2年前に始まった上方落語家・四代 桂小文枝の襲名披露公演『きん枝改メ 四代 桂小文枝襲名披露公演』がコロナ禍の影響で度重なる延期の末、3月26日(金)に大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA TTホールでようやく千穐楽を迎えました。東西の重鎮がズラリと並んだ公演は、お互いの強い信頼関係が感じられる、充実した内容となりました。
2019年3月12日に始まった本公演。本来は2020年3月12日に千穐楽を迎える予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期、再延期となり、2年がかりの千穐楽となりました。
そんなこともあってか、この日配られたパンフレットに小文枝は「お客様の前で落語出来ることがこんなに嬉しく、また、楽しいものなんだと実感しております」と綴り、思いもひとしおのようでした。
「古いパンツのゴムみたいに延びた…」
公演は、出演者などを紹介する口上から始まりました。小文枝の左右には、兄弟子の桂文枝、月亭八方、笑福亭鶴瓶、三遊亭好楽、そして司会を務める弟弟子の桂枝光と、東西の重鎮が並びました。
まずは文枝があいさつし、小文枝が並々ならぬ思いで今日の日を迎えたことを明かします。
「小文枝の襲名がだいぶん前に始まって。1年くらいかけて(各地を)回って終わる予定が延びて、また延びて、また延びて、古いパンツのゴムみたいになって。また“きん枝”に戻ろうという話も出ていたのですが、最後にこういうなかで迎えられました。なんとしてもやらなければ、けじめがつかないということでした」
そして、小文枝について「ええかげんな男ですが、気のええ、気の合う兄弟弟子です。師匠(五代目文枝)にもかわいがられ、いちばん怒られ、後輩にも慕われて……」と語り、こう続けます。
「私が上方落語協会会長になって、天満天神繁昌亭(大阪市の寄席)をはじめ、いろいろさせていただきましたが、実際に動いたのは、べんちゃんです。べんちゃんがいないと、繁昌亭、喜楽館(神戸市の寄席)は建っていませんでした。面倒見のいい、素晴らしい男です」
文枝は小文枝のことを、本名・立入勉三から取った“べんちゃん”の愛称で呼び、親しみを込めて話しました。
口上で豪華メンバーからエール!
ここで急遽、「上方落語の襲名ではふつう、本人はしゃべらないのですが、最後にあいさつさせてもらってよろしいでしょうか」と一言添えて、小文枝があいさつすることに。
「本日は大変ななか、たくさんの方にご来場いただき、ありがとうございます。(感染拡大予防のため)楽屋見舞いなど一切お断りとなっておりますので、せめて、最後までどうぞ楽しんでお帰りくださいませ」
文枝も「これから一生懸命頑張って、文枝、小文枝で上方落語界を盛り上げていきたいと思います」と意気込みました。
続いて、“小文枝の親友でゴルフのライバル”と紹介を受けた八方は、「今日は彼のいいところを……」と小文枝の寛大さ、心の広さを、具体例を挙げながら伝えます。
ところが一転、「彼は二度、結婚して。おまけに一度目の奥様と離婚するときは、奥さんが何も言わず、離婚届を前に『判を押して』と言うと、『よっしゃ~』と言って押したそうです。なかなかできた人間です」と笑わせた後、「芸の幅も広げて、これからも頑張っていきますので、よろしくお願いします」と頭を下げました。
次に鶴瓶が、小文枝が昨年11月にコロナに感染したことから、「(小文枝は)噺家の中でコロナ第1号」とコメント。「忙しいなか、(千穐楽が)この日に決まるということを知らなかったんです。聖火ランナーも断っていたので、これも断ろうと思ったんです。こんなことをしている場合じゃないですよ、正直言って。今日はうちの嫁さんの誕生日なんです」と、ぼやいて笑わせます。
そのうえで、鶴瓶の師匠である笑福亭松鶴が小文枝のことをかわいがっていたこと、かつて小文枝が選挙に出たことなどを語ると、「人望もあって、僕も大好きです」と愛情もたっぷり感じさせます。最後に「僕らも微力ながら応援していきますので、上方落語協会も小文枝を盛り上げていきたいと思います」と言葉を贈りました。
さらに好楽が、文枝から「東京代表で来てほしい」との依頼があったと明かし、「落語家になった以上、みんな兄弟。兄弟は芸のケンカがいちばんです。小文枝が金看板になりますように」とエール。最後は、好楽が音頭を取って三本締めで口上を締めました。
「1年間、待っていただきました」
その後、桂文太が『もぎとり』、八方が『狸さい』、文枝が『ぼやき酒屋』を披露。中入り後に、鶴瓶が『青木先生』、好楽が『風呂敷』を口演しました。
トリを務めるのは小文枝。一旦、幕が閉まり、再び開くと、ご贔屓さんから贈られた祝幕が舞台に華を添えていました。
小文枝はマクラで「これで一応、千穐楽です。約1年間、待っていただきました。(公演の)切符をお持ちの方のなかには『もうないだろう』と思い、『昨日、シュレッダーにかけた』という方もいました」と。この日までの長さをしみじみ語ります。
そして、「ネタは師匠(五代目文枝)が作られた『熊野詣』です。(お伊勢参りの様子を描いた)『東の旅』というものはありますが、熊野詣の噺がないということで作られました」と演目を紹介し。父と息子が、亡き妻への思いを抱き熊野詣に出た様子を描いた噺を、小文枝は生き生きと演じ、2年がかりの公演は無事に幕を閉じました。