突然ですが、僕はテレビゲーム『龍が如く』の大ファンです。そして今年は、僕にとって激アツの一年なんです。なぜなら今年は、龍が如くのシリーズ作品が、2作品も発売されるからです。なんなら、来年にも1作品発売されると発表されているので、僕的に、絶対に死ねない2年間となっています。
もうすでに1作品発売されていて、それが『龍が如く維新!極』です。龍が如くシリーズは、基本的に『ヤクザモノ』のゲームなんですが、この維新!極は『時代劇モノ』となっています。主人公が坂本龍馬で、歴史的事実を踏まえつつも、龍が如くらしいストーリーになっています。
いや、ゲームの紹介をしたいわけではないんです。いや、それもちょっとしたいんですけど、今回のコラムで書きたいのは、幕末最大のゴシップでありミステリーである、
坂本龍馬暗殺
この事件についてです。誰が?何の目的で?と、未だに謎の多いこの事件なんですが、僕、犯人わかっちゃったかもしれません。ということで、今回は歴史ゴシップをお届けしたいと思います。
一般的に『近江屋事件』といわれているこの事件が、一体どういうものなのかを見ていきます。Wikipediaには、
江戸時代末期(幕末)の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に坂本龍馬と中岡慎太郎、龍馬の従僕であった山田藤吉の3人が京都河原町通蛸薬師下ルの近江屋井口新助邸において殺害された事件。実行犯については諸説あるが、江戸幕府の組織である京都見廻組によるものという説が有力である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』/近江屋事件/最終更新 2023年2月19日 (日) 14:56
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』/近江屋事件はこちら)
と、書かれています。京都見廻組が実行犯という説が有力な理由は、元見廻組の隊士が、
「僕がやりました。」
と、2年後に自白したからです。
じゃあもう有力とかじゃなくて確定やん!
と、ツッコまれたと思います。なのになぜ『実行犯については諸説ある』のかというと、龍馬が多方面からめちゃくちゃ嫌われていたからです。ここで、龍馬のことを嫌っていたであろうラインナップをご紹介します。
・新撰組
・京都見廻組
・紀州藩
・土佐藩
・薩摩藩
ほか
組織だけではなく、もう藩に嫌われていました。今で言ったら県に嫌われてる状態です。しかも、地元の土佐藩にも嫌われてます。それだけ龍馬が目立った存在だったということなのでしょうが、地元に嫌われるのはなかなかヤバいですよね。
藩に嫌われた理由ですが、大きく分けると3つです。
・薩長同盟
・大政奉還
・いろは丸事件
上2つはなんとなく聞いたことがあると思いますので、あまり聞き馴染みのない『いろは丸事件』から説明したいと思います。
龍馬が組織した『海援隊』が運用していた『いろは丸』という船が、紀州藩が所有していた『明光丸』という船と衝突して、いろは丸が沈没してしまったという事件です。なぜ『事故」ではなく『事件』かというと、海援隊という小さな組織が、天下の徳川御三家の一つである紀州藩を相手に裁判(ぽいもの)を起こしたからです。しかも、龍馬があらゆる手段を使って交渉に勝ち、とんでもない額の賠償金をぶん獲ります。その額7万両。今でいうと140億円です。そりゃ紀州藩に嫌われますよね。ちなみに、龍馬は交渉で、
「大量の銃火器と金塊を積んでいたぜよ! それを全額弁償しろぜよ!」
と主張して、7万両という額になったのですが、近年の海洋調査で、いろは丸にはそんなものは積まれていなかったんじゃないかといわれています。ヤバいヤツですね。
薩長同盟と大政奉還は、聞いたことがあると思うので簡単に。
仲が悪かった薩摩藩と長州藩をくっつけて、幕府を力で倒そうとする勢力を大きくしました。(薩長同盟)
しかし一方で、徳川幕府に政治の実権を天皇に還させて、権力を失わせました。(大政奉還)
薩摩からすると、
「は? 江戸幕府に権力が無くなったら、戦争する意味なくなったでごわす! 一体、何をやってくれてるんでごわすか!」
となりました。そして、大政奉還を藩の意見として進めていた土佐藩は、
「おい! あいつ何をやっとるぜよか! 藩を抜けたアウトローのくせに目立ちすぎぜよ!」
となって、どちらも龍馬のことが嫌いになりました。
こんな感じで藩に嫌われていった龍馬ですが、実行犯に関しては、おそらく新撰組や京都見廻組、あるいは藩が雇った殺し屋などなのでしょう。しかし、
誰が黒幕か?
ここがゴシップ的ロマンになってくるわけです。そして、僕が辿り着いた結論を書きたいと思います。
龍馬は有名になる前から色々あって、京都で指名手配されていて、見つかったら殺されるという状況でした。
しかし龍馬は、暗殺されるまでの4年間で8回、上京しています。チャレンジャーすぎ。一度、京都の下宿先が新撰組に踏み込まれているのですが、たまたま留守で難を逃れてます。運も良すぎ。
ただ、潜伏先を知られていたということは、剣術で有名な新選組は、情報収集能力もすごかったということです。新撰組が集めた情報は、上の組織に集められます。上の組織とは『幕府』です。
幕府に危険人物として認識されたのは暗殺の3年前。残された文献に、
老中「この坂本龍馬って何者!? 誰か知ってるよって人いる!?」
と周囲に尋ねていたという記述が残っています。老中というのは今でいうと『大臣』みたいな役職です。
この老中の発言の1カ月ほど前に、龍馬は薩長同盟の準備に入っていて、その情報も新撰組経由で幕府に筒抜けでした。なので、危険人物として老中にまで、名前を知られるようになっていたのです。
暗殺の1年前、龍馬と長州藩士が、伏見奉行の役人らに襲われる『寺田屋事件』が起きます。龍馬は手に重傷を負ったが、何とか逃げのびました。その際、ピストルで反撃し、2人を射殺しました。その事件の2日前には、薩長同盟が締結されたばかりでした。はい。こちらも情報ダダ漏れだったと思われます。
しかし、龍馬はめげずに頑張って、寺田屋事件の翌年の慶応3年10月に大政奉還が成立します。しかし、この1カ月後に近江屋事件が起こり、龍馬は暗殺されました。
全てタイミングが良すぎるし、全てタイミング悪すぎるんです。幕府も情報を掴んでるなら、龍馬の動きを阻止しろやって話なんですが、おそらく龍馬も、情報が漏れていることは承知していて、それを命懸けで掻い潜って、色々なことを果たしたのでしょう。その龍馬のモチベーションはきっと、
日本の夜明け
だったのではないでしょうか。龍馬は新しい日本の姿を見ることなく、この世を去ったわけですが、龍馬暗殺の黒幕は、
日本の悪しき伝統
だったと思います。新しいものを受け入れない風潮は、今の日本にも残っていますけど、龍馬が見たらどう思うんでしょうね?
※あくまでも本連載は個人の見解です。
※記載の事件等については諸説あります。