オフィス北野
「写真撮りまあす」
ライブ後の恒例行事。着替えや片づけを済ませた芸人たちが、ぞろぞろと舞台に上がる。
50人入れば満席に見える小さな劇場、しもきた空間リバティ。お客さんが帰ったあとの誰もいない客席の真ん中で、工藤くんが声をかける。
彼がいなければ、このお笑いライブは成り立たない。音響も照明も、すべてひとりでやってくれている。毎月一回、しかも無償で。
工藤くんは、芸人ではない。シモキタのピザ屋でバイトするフリーターだ。
でも、かつては芸人を志していた。ビートたけしさんに憧れて、大分から上京し、たけしさんに弟子入りを志願した。弟子入りを志願したと言っても、最初からたけしさんに会いに行ったわけではない。
たけし軍団に入るためにいろいろ調べていたら、その日たまたま三又又三さんがトークライブをやっているという情報を見つけ、三又さんの出待ちをしようと思い立った。初回は無視されたが、4回続けて出待ちをしたら話してもらえて、たけしさんの弟子のマダ村越さんを紹介されたという。
村越さんは、たけしさんの付き人と運転手をしていた。工藤くんが村越さんを紹介された時期に、僕も村越さんと出会っていた。僕と村越さんとは同い年ということもあり、気が合った。村越さんのたまの休みに飲みに行ったりして、おたがいの近況を報告し合う仲だった。
村越さんから聞くたけしさんやたけし軍団の話は刺激的だった。僕が歩んできた芸人の道と、全然違う道を村越さんは歩んでいた。
たけしさんの映画に出演したり、現在ベナン共和国の外交官をしているゾマホンさんとコンビを組んだり。なにより、毎日のようにたけしさんと会っていることがそもそもすごい。信じられない生活だ。
たけしさんの弟子になるには、いろんなパターンがあるらしいのだが、弟子志願者は、まずたけし軍団の誰かが、ある程度面倒を見るのが通例になっているという。たけしさんに紹介しても大丈夫な奴なのか、見極める期間が設けられているのだ。
工藤くんは、その見極め期間の間に心が折れてしまった。三又さんの身のまわりのお世話をしたり、アル北郷さんのお宅に居候させてもらったり、たけしさんとも会える機会があったらしい。が、自分には芸人は無理だと思い、弟子志願を辞退したという。
工藤くんから聞いた弟子志願時代の話は強烈だった。三又さんの家に呼ばれて行ったら、
「背中をかいてほしい」
と頼まれて、三又さんの背中をずっとかいていたらしい。
僕も先輩に頼まれて、いままでいろんな雑用をさせられてきた。でも、先輩の背中をかいたことはまだ一度もない。これは、なかなかの体験だ。
初めて工藤くんと会ったのは、新宿のルノアールという喫茶店だった。村越さんから連絡が来て会いに行くと、村越さんの隣にめがねをかけたおとなしそうな男性が座っていた。それが、工藤くんだった。
彼は、突然現れた僕に恐縮した様子でおどおどしていた。自己紹介されたが、声もか細く小さくて、よく聞き取れなかった。
村越さんは、8年に渡る付き人と運転手をあがり、最近アッチャンズというコンビを組んだらしい。芸名も近藤夢(こんどうゆめ)に変わったという。相方は、近藤六(こんどうろく)。
「二人とも音読みしたら、コンドームやん」
僕がツッコむと、村越さんは
「殿がつけてくれたんで」
と、アイスコーヒーを飲みながらはにかんだ。
今日の話は、それだけではなかった。
「これから自由に動けるんで、お笑いライブを立ち上げようと思ってて。協力してもらえませんか」
マダ村越改め、近藤夢が改まる。
「もちろん。やりましょう。楽しみです」
「10組くらい集めようと思ってるんですけど、ほかに出てくれるコンビとか紹介してもらえませんか」
「いっぱいいますよ。任せてください。みんなライブ少ないんで。声かけてみます。工藤くんも出るんですか」
「あ……、いや……。僕は、出ないです」
「こいつには、いろいろ音響とかスタッフとして手伝ってもらおうと思ってて」
「そうなんですね。僕が言うことじゃないけど、出たらいいのに」
「いや……、もう……。僕には、無理です」
「何があったん?」
「本当に……、お手伝いさせてもらえるだけで、ありがたいんで……」
「いや、ありがたいんでって。もしかして、脅されてる? 誰か人質に取られて、無理やり手伝わさせられてるんじゃない?」
「いや……、脅されて……ないです……」
「脅されてるやん。いまの返事、脅されてる人の返事やん」
「本当に……脅されてないです」
「絶対脅されてるやろ。村越さん、工藤くんに何したんですか?」
「何にもしてないですよ。ただ、ライブやろうと思ってるから手伝ってって言っただけですよ」
「カツアゲとかされてない? 大丈夫?」
工藤くんが初めて笑った。
「大丈夫です。本当に……お笑い好きなんで……」
「声ちっちゃ」
「すいません……」
笑いながら夢さんが割って入る。
「こいつ、おもしろいんですよ」
「シンペイさん、もうちょっと中に入ってください」
スマホをのぞきながら、客席から工藤くんが声をかける。
「じゃ、いきまあす。3、2、あっ、だめ、だめ、いやあん」
芸人たちが一斉に吹き出す。
「なんだよそれ」
「普通に『はいチーズ』でいいよ」
「タイミングわからへんわ」
みな笑顔で口々にツッコむ。
「じゃ、もう一回撮りまあす」
工藤くんは、スマホ片手に、反対の手でTシャツの裾をゆっくりとまくり上げる。腹が見えた。
腹には、大きな刺青が。血だらけの落武者の生首!
そして、やさしいおばあちゃんのような声色で
「ハアイ、チイズ」
再び爆笑がわき起こる。
「腹話術みたいにすんな」
「生首がそんな声出すか」
「刺青いかつすぎるやろ」
「なんでその柄にしようと思ったんだよ」
「いつまで見せてんねん」
彼のおかげで、毎回集合写真は全員満面の笑みに。
しもきた空間リバティは、一昨年コロナ禍の煽りを受けて閉館した。家から5分で行ける劇場だったのに。残念だ。小屋番のおじさん、いつもにこにこしてて好きだったなあ。楽屋の隣の喫煙所、めちゃくちゃ広くて快適だったなあ。喫煙所で、真心タッチの島田と話すの楽しかったなあ。
「島田、ついに魔法使えるようになったらしいな」
「なってねえよ」
「でも、さっき加藤が『島田、この前30歳になった』って言ってたで」
「だからなんなんだよ」
「魔法使い芸人かあ。これは売れるなあ」
「使えねえって言ってんだろ。なんだよ魔法使い芸人って」
「いいやん、アメトーーク出れるやん。『僕たちは、魔法使い芸人です』って」
「出たくねえよ! ただの童貞の集まりだろ!」
ライブは近藤商店という名で、アッチャンズが解散するまでの丸4年間、毎月おこなわれた。一旦終わってからも、年に1回おこなわれ、開催は計50回に達した。
メンバーには、オフィス北野、吉本、松竹、ソニー、ケイダッシュなど、様々な事務所の芸人が集まった。それに事務所に所属していないフリーの芸人も数組。事務所や先輩後輩の垣根を越えて、一丸になって取り組んでいた。
みなで喫茶店に集まり、企画コーナーの打ち合わせも毎月欠かさずやった。ひとりでもお客さんを増やすために、トリグミのじゅんぺいとは、毎週シモキタの駅前でチラシ配りもした。
最初は少なかったお客さんも徐々に増え、ゲストにダンカンさんが来てくださったり、吉本のライブとはまた違った貴重な経験をたくさんさせてもらった。地下芸人の地下ライブと言われればそれまでだが、僕の青春はその地下に確かにあった。
2012年5月29日。近藤商店がおこなわれたその日は、ちょうど夢さんの34歳の誕生日だった。その日のゲストは、ほたるゲンジさん。
ライブが終わると、夢さんがみなに
「師匠が六本木で飲んでるみたいで、誘われたんですけど、このライブのことを話したら、全員連れて来いって言ってるんですけど、来ます?」
と声をかけられた。
僕は、驚きながらも
「ぜひお願いします」
と答えたが、なかには驚きすぎて手が震え出している芸人もいた。
結局、その日の出演者全員でお邪魔し、たけしさんと一緒に飲ませていただいた。餃子をつつきながら、20人くらいで。そこは、ほたるゲンジの無法松さんのお店で貸し切りになっていた。
帰り際、たけしさんからポチ袋をいただいた。たけしさんが描いた、左手に一輪の花を持った、翼の生えた天使の姿がプリントされたオリジナルの赤いポチ袋だった。開けると、中には新札の1万円札がきれいに折られて入っていた。
帰宅後、僕はいただいたポチ袋をチャック付きの小さなビニール袋に入れて、お守りとして財布に忍ばせた。神様からいただいた大切なお守り。それは、財布を変えるたびに新しい財布に移し替え、いまでも肌身離さず大事に持ち歩いている。
たけしさんとお会いした翌月、夢さんに
「いただいたポチ袋、こうやって財布に入れさせてもらってます」
と言って見せたら
「中の金はどうしたんですか」
と訊かれた。
「もちろん入ったままです。使ってないです」
と答えると、夢さんは
「使ったほうがいいですよ。俺なんか、次の日に全部パチンコで使っちゃいましたよ」
と笑った。
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。
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