ファニマガの新春恒例企画“年男座談会”。今回、集まってくれた“巳年芸人”はバタハリ・バッフォイかさはら、桂小留(ちろる)、カベポスター・永見大吾です。大道芸、落語、漫才と異なるジャンルで活躍中の3人は、がっつり話すのは今回が初めてとのこと。とはいえ、そこは同い年の芸人同士。子どものころにハマったものの思い出からお笑いとの出会い、さらには2025年の抱負まで、時間を忘れるほどの大盛り上がりとなったのでした!
「ゲームやりすぎ」を隠す秘策とは
──皆さんの世代(1989年生まれ)だと、子どものころどんなものが流行っていましたか?
永見 完全に『ポケモン(ポケットモンスター)』(1996年発売)じゃないですか?
小留 ポケモンのいちばん最初。
かさはら 赤と緑。
永見 で、のちに青っていう。
かさはら 「ポケットモンスター」って最初はゲームボーイで出たんですけど、赤バージョンと緑バージョンがあって、出てくるポケモンがちょっと違ったんですよね。赤か緑かで、幼少期に“一軍”になれるかとかも決まってたという。
永見 赤です。
小留 僕、緑です。
かさはら 僕も緑でした。「緑か!」って、ちょっと小馬鹿にされた経験が……。
小留 そうですね、「緑はちょっと」みたいな。
永見 ええっ!? 赤もそう思ってますよ。
小留 蜂のヤツとか蛇のヤツとか、カッコええのは赤ばっかり。緑はちょっとタラコ唇のブーバーとか……。
永見 でも、ブーバーほしかったですもん。ないものねだり的な感じで。そういえば、ゲームボーイの電池の減りで、親にゲームめっちゃやってるのバレるじゃないですか。あれ、どうしてました? 僕は1階のクローゼットに電池が入ってる棚があったんですけど、頻繁にそっから取ってたらバレるんで、こっそり夜中に取りに行ってました(笑)。
かさはら 僕はエアコンのリモコンの……。
小留 あーっ!
永見 やってたかも!
かさはら 毎回、エアコンのリモコンから取って、なくなった電池と入れ替えてたから、親に「エアコンの電池の減りが異常に早い。おかしい」って見張られて、バレて怒られたことあります。
小留 あるあるですね。「目覚まし時計(の電池)いけるやん」とか。
永見 そこから外して入れ替えてね。いまは充電やから、この年代までしか通用しないあるあるなんでしょうねえ。
かさはら 最後の電池世代というか。当時はビデオとかもありましたよ。
永見 VHSで見たりしてましたね。
かさはら ツメ折ってましたもん。
永見 ツメ折ったらどうなるんでしたっけ。
かさはら ツメ折ったら、上書き録画ができなくなるんです。で、自分の好きなアニメ、たとえば『たこやきマントマン』(1998年4月~1999年9月放送)とかを録画してツメを折っておいたら、オカンがセロハンテープを貼ってふさいで、自分の好きな料理番組を上書き録画するんですよ。その戦いの連続でした(笑)。
謎の番組だった『おはスタ』
小留 テレビやと、僕はずっと『おはスタ』(1997年~)を見てて、山寺宏一さんをタレントやと思ってたんです。
かさはら ああ、声優じゃなくて。
小留 山ちゃんってすごい人なんやって、あとから知りました(笑)。朝の陽気なお兄さんやと思ってましたから。
かさはら 「おーはー!」ってやるお兄さんね。
永見 僕は『おはスタ』の存在を知らなかったです。コロコロコミックを買ってて、そこに『おはスタ』のことが書いてあったんですけど、「これ何やろう?」「何で見れるヤツやろう?」ってずっと思ってて。香取慎吾さんの慎吾ママが「おっはー!」って言ってるのを見て、「もとはなんなんやろう?」って調べてやっと存在を知りました。
かさはら 僕は愛知県出身なんで、テレビ番組なんかはちょっと違うかもしれないですね。
永見 僕、小4から三重で、それまでは奈良県の生駒市やったんです。だから小4から東海エリアの番組も見れましたよ。
かさはら 三重も東海っちゃ東海ですもんね。
小留 僕はずっと大阪市内です。さっき言われた『たこやきマントマン』もそうですけど、少年時代、アニメとかまったく通ってきてないんですよ。親が共働きの鍵っ子やったんですけど、帰ったらおやつが用意されてて。弟は外に遊びに行くけど、僕は家に残って、当時テレビ大阪で森脇健児さんがやっていた情報番組『満点!しあわせテレビ』(1999年4月~2000年9月放送)を見てました。街のお得情報とか主婦のお悩みとかを、おかし食べながらずっと見てる少年でしたね。
かさはら 大人ですねえ。
永見 僕もアニメはあんまり見てないです。
かさはら 戦隊ものやったら『(忍者戦隊)カクレンジャー』(1994年2月~1995年2月放送)じゃないですか?
永見 戦隊ものも見てなくて、ゴールデンタイムのバラエティとか見てましたね。『マジカル頭脳パワー!!』(1990年10月~1999年9月放送)とか。
かさはら 僕は『ダウンタウンのごっつええ感じ』(1991年12月~1997年11月放送)や『笑う犬』(1998年10月~2003年12月放送)。お姉ちゃんが12個上やったんで、強制的に見せられてたんですよね。そっからすごいおもしろいなあって。
『スマスマ』で知った最先端「これがCGか!」
──初めて買ったCDや、初めて好きになったアイドルを教えてください。
かさはら 僕はケツメイシでした。中学生とかですかね。『君にBUMP』(2004年7月発売)っていう歌があって、ダンスフロアで男性と女性がダンスの試合をするMVがすごくカッコいいなあと。
永見 僕はめっちゃ遅くて高校。初めて買ったのはBEAT CRUSADERSのCDですけど、それまでレンタルはいっぱいしてましたね。いちばん最初に借りたんは……たぶんBUMP OF CHICKENかポルノグラフィティ。ポルノグラフィティはベスト盤を借りたんですけど、パソコンにつないで取り込もうと思ったら、コピーコントロールCDっていうデータ化できないCDやったんです。なので1週間だけ聴いて。
小留 1週間後には手元からなくなるから。
永見 「とりあえず『アポロ』(1999年9月発売)は聴いとこう!」とか(笑)。
小留 僕もめっちゃ遅いです。最初に借りたのはミスチル(Mr.Children)のベストで、買ったのは『HERO』(2002年12月発売)やと思います。
永見 シングルなんですね。
小留 アイドルはいまでも好きですけど、最初はモーニング娘。、吉澤ひとみから。小学校のときでした。
かさはら 『ASAYAN』(1995年10月~2002年3月放送)ですね。
永見 小学校の朝の会に、モー娘。の歌を歌ってた気がします。男は別に歌とか興味ないんですけど、女の子は先にかわいいものとかアイドルに興味持つんで……そこでミニモニ。とか歌いました。
かさはら 僕もミニモニ。です。『モーニングコーヒー』(1998年1月発売)とかになると、ちょっと古くてわからない。
永見 『LOVEマシーン』(1999年9月発売)で知ったぐらいですかね。
小留 ゴマキ(後藤真希)が最初からおった感覚。途中から入った感じではない。
永見 もう中澤裕子さんがおばちゃんイジりされてた。
かさはら ああ、『うたばん』(1996年10月~2010年3月放送)とかでね。保田圭さんも。
永見 めっちゃイジられてましたよね。なんか地蔵のキャラクターにされたり。
小留 当時のCGでね。
永見 そうや、CGや。『スマスマ(SMAP×SMAP)』(1996年4月~2016年12月放送)で最後にSMAPが歌う時間があったんですけど、スタジオに誰もいない状態で、そこにCGの稲妻が走って、いつのまにか5人がそろってるみたいな。「これがCGか! すげえな!」っていうのを、めっちゃ覚えてます(笑)。
かさはら あれ感動しますよね。
永見 最先端やなって思いました。
転校生が教えてくれた“サトエリ”の衝撃
かさはら 女の子のアイドルっていうと松浦亜弥とかミキティ(藤本美貴)とか。
永見 けど、そんな追いかけるみたいなのはなかったかな。グラビアアイドルとの出会いは中学、高校とか。「うわあ、この人、絶対目で追っちゃうわ」みたいな人が出てきたり。
かさはら 『週刊少年チャンピオン』は表紙にグラビアアイドルが出てくるんですよ。そういうので小池栄子さんとかMEGUMIさんとか根本はるみさんとか。
小留 イエローキャブのね。
かさはら 大好きだったかもしんないです。
永見 いいですね、まだ明言はしてない(笑)。
小留 小6のテンションで(笑)。
かさはら なんか、あのときと同じ恥ずかしさが……。
小留 グラビア付きの雑誌は、お兄ちゃんがいる子の家に行かないと見れなかったでしょう? そういう子のとこ行って「もう読むもんないなあ」とか言いながら(笑)。当時だと佐藤江梨子さん、サトエリも。
永見 サトエリすごかったなあ。衝撃やった。
小留 小4で転校してきた男の子が運動もできてイケメンで、しかもグラビア系の雑誌を自分で買って読める子やったんですよ。
かさはら おおー、カッコいい。
永見 強い。
小留 その子が「サトエリって知ってっか?」って。
永見 ザビエルみたいな感じですね(笑)。サトエリを持ち込んだ人なんや。
小留 「(グラビアアイドルが載っている雑誌を自分で)買っていいんだ!」みたいな衝撃がありました。
永見 僕はきょうだいがお姉ちゃんと妹で、お兄ちゃん的な人がいなかったから、そういうのを読んだことなかったんですよ。テレビはめっちゃ見てたんで、たとえば優香さんとか、ふつうにタレントさんとして見てて「かわいい人やなあ」と思ってたのが、パソコンを与えられるようになってから昔の写真を見て「えっ! グラビアやってはったんや!」って。そっからずっと優香さんの写真を漁ってました(笑)。
かさはら そういえば『バカ殿(志村けんのバカ殿様)』(1986年4月~不定期放送)で志村さんのまわりに座ってる方々も、全員ちょっとエロいですよ。
永見 そうですね(笑)。
かさはら 志村さんの近くにいる人たちを、検索したりしてました(笑)。
師匠・桂小枝が『ナイトスクープ』で…
──お笑いに目覚めた、好きになったきっかけは?
かさはら 完全に松本人志さんですね。姉ちゃんと一緒に『HEY! HEY! HEY!(MUSIC CHAMP)』(1994年10月~2012年12月)を見てて、マライア・キャリーが出演したとき、松本さんがものすごいガッといってて。それを見て「めっちゃカッコええな」「こういう感じでガッといきたいな」って思ったのが僕のスタートです。いま真逆のことやってるんですけどね(笑)。姉ちゃんがいたのはデカいと思います。幼稚園のころ、親は絶対あかんって言ってたけど、『ごっつええ感じ』も見てましたし、ダウタウンさんへの目覚めは早かった。
小留 僕はダウンタウンさんをあんまり通ってこなかったんですよ。バラエティ番組は見せたくない、ゴハンのときはテレビを消しましょうっていう厳しい親やったからなんですけど、土曜日の深夜にやってた(明石家)さんま師匠の『恋のから騒ぎ』(1994年4月~2011年3月放送)だけは、なぜか家族で見る家で。
永見 なんで?(笑) あれこそ気まずいときとかありそうな気がしますけど。
小留 そうなんですよ。エッチした男がどうこうみたいな話を普通にしてるんですけど、「『から騒ぎ』までは起きてていいよ」と。だから僕のお笑いって、さんま師匠が素人の女性たちをぶん回ししてるところから始まってるんです。
永見 僕は『笑う犬』とか『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(1996年4月~2002年3月放送)から。そのときは漠然と「おもしろいことしてるな」っていうぐらいでした。のちに深夜番組を見るようになって、『内村プロデュース』(2000年4月~2005年9月放送)とかで「お笑い芸人さん、おもしろいんや」っていう衝撃をちゃんと受けたっていいますか。「これなんや!?」という革命みたいなのを感じたのは、中学での『内P』でしたね。
かさはら 確かに『内P』で何回も寝坊しました(笑)。
永見 愛知だったら『さまぁ〜ずげりらっパ』(2002年4月~2008年9月、中京圏など一部地域でのみ放送)とか見てました?
かさはら 見てました、見てました。その番組で三村(マサカズ)さんがちょっとした段からぴょんと落ちたときに、両足の靭帯を……。
永見 そっからヒザが弱いんですよね(笑)。
かさはら “ヒザ弱い伝説”の始まりです(笑)。懐かしいですねえ。
小留 考えてみると、僕はネタとか見てなかったですね。お笑いとして見てたのは『恋のから騒ぎ』や『探偵!ナイトスクープ』(1988年3月~放送)。『ナイトスクープ』でリカちゃん人形の靴がめっちゃ苦いっていうのを……。
かさはら それ見てた。
小留 (桂)小枝師匠がやってて、「靴が苦いんやったら足はどうかな〜」って素っ裸のリカちゃんをこう……(実演)。それを見て「うわあ、このおっさんアホやけどおもろいなあ!」って言うたの覚えてるんですよ。小枝のもとに弟子入りしたこととは、1ミリも関係ないんですけど(笑)。
かさはら えーっ!(笑)
永見 落語家さんっていう認識はあったんですか?
小留 全然ないですね。『ナイトスクープ』の探偵さんでした。
母と一緒にさまぁ〜ずのトークライブへ
永見 ネタとかは、『M-1(グランプリ)』(2001年~)が始まってから年末に大きいネタ番組がいろいろ出てきて、年々ちゃんと見るようになるみたいな感じでした。
小留 うんうん。
永見 それと深夜番組。『内P』でさまぁ〜ずさんを好きになって、そっから「この人たちどんなネタするんやろう?」って調べて、レンタルでDVDを借りて見るようになりました。
かさはら 僕もさまぁ〜ずさんは好きでしたねえ。中学のとき、トークライブ見に行きました。
永見 ええっ! 東京に?
かさはら そう、お母さんと一緒に(笑)。
小留 かわいい(笑)。
かさはら 「僕はディズニーランドじゃなく、さまぁ〜ずさんのトークライブに行きたい」って言って一緒に行きました。
永見 いいなあ。さまぁ〜ずさんはホリプロ所属の芸人さんなんですけど、僕はそれまでホリプロっていう事務所をあんまり知らなくて。で、小学校か中学校の修学旅行にフジテレビとホリプロに見学に行くコースがあったんですよ。「うわ、会えるかもしれへんやん!」って思って選んだら、なんかまわり女の子ばっかで……ホリプロで発声練習とか台本読みとか、アイドルになるための授業を受けるコースやったんです(笑)。「芸人さんばっかの事務所じゃないんや!」って、そのとき知りました。
かさはら もともとそっちですもんね。
永見 小留さんが落語に興味を持ったきっかけは?
小留 当時は演芸番組がまだいっぱいあったじゃないですか。それこそ大花師匠(宮川大助・花子)とかいろんな漫才師さんのネタを見て「おもろいなあ、漫才好きやな」と思ってるうちに「漫才師になろう!」って。
永見 あ、まず漫才に。
小留 高校をやめてNSC(吉本総合芸能学院)に行きたいと思ったけど、親から大学だけは行ってくれと言われて大学に。そこで落研に入ったんです。ただ、高校生のころ、テレビのお笑いの賞でメッセンジャーさんの漫才を見ていたら、そのあとに(桂)雀々師匠が『動物園』をやっていた。1人で出てきてぶわーって汗かきながら虎をやってるのを見て、「これは!」と思ったのが出会いですね。「落語っておもしろいんやなあ」って思いました。そもそもネタにあまり触れてこなかったんで、『ごっつ』なんかは落研に入ってから必死に見ましたよ。「キャシー塚本って松ちゃんなんや!」とか(笑)。
2025年は「人に気配りができるように」
──では最後に、2025年の抱負をお願いします!
かさはら いよいよ大阪・関西万博がやってくるので、いままで培ったものをすべてぶち当てたいなと思ってます。今年のためにがんばってきてたので、爆発させたいです!
小留 僕は23歳のときに師匠について、そこから3年は修行だったんで、(前回の年男の)24歳のときはとにかく師匠についていく毎日。今年、初めて年男っていうのを意識して、これまで独演会をやったことがないと気付いたので、36歳の誕生日(5月30日)に初めて繁昌亭(大阪・天満天神繁昌亭)を借りてしまいました。その独演会でひとつ、人情噺をやったろうかなと思ってます。
永見 そういう噺っていうのは、年齢を重ねないとできないものなんですか。
小留 覚えるだけ覚えとけっていうのはよく言われますね。覚えといて、寝かしといたらそのうちできるからと。
かさはら へえー!
永見 そういう感じなんや。
小留 自分もそういう年齢にもなったのかなと。
永見 僕は……芸人とか関係ないんですけど、自分のことしか考えてこなかった人生なので、もうちょっと余裕を持てるように。人に気配りができるようになりたい(笑)。
かさはら 『ナイトスクープ』で配ってますやんか。
永見 いやいや、あれも自分のためになるんでやってるっていうだけで。「ここをこうしたほうが自分のためになるもんな」みたいなところがちょっとあるんですよ、僕。嫌なヤツでしょう?(笑)
かさはら いやいやいや(笑)。
永見 だから、自分のことに必死っていうんじゃなくて、「これはやってあげよう」って自然に思えるような大人になりたいですね。