけになりました。SNSに上げたら、結構ワッと反響があって、「こんなに?」ってビックリするくらいで。

出典: FANY マガジン
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それから、芸人のイメージ画を描いてみようとスパイクの松浦(志穂)さんに「描いてもいいですか?」って聞いたら、「ぜひぜひ」と言ってくださって。松浦さんの絵を描いてから、いろんな芸人さんに「描いて」と言われるようになって、50人くらい描きました。その活動をきっかけに、ヨシモト∞ホール(現・渋谷よしもと漫才劇場)の扉の絵を描かせてもらいました。

そうしたら、今度は相席スタートの(山﨑)ケイさんが、『うちのガヤがすみません!』(日本テレビ)の番組スタッフさんから「アートやってる子いない?」と聞かれたときに私の名前を出してくださって、番組に出演させてもらったんです。

そのときはスニーカーに絵を描いたんですけど、これも、女性芸人のグリフォン國松という子に、「キャンバスじゃなくてスニーカーに描いてほしい」と言われたのがきっかけでした。「ちょっと派手じゃない……?」って心配したんですけど、完成したスニーカーを気に入って、いろいろなところへ履いて出かけてくれたんです。

そうしたら、行く先々でお店の方に「どこで売っているんですか?」って聞かれたらしくて、「ひとみさん、反響がヤバいです!」と。『うちガヤ』でも、“スニーカーの人”という感じで反響が大きかったです。

気づいたら「アート」の比重が高くなっていた

――周囲に「やりなよ」と背中を押してくれる人が多かったんですね。

そうですね。アートをやっていこうという強い熱意を持っていたというよりは、絵が好きで描き続けていたら、“みんなが見つけてくれた”という感じなんです。それで気づいたら、どんどんそっち(アート)の比重が大きくなっていて、もともと好きだったので嬉しかったです。

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――それから、本格的にアーティストとしての活動が始まったのですか?

ブービーマドンナを解散してすぐ、2018年に個展を開きました。その後に同期の友だちと街を歩いていたら、偶然、池袋芸術劇場で「青枢展」を開催していて、無料だったのでふらっと立ち寄ってみたんです。

いま考えると、すごい先生たちが気さくに受付をされていて、「絵を描いているなら出しなよ」くらいの感じで案内のハガキをくださったんです。それを見て、上野(東京美術館)で開催されるときに作品を出せるかも! と思って出品しました。

それも、一緒にいた同期の子が「(青枢展を)見てみようよ」って手を引いてくれたのがきっかけなんですよね。もうすべて、まわりの人への感謝しかないです。

――今回、「青枢展」で東京都知事賞を受賞した『おHANA』もすごく素敵な作品です。発想の源になるものはあるのでしょうか。

感覚でしかなくて、完成まで自分でもどうなるかわからないんですよ。最後のほうになってくるとカタチがちゃんと見えてくるんですけど。本当は、1枚の大きな絵を描くのがいいと思うんですが、部屋が狭いのでバラさないといけなくて(笑)。

去年までは小さいサイズのキャンバスに描いたものを会場でつなげて、大きな作品として見せていたんですけど、今回は逆に1枚ずつ離して展示したほうが面白そうだなと思いました。完成まで9カ月くらいかかって、出品する当日もまだ描いていて……。

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――やっぱり作品づくりには時間がかかるんですね。

「これで完成!」っていうのができなくて、ずっと描き足しちゃったり、ちょっと変えようって上から塗りだしたりしちゃうので、期日があることでやっと出せるみたいな感じです。

「色の知識は全然ない」

――今回、東京都知事賞に輝いた「おHANA」は「お花」のイメージですか?

いろいろな意味を込めています。「花」はもちろん、「華」やかとか、顔の「鼻」とか、ハワイ語で「ohana」は、血の繋がりは関係なく“家族”っていう意味もあって、1年間のいろいろな感情が入っている感じです。

いつも、まずは気持ちで描き始めてからテーマがまとまってくるので、タイトルを付けるのはいちばん最後ですね。思いはずっとつながっているんですけど。

これまでは誰かのために描いてきた感じで、同期のおかずクラブ(オカリナ、ゆいP)をイメージして描いた年もありました。だけど、逆に自分のことを描いていなかったなと思って、去年からは自分を描き始めたんです。それで今回は1年間の感情だったり、いまの自分を感覚で描き続けました。

出典: FANY マガジン
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――これだけ多くの色を使うのは難しそうですよね。普段から心がけていることや、参考にしているものなどあるのでしょうか。

小さいころから色が大好きでしたけど、美術学校に行ったわけではないので、色の知識は全然ないんですよ。高名な美術の先生に言わせると、ありえない色使いらしいんです。ちゃんと知識がある人は絶対に隣り合わせにしない色を並べちゃったりして。

でもそれが、先生方からすると「面白い」みたいなんですよね。むしろ「学ばないで」って言われます。せっかくイメージしたものを描く力を持っているのだから、それを知識や常識にはめることなく、そのまま走り続けてほしいと。

――本当に周囲に素敵な方が多いですね。

本当、褒めて伸ばされている感じです(笑)。

緑内障を機に作風が変化

――ここまで作風に変化が生じたことはありますか?

ずっと同じ作風できたのですが、2022年に糖尿病からくる緑内障を発症してしまって、一気に視力が落ちてきているんです。以前は細かく縁取りをするような画風だったんですが、それができなくなってきて、今年の夏ごろから縁どらない画に変化していきました。

手術をしたりして進行を遅らせることはできるのですが、止めることはできないので、これからどうやって絵を描いていけばいいんだろうと悩んだのですが、逆に(縁どらない作風が)感情が出るようになっていいって褒められたんですよ。先生方に「ひと皮剥けたね」って言ってもらったんですけど、あの縁取りがこだわりだったのになって(笑)。先生方はイラストから絵画に変わったと捉えられたみたいです。

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――緑内障と診断されたときはどんな気持ちでしたか?

わかった瞬間はヤバかったですね。でも、この1年の創作活動を経て、自分にない自分になっていく感じがちょっと面白いなと思ったり、他の人たちと見えている色も変わってくると思うんですけど、そういうのも楽しめたらいいなと思っています。逆にひとつの武器になるんじゃないかなって。

――自身の作品を、どんな人に見てほしいですか?

元気がない人ですかね(笑)。気持ちが明るくなる色使いかなと思うので。あとは、海外でも作品を見てもらえるようになりたいです。それから、服のデザインにも興味がありますね。

――スニーカーのときのように、いろんな人に身に着けてもらって、PRしてもらうのもいいですよね。

そうですね。ありがたいことに、芸能界にもファンの方がいるんですよ。『うちのガヤがすみません!』でDA PUMPさんのグッズを提案したときに、メンバーのKIMIさんが気に入ってくださったり、番組を見ていた新山千春ちゃんが「会いたいです」って連絡をくれて、いまは親友って言ってもらえるくらい仲良くなったり、浦嶋りんこさんも番組を見てくださっていて、たまたま沖縄料理店でお会いしたときに「スニーカー描いてる?」って声をかけてくださって、そこからかわいがってもらっています。

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有名になって“見つける”側になりたい

――今後の展望はありますか?

私は東京生まれ東京育ちで、アートが好きだったので、東京都のアートプロジェクトとかに携わっていけたらいいですね。

今回、受賞した(『青枢展』の)東京都知事賞は数年前から狙っていたんですよ。私は周囲の人に見つけてもらえましたけど、アートが好きでも諦めちゃったり、仕事にできないからやめてしまう人もいます。だから、今度は私が“見つける”側になりたいんです。“見つけられる”側から“見つける”側へ、思いが実になってつながっていく。『おHANA』にはそういう意味も込めています。

でも、誰かを見つけてつなげていくためには、有名になって力をつけないといけない。それが、東京都知事賞を獲りたかった理由です。

ほかに、子どもたちや福祉施設の方と一緒に絵を描く活動も続けていきたいですし、芸人さんのなかにも絵を描く人がたくさんいるので、みんなで一緒に描けたらいいなと思います。ライブペイントとか面白そうですよね。

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