「シモキタブラボー! 」シモキタに猿現る
下北沢歴23年芸人ピストジャム初連載

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

#04「シモキタに猿現る」

2021年11月2日午前7時半ごろ、世田谷区の代田付近で猿が目撃されたらしい。ツイッターでは「シモキタに猿現る」という記事や、実際に遭遇した人たちのツイートが流れてきた。

なぜこの猿は下北沢なんかにやってきたのだろう。おしゃれな古着を買いにきたんだろうか。それとも、どうしても観たい演劇やバンドのライブがあったのだろうか。いや、10周年を迎えた下北沢カレーフェスティバルに参加するためにやってきたのかもしれない。

僕は、この猿が下北沢にやってきたのには何か理由があるのではないのかと考えた。

昔、下北沢の駅近くに『マサコ』という名前のジャズ喫茶があった。マサコは白い一軒家の1階部分にあり、2階はオーナーさんの住居だった。外壁には茶色のペンキで『JAZZ マサコ』と何とも言えない味のある字で書かれていた。店内には巨大なスピーカーが設置され、絨毯とテーブルクロスは赤で統一されていたが、ほかは雑多そのもの。テーブルのサイズは大小ばらばらだったし、椅子の種類もいろいろだった。木製のベンチや、背もたれがついたひとり掛けの椅子には座布団が敷かれていたのだが、座布団の柄や色もさまざまだった。

壁には、マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンといった有名ジャズプレーヤーの肖像画が飾られていて、その隙間を縫うように手書きのメニューが所狭しと貼られていた。漫画も漫画喫茶かと思うほど大量に置かれ、マサコの店内はシンプルな外観からは想像できないほどのにぎやかさだった。

マサコのそんな雑然とした雰囲気が好きだった。敷居が高いと思っていたジャズ喫茶は、マサコのおかげで身近なものになった。店に入ると、まずマサコの店のマッチをもらって席につき、コーヒーとあんトーストを注文するのが僕のお決まりだった。

マサコのマッチにはジャズアートで有名な久保幸三さんが描いたトランペットを吹くルイ・アームストロングの絵が全面にプリントされた面と、黒地に白文字で『ジャズを楽しむお店 JAZZ&COFFEE 下北沢南口徒歩2分 マサコ』と店の外壁に書かれた字体と同じ手書きの文字で書かれた面があって、それがたまらなくかわいかった。マサコのマッチで吸うたばこは格別においしく感じられたし、マッチを持ち帰って部屋に置いているだけで気分が上がった。

マサコには、まあまあな大きさの猿がいた。人に慣れているからか、老いているからか、動きはのそっとしていて、とてもおとなしかった。店の入り口に繋がれてじっと座っているときもあったし、2階の窓から何か考えごとをしているような顔でぼーっと外を眺めているときもあった。オーナーさんが下北沢の街中を散歩させている姿もよく見かけた。僕はマサコの猿だと知っているから受け入れていたが、知らない人からすると異様な光景だっただろう。きっといまならインスタグラムで大バズりしているに違いない。

出典: FANY マガジン
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イラスト:ピストジャム

ジャズ喫茶は、私語禁止のところが多いと聞いていたが、マサコは違った。カップルや、友達と来て、楽しそうに話しているお客さんは結構いた。私語禁止だったら嫌だな、緊張するなと思っていたので、そうじゃなくて安心した。でも、僕はつねにひとりだったので、私語禁止のルールは僕には全然関係なかった。

いつも何をするわけでもなく、ただコーヒーを飲みながら、たばこを吸って、まどろんでいた。ジャズを聴いていたというより、音を浴びながら、その空間に身をゆだねていることが心地よかった。腕組み、足組みをして、思い詰めたような表情をしていたが、頭の中は空っぽだった。もしかしたら、マサコの猿も僕と同じ楽しみかたをしていたのかもしれない。

マサコは、下北沢の再開発のために2009年に惜しまれながら閉店した。いま、マサコがあった場所には『レシピシモキタ』という商業施設が建っている。猿はマサコ閉店の少し前に亡くなったらしい。再開発が進み、街は活気が出てきたが、マサコと猿がいなくなった下北沢は少しさみしくなった。

マサコがなくなってから11年経った一昨年、突然下北沢にマサコが復活した。以前マサコで働いていた従業員が、新しく店を引き継いで営業を再開させたのだ。店の備品やレコードも閉店後ずっと保存していたらしく、復活した店では当時のスピーカーやテーブル、椅子がそのまま使われていた。新しいマサコの看板には、僕が好きなあの手書きの文字に、いままでなかったビリケンさんのようなイラストが添えられていた。

ああ。これは、あの猿だ。

熱いものを感じてうれしくなった。やはり、マサコには猿がいないと完成しない。

下北沢に猿が現れた。下北沢に猿がいることは、昔は日常のひとコマだった。マサコがあったときならニュースにもならなかったはずだ。マサコがあったときなら? いや、マサコはもうある。

そうか、あの猿はマサコに行こうとしてたんだ。


出典: FANY マガジン
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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