ピストジャム初連載「シモキタブラボー! 」
「30cmのスニーカーをはいた男」

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

#05「30cmのスニーカーをはいた男」

ずっと風呂なしの部屋に住んでいたので、銭湯にはよく通った。いや、かっこつけて「よく通った」と書いたが、「よく通った」なんてレベルじゃない。10年以上風呂なしの部屋だったので、3000日は銭湯でその日の垢を落としている。これまでにシモキタの銭湯に落としたお金は、100万円じゃきかない。

銭湯通いをしたことがない人からすると、お風呂に入るためにわざわざ家を出るのは面倒くさいとか、入れる時間が決まっているのは不便だとか、マイナスなイメージが先行するだろう。なかには、そもそも近所に銭湯がないから、そんな生活は想像すらできないという人もいるはずだ。

しかし、銭湯はいい。部屋にお風呂があるのに越したことはないが、銭湯には家庭用の湯船では絶対に味わえない圧倒的な開放感がある。銭湯を出たあとは、ぽかぽかして帰り道の夜風も気持ちいい。不思議と悩みや考えごとも軽くなっている。なにより、ごはんがいつもよりおいしく感じられる。ビールはもちろん、たばこまでおいしい。もし地球最後の日があったとすれば、僕は間違いなく銭湯に行く。

幸い、下北沢周辺には銭湯が多かった。清潔感抜群の石川湯。裏に大きな煙突がそびえ立つ山の湯。織田裕二さんと鈴木保奈美さんが主演した『東京ラブストーリー』のロケにも使われた代沢湯。天然温泉の黒湯が有名な第二淡島湯(のちに淡島湯温泉に改名)。薪で沸かした柔らかいお湯が売りの新寿湯。そして、下北沢駅から徒歩3分で一番街商店街のど真ん中にある八幡湯。

この6軒の銭湯があったおかげで、定休日に見舞われてもほかの銭湯にすぐに行けたし、日替わりでいろんな銭湯を楽しむことができた。僕の銭湯ライフは、最高に充実していた。

ただ、銭湯が開くのはだいたい15時くらいからなので、舞台の仕事が入っている日だけは、朝から営業しているコインシャワーに行っていた。コインシャワーは、200円で7分間シャワーが出るという仕組みで、銭湯に比べて出費は安く済むのだが、急かされてシャワーを浴びている感じがするし、シャワーボックスが狭いのであまり好きではなかった。あと、フィットネスクラブの会員になれば、月額の利用料金だけでいつでもシャワーを浴びられるという裏技もあったが、それもやらなかった。お金はなくとも、銭湯に行くことをケチる気にはならなかった。

毎日のように銭湯に通っていると、よく顔を合わせる人が数人出てくる。別にその人たちと話したりすることはないのだが、なんとなくおたがいに存在を認識しているのは視線の感じでわかる。あの人のお気に入りの席はあそこだなとか、あの人は毎回入る前とあとに体重を量っているなとか、あの人は湯船につかるときに絶対に声を出すなとか、いろいろ特徴がつかめてくる。しばらく会わないと、「体調崩してるのかな?」とか、「転職して生活リズムが変わったのかな?」とか、「引っ越したのかな?」とか、ちょっと気になったりする。

以前、下北沢のコンビニで深夜に買いものしたときに、やたら店員さんが顔を見てくるなと思ったら、よく銭湯で顔を合わすおじさんだった。いつも全裸の状態でしか見ていなかったから、服を着ている姿が逆に気恥ずかしかった。

たまに先輩の芸人と洗い場で出くわすこともあるのだが、これは困った。話したことのあるかたなら、いつも通り挨拶して済む。だが初対面の先輩の場合、こちらが気づいたからといって挨拶しに行っても、おたがい全裸なので、もし話が弾まなければ気まずさが倍増するだろう。悩んだ結果、かなり長めにシャンプーしてやりすごすという方法で乗り切っていた。ちなみに、その先輩とはロバートの秋山さんとラーメンズの片桐さんだ。

下北沢に住み始めたのは20年前なのだが、以前はもっと銭湯があったらしい。聞いたことがあるだけでも、沢の湯、寿湯、守山湯、第二久づま湯、淡島湯、きたざわ湯という6軒の銭湯があった。もしこれらの銭湯がいまでも残っていたとしたら、きっと下北沢は《演劇の街》や《古着の街》ではなく《銭湯の街》と呼ばれていたかもしれない。

僕が通った銭湯も、この15年で次々と廃業していった。昭和初期から営業していた代沢湯と山の湯が70年以上もの歴史に幕を閉じ、続いて八幡湯、第二淡島湯が閉館した。

八幡湯がなくなると聞いたときはショックだった。八幡湯は、周辺の銭湯で一番遅くまで営業していたので、もっとも重宝していた。24時までの営業になっているのだが、閉めるのは24時半なので、ぎりぎりに飛び込んでも番台のおばさんに「すぐ出るから」とお願いすれば入れてくれた。

雰囲気もとりわけ好きだった。入り口には『殿方 八幡湯 御婦人』と書かれた渋い看板が光っていた。3段ほどの小さな階段を降りて建物の中に入ると、正面に八幡湯以外では目にしたことのない鍵式の木製の傘立てがあった。たたきで靴を脱ぎ、下駄箱に入れなければならないのだが、僕は30cmのスニーカーをはいているので、下駄箱に収まりきらず、いつも棚の上にちょこんと置いていた。

出典: FANY マガジン
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イラスト:ピストジャム

脱衣場に入ると、入ってすぐ右側に年季の入った木組みの番台があり、そこにおばさんが座っていた。床は板張りで、体重計もレトロな目盛り式だ。トイレはもちろん和式で、トイレ横の大きな窓から外をのぞくと庭があって、苔のむしたごつごつとした岩が無造作に積まれている。歴史を感じさせるには十分だった。

洗い場の男湯と女湯を仕切るタイルの壁は、ほかの銭湯に比べると少し低い気がした。壁には、湯船につかるとちょうど見やすい高さに、商店街の店や歯医者や病院などの看板広告が飾られていた。店名と電話番号だけの簡単な手書きの看板だったのだが、その手書きの感じがなんとも味があっていやされた。

今、八幡湯があった場所は古着屋になっている。あの渋い看板は取り外され、古着屋の看板にすげ替わったが、扉や外壁は当時のままだった。内装も、脱衣場の床の板張り、洗い場の床のタイル、和式のトイレ、岩のある庭はそのまま残されていた。

店に入ると、通っていたときの癖で、男湯があった左側に自然と行ってしまったのには自分でも驚いた。店内を歩いていると、足もとのタイルが見覚えのない色に変わり、ここからは女湯なんだと気づいて一瞬躊躇した。いけないことをしているわけではないのだが、あれだけ通った八幡湯の女湯に足を踏み入れたんだと思うと、少しテンションが上がった。八幡湯の女湯も、30cmのスニーカーをはいた男が、女湯のエリアに入ってくるなんて想像もしていなかっただろう。

八幡湯を利用していた身としては、当時の面影が残っていてうれしかったことは言うまでもない。残せるものは残して再利用するという考えも、古着屋らしくておもしろい。

帰り際、店の名前を覚えておこうと思って振り返ると、ネオン管で『NEW YORK JOE』と書かれていた。ニューヨークジョー。にゅーよーくじょー。にゅうよくじょう。入浴場。

うまい! ざぶとん1010枚! セントウだけに。


出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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