4月16日(土)、「島ぜんぶでお~きな祭 第14回沖縄国際映画祭」企画として、那覇市のよしもと沖縄花月で「沖縄ヒストリカルムービー デジタルで甦る8ミリの沖縄」が行われました。
本イベントは1950年代から70年代にかけて、一般の人々が撮影した貴重で懐かしい8ミリ映像を上映しながら、当時の状況の解説や現代の風景と比較して楽しむイベントで、シネマラボ突貫小僧の當間早志さんと沖縄アーカイブ研究所の真喜屋力さんが案内人として登壇しました。
毎回満席のイベント
8ミリ映像の上映イベントは過去にも何度か開催され、その度に満席になる人気ぶりで、さらに今回は復帰50年をテーマにした特別映像が用意されるとの事で会場は期待に満ちた観客でいっぱい。また、この上映会は映像について知っていることがあれば観客が発言してもOKというライブ形式になっているのが特徴で、それゆえ話が盛り上がりすぎで1つの映像から次に進めないこともあり、MCを務めた空馬良樹が新喜劇で使われる「すち子のドリル棒」を持ち込み、「話が盛り上がりすぎて進まなくなったら、僕がこれで(もう一人のMCの) ごはんマンの岩田勇人を叩きます」と宣言。岩田の「アカデミー賞じゃないんだし!」とのツッコミに早くも客席からは笑い声が上がっていました。
一般の人が撮影したからこそ撮れた映像
上映前に當間さんからは「復帰そのものは沖縄国際海洋博覧会(1975年開催)とかナナサンマル(沖縄は米軍統治化時代車は右、人は左の交通ルールだったが、復帰後の1978年7月30日に現在の日本と同じ人は右、車は左に切り替わった)とかに比べてビジュアル的にインパクトが弱いんだけど」と前置きが入ったのですが、いざ上映が始まってみると、當間さんの不安は杞憂に過ぎなかったと痛感するほどの盛り上がりよう。テレビ局が放送する復帰記念式典とは違う、一般の人が撮影したからこそ撮れる「式典会場から出てきてテレビカメラの取材を受けている家族」の様子や、式典が開催された那覇市民会館の向い側には当時琉大付属病院があり、復帰反対の横断幕が掲げられ学生運動が行われている様子など、貴重なシーンが満載でした。
また、復帰の10日前に撮影された団体旅行の様子では、日本政府が発行する身分証明書とアメリカ政府発行の身分証明2つがセットになっているシーンがあり、「昔は両方から証明書がないと沖縄から出られなかったんだよね」と當間さんが説明。それに対して真喜屋さんは「うちの父親がこのセット持っているんだけど、日本入国の時に押されたスタンプにひらがなで『おかえりなさい』って書いてあるの。入国手続きが必要なのにおかえりなさいって、ねじれてるよね」と笑いながら暴露。つられた客席からも笑い声が沸き上がりました。ほかにも「復帰前は本土への憧れが強く、1960年代~70年代の国際通りには、当時銀座に植えられていた柳並木を真似て柳が植えられたが、時代とともになくなってしまった」という話題では、客席から「その柳並木の1本、残そうっていう動きがあってさいおんスクエア(国際通りの北側入り口近くにある複合施設)に移植されたんです」との情報が飛び出し、Google Mapで現在の画像から1年ごとに古くしていくと、2017年まで柳が残っていたことが判明。舞台上の4名からも会場からもこの日一番の歓声が上がりました。
またもや全部紹介できず
さらに米軍が掲揚を認めなかった日の丸がどの時期から掲揚可能になってきたか、日の丸への感情はどのように変わっていったのかなど、歴史に寄り添う貴重な映像をどんどん紹介。MCの空馬からも海邦国体(第42回国民体育大会)のときに起きた衝撃の現場に居合わせたことが告白されるなど、会場は白熱していきます。高い熱量のままあっという間にイベントの終了時間になり、与那原大綱曳の出し物である演劇について説明しようとする當間さんと真喜屋さんを遮り、空馬が「お時間です!! 続きはまた今度やりましょう!!」と絶叫。「やっぱり今回も全部紹介できなかったね」と顔を見合わせる當間さんと真喜屋さんに、会場からは温かい笑みがあふれます。
会場からの大きな拍手に包まれて2人は降壇し、「沖縄ヒストリカルムービー デジタルで甦る8ミリの沖縄」は次回以降の開催への期待がこもった熱い空気の中、幕を閉じました。
島ぜんぶでお~きな祭 第14回沖縄国際映画祭は2022年4月16日(土)、17日(日)の2日間、開催されました。
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