『大阪マラソン2025』(2月24日開催)は約3万5千人のランナーが参加し、沿道にはなんと約110万人もの観客が集まりました。大阪ならではの個性的な応援を受けながら“人情のまち大阪”の名所を駆け抜けた大会は、最高気温6度ながら“温かさ”にあふれていました。この日、FANYマガジン“大阪マラソン担当”で芸人ライター・茜250ccの善家カズマサも、フルマラソンに挑戦! 実際に走って肌で感じた熱い現場の様子をお伝えします。

かけがえのない思い出と財産に
まずお伝えしたいのは、大阪マラソンが人の優しさにあふれた“温かい”大会だったということです。断言できるのは、沿道からの応援やボランティアの方々の優しい対応、ランナー同士の励まし合いがなければ、私は絶対に走りきることができませんでした。何度も心が挫けそうになるなか、たくさんの方々からいただいたパワーで無事、ゴールしたときの景色は一生の宝物です。
また、「大阪マラソンに挑戦する」と決めて準備を始めたその日から、ゴールするまでの長い期間が、かけがえのない思い出と財産になりました。
「今年、エントリーするか迷っていた」という方や、今年の大阪マラソンを見て「マラソンを走ってみたくなった」というような方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。私は今回の大会を走ってみて、「来年も絶対に走りたい!」と思いました。
それでは私の走った大阪マラソン2025のレポートをお伝えします。

前日の舞台上でお客さんと交わした「完走の誓い」
大阪マラソンの前日、私は大阪・よしもと漫才劇場の寄席公演「超よしもとお笑いライブ」に『オープニングアクト・ラップ芸人』として出演していました。
ラップ芸人ではいつも、客席のお客さまから挙手制で“ラップのお題”をいただいて即興ラップをするのですが、この日、私がいただいたお題がなんと「大阪マラソン」だったのです。あまりにタイムリーだったので「お客さん、明日、大阪マラソン走るのですか?」と聞くと、「フルマラソンを走ります!」とのこと。「僕も明日、フルマラソン走りますよ!」と言うと、客席から「2人ともがんばれ~!」との声援をいただきました。
大会前日でかなりナーバスになっていたのですが、とても元気をいただきました。そして舞台上から「お互い明日、絶対に完走しましょうね」と固い誓いを立てました。

さらに終演後、ロビーでチケットの手売りをしていると、先ほどのやりとりを見た別のお客さまから「明日、僕は生野区で太鼓の沿道パフォーマンスするんですよ! 頑張ってたどり着いて太鼓の音を聞いてください。頑張ってください」とお声掛けをいただきました。大会前日で不安な気持ちでいっぱいでしたが、さっそく大阪マラソンの温かさに触れることができ、一気に走ることが楽しみになりました。
太鼓のお兄さん、無事に太鼓の演奏を聞くことができましたよ! 30キロ地点を過ぎてからの力強い太鼓の音色に勇気と活力をいただきました。ありがとうございました。
どのお祭りよりも“お祭り騒ぎ”
そしていよいよ大会当日です。過去の取材の際に当日の朝ごはんはたくさん食べたほうがいいと聞いていたので、ふだんは少食なのですが、うどんとおにぎり2つを食べてエネルギー万全です。
また服装は毎回、トレーニンングの際に使用していたウェアとシューズで臨みました。「切磋琢磨した服装とともに大会に挑む。いつもの衣装でM-1に出る感覚と似ているなぁ。気合いが入るな」などと考えていると、あっという間にスタート時刻になりました。

スタートの瞬間は大盛り上がりです。
いまかいまかと待ちわびたランナーたちが一斉にスタートします。沿道からの声援もいきなりハイボルテージで、沿道に手を振りながら走るランナーの方々の姿が印象的で、グループで仮装したコスプレランナーの方々の姿も多数見られました。大阪で行われる数々のお祭りに行ったことがありますが、どのお祭りよりも“お祭り騒ぎ”だという印象でした。
沿道にはスタート直後からたくさんの応援の方々が駆けつけていて、「君なら絶対に完走できる」「無理せずに頑張ってね!」といった勇気の出るメッセージボードを掲げてくださる方や、スタート100メートル後に「あとたったの42.095Kmやで」と大阪ならではのユーモアあふれるメッセージボードもありました(笑)。
たくさんの声援を受けて、いざ大阪マラソンスタートです!

危うく2キロ地点で足切りの危機!?
沿道からの熱い声援に思わずハイペースになりそうでしたが、取材中に何度も「大阪マラソンは沿道からの応援がすごすぎて前半ハイペースになるから要注意」とのアドバイスを聞いていたので、なんとか1キロあたり7分のペース(キロ7)に抑えて走り出すことができました。ペースが安定してきたころ、私はいつも漫才の出番前や賞レースの際、緊張からとてもトイレに行きたくなる傾向があるので、2キロ地点でトイレに向かいました。
すると当日の最高気温が6度だったこともあり、かなりのトイレ待ちが! 後半のことも考え、とりあえずここで1回済ませておこうと並んだのですが、スタッフの方からまさかの呼びかけ。「足切りの車が迫っています! いまガマンできる方はガマンして急いだほうがいいかもです」。これは“まさかの事態”です。

そもそも私の出走グループが、いちばんうしろの第3ウェーブだったこともあり、“足切り”の車両がすぐそこに迫っていたのです。せっかくここまでトレーニングを重ねたのに2キロでリタイヤなんて……。とりあえずここでのトイレはガマンして、次のトイレ地点まで走りました。そして次のトイレ地点で並んでいると、ここでも「足切りの車両が迫っています!」の呼びかけが。同じくトイレに並んでいるランナーの方がスタッフさんに話を聞くと「キロ7」ペースで走れるのならここでトイレを済ましても足切りにならずに済むとのこと。
まわりは騒然としていましたが、そのランナーの方が「みんな1キロ7分のペースなら大丈夫。自分のしてきた練習を信じよう」と呼びかけてくださいました。そしてランナー同士が「絶対大丈夫! ここから取り返すぞ」と鼓舞し合い、“トイレ待ちランナーの絆”が生まれました。なんとかトイレも済ますことができ、みんなでコースに戻って声を掛け合いながらペースを上げていきました。

もし、この“トイレの絆”がなければ早々に足切りになってレース終了になっていたかもしれません(笑)。
みなさんも、フルマラソンの際のトイレは事前に計画的に! また来年の大会はもっとトイレの数を増やしてほしいとの声が多数ありましたので、どうか来年は増えていますように。
大阪の都心・御堂筋を駆け抜ける景色は圧巻!
無事、“足切り”の危機を脱したころ、コースは御堂筋にさしかかりました。ちょうど10キロ地点です。ふだんは人や車で溢れている御堂筋を走りぬける気分は最高でした。しかも、雪がパラパラとちらつき始め、周辺はにわかに雪景色に。
ふだんの御堂筋の姿とのギャップもあって、私の中ではこの大会3本の指に入るほど絶景になりました。沿道からの声援はよりパワーを増し、道頓堀などの観光名所を横目に走れるのが大阪マラソンの醍醐味です。

大会後、日常に戻った御堂筋を訪れたのですが、「本当にここを走ったんだ」と感慨ひとしお。非日常の出来事だったことは間違いありません。
当日は、ここで応援ランナーのミルクボーイ・内海(崇)さんとすれ違ったのですが、走るランナーの方や沿道の応援の方、一人ひとりに声をかけながら走る姿が印象的で、これぞ“大阪に愛される漫才師”という姿でした。内海さんかっこいい~!
そして御堂筋を抜けると次は千日前通りへ。大阪・ミナミの都心部を走り抜けるのは爽快です。思わずペースも上がってしまい、御堂筋、千日前は1キロ5分を切るペースになっていました。

場所によって変わる沿道の応援
千日前通りを西に進んでいくと、京セラドームを眺めることができる西区エリアに入ります。西区に入って気がついたのは、沿道からの応援の種類が変わったことです。中央区に比べて住宅街が多くなるので、近所の方や商店街をはじめとしたお店の方々からの応援が多くなります。なかには家の窓から大きな声で応援してくださる方や、家族全員でメッセージプレートを持って声をかけてくださる方もいらっしゃいました。
浪速区に入るころには、ちょうど20キロを過ぎ、レースの折り返し地点になります。


折り返しになると、先ほどまでとはメッセージの内容が変わり「あと半分頑張ってや!」「足痛いかもやけど、踏ん張りどきやで!」など、距離に関するものやカラダを労う応援、メッセージボードが増えてきます。
場所によって変わる応援によって常に新鮮な気持ちで走ることができました。折り返し地点を越えたあたりからカラダの節々が痛くなってきたのですが、温かい応援のおかげで心を切らすことなく走ることができました。
正直、この折り返したあたりが本当にしんどくて、何度も“歩いてしまおう”と思ったのですが、沿道からの応援のおかげで立ち止まることなく足を進めることができ、やがてしんどさを感じない“ランナーズハイ”の状態になりました。ここからは痛みやしんどさを感じることなく、ペースも落とさずにラスト1ブロックにたどり着くことができたのです。

30キロ地点を越えて「まいどエイド」がカラダに染みる!
後半、30キロ地点を過ぎて、いよいよラストスパートかと思いきや、ここでランナーの心が折れそうになる“上本町の急激な坂”が待っています。
ふだんでもなかなかにキツい傾斜の坂を、30キロを過ぎてから見たときは、本当に「もうここまでか」と思ったほど(笑)。しかし、坂に挑むランナー同士が励まし合う姿もたくさん見られ、「ここ乗り越えたらもうゴール近いで!」と声を掛け合いながらなんとか登り切ったのです。

そしてこの先にあるのが大阪マラソンのオアシス、給食サービスの「まいどエイド」です。この30キロを過ぎてからのエイドが本当にカラダに染みました。大阪市内各区の商連(商店街連合会)がもてなしてくださり、内容はらっきょう、コロッケ、チョコレート、ドライフルーツから、たこ焼き、ビリケン人形焼といった大阪ならではのものまで種類豊富に用意されていました。体力を使い果たしたに近い状態だったので、私は全種類のエイドを食べました!(笑)

ひとつひとつが本当に美味しくて、ラストひと踏ん張りに向けて最高の栄養補給になりました! この「まいどエイド」は大阪マラソンの名物ですので、ぜひ来年走られる方は楽しみにしておいてください。今年、食べたもののなかで、この「まいどエイド」がいちばん美味しかったです。
ゴールして見た大阪城はピカピカに光っていた
さあ、ゴール目前となりました。足を引きずるランナーの姿も多く見られるようになり、正真正銘の頑張りどころです。
私もかなり下半身に痛みが出ていたのですが、ここで大会前日に約束した和太鼓の演奏を見ることができました。心を揺さぶる和太鼓の音色は、最後のやる気を掻き立ててくれて、なんとか気力を持ち直すことができました。この和太鼓の演奏に限らず、道中のパフォーマンスの方々にはたくさんのパワーをいただきました。


私はこの大阪マラソンを走るうえで、ひとつの目標を立てていました。それは「1回も歩かずに“完走”すること」です。しかし残り5キロを切ってからは本当に足が痛くて、何度も歩いてしまおうかと思いました。しかし、ここで私に力をくれたのが沿道からのハイタッチでした。ゴールに近づけば近づくほど、たくさんの沿道の方々が手を差し出してくれています。最後はそのたくさんの“温かい手”すべてにハイタッチをしてたくさんの元気をいただきながら、なんとか歩くことなく大阪城にたどり着くことができました。
この方々がいなければ、私は心が折れて歩いてしまっていたに違いありません。温かいパワーを、本当にありがとうございました。
さあ、いよいよゴール直前、目の前に現れるのは大阪城です。ここまでたどり着いた達成感と、雪もやんでオレンジに差し込む太陽、そして思わず流れた嬉し涙によって大阪城が金色に光って見えました。

過去に取材した際、「ゴールして見る大阪城は光って見える」と聞いていたのですが、僕の大阪城は“金色”でした。ゴールした他の方々は何色に見えたのでしょうか? 今大会のスローガンは「みんなでかける虹。」です。虹のように、見る人、場所によってそれぞれ違った色に見えたと思います。
そして大声援を受けながら、無事、ゴールすることができました。ゴールしたときの達成感は、ふだんの生活では得られない種類のもので、たいへん感動しました。
また必ず走りたいです
こうして無事、「大阪マラソン2025」を完走することができました。たくさんの人の優しさに触れ、“人情のまち大阪”を肌で感じることができました。沿道で応援してくださった方々、そしてボランティアの方々には感謝してもし尽くせません。本当にありがとうございました。
私はふだん、運動習慣もまったくなく、喫煙者で、毎日お酒を飲み、ライブが終われば打ち上げに行き……といった、カラダに良いところなんてまったくない、なんとも“芸人らしい”生活をしていたのですが、ランニングが日課になり、毎日大量に飲んでいたお酒もきっぱりやめることができて、体がすごく健康になったり、頭も冴えるようになったりと、マラソンを初めてからいい影響がたくさん出ていました。

この“変われた”経験は私にとって大きな財産になりました。大阪マラソンに感謝です。すっかりマラソンに目覚めてしまいましたので、引き続きトレーニングをして、ほかの大会にも参加してみたいですし、何より再び大阪マラソンに挑戦して、次はもっと高い目標を達成できるようになりたいです。
最後に、大阪マラソンは素晴らしい大会でした。もしチャレンジしてみたいという方がいれば、私は迷いなく参加することをおすすめします。なぜなら、大阪マラソンは“温かい大会”だからです。
マラソンといえば孤独な戦いを想像しますが、大阪マラソンはたくさんの方々にパワーをもらいながら走ることができます。今回の大会はパワーをいただいてばっかりだったので、次からはたくさんの人にパワーを与えられるようになります! また必ず大阪マラソンを走りたいです。ありがとうございました。
