78歳・池乃めだか“史上最年長座長”公演を前に新喜劇を語る! 「寛平ちゃんは親友でありライバル、もう別格やね」

身長149cmの“ちっさいおっさん”こと池乃めだかが、6月28日(火)から7月4日(月)までの「なんばグランド花月本公演」で78歳の史上最年長座長として吉本新喜劇の舞台に立ちます! めだかは1966年にデビューした後、漫才コンビの海原かける・めぐるとして活躍し、1976年に新喜劇入団。以来、40年以上にわたって第一線で活躍してきた、まさに“レジェンド”といえる存在。そこで今回は、初日を目前に控えためだかに、公演への意気込みはもちろん、新喜劇にまつわる思い出や若手への期待など、たっぷり語ってもらいました。

出典: FANY マガジン
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初日を前に「平常心を装ってます」

──史上最年長座長としての公演に向けて、いまの心境から聞かせてください。

いよいよ近づいてきたけど、いまさら、頑張ってこうしようとか、心改めたりしたってしゃあないから、なるようにしかならんやろうという開き直った気持ちですよね。

──最初に座長公演の話を聞いたときは、どんな気持ちでしたか?

正直言うて、「もう、いまさらええやん」というような気持ちやったけどね(笑)。せやけど、前向きに考えて、来たものは受けて立ちましょうかと。それが、残された人生の生きるエネルギー源になるかなと思ってね。来たらなんでも「よっしゃ!」って。

──座員をはじめ周囲の皆さんの反応は?

別にこれといってないねえ(笑)。さっきも「来週よろしくお願いします」って言われて、一瞬、なんのことかわからんかったんやけど、しばらくして気づいて「おお、そうか。お願いします」と言うたぐらいやし。

──つまり、平常心で……。

平常心を装ってますね(笑)。

出典: FANY マガジン
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──共演には、内場勝則さん、Mr.オクレさん、清水けんじさん、山田花子さんなどの名前が並んでいます。

なかでもうっちゃん(内場)は、あいつが25、26のころからずっと付き合いがあるんで、下積みがあって、座長になって、その間のいろんな新喜劇人生を間近で見てきてる。お客さんが入れへん、新喜劇の幕が開いたらお客さんがゾロゾロ帰っていくとか、そんな時期も一緒に経験してきたから、まあまあ、安っぽい言葉で言うたら戦友やな。

──79歳の誕生日を、公演中の7月3日(日)に迎えることになりますね。

あ、ホンマやな。なにも考えてなかった(笑)。いままでも舞台で誕生日というのはあったんですよ。5年ぐらい前かな? 自分ではそんなこと忘れて舞台に立ってたら、緞帳(どんちょう)が下りて「おつかれさまでした」となったときに、川畑(泰史)くんが「今日、めだか兄さん誕生日ですよね。おめでとうございます」って言うて、ケーキかなんか出してもらって……。あれはちょっと感動したね。

──今回も、どなたかがサプライズを仕込んでいるかもしれません。

自分から言うかわからへんしな、「なにか用意しといてください」って(笑)。

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楽屋で声をかけてくれたのは…

──新喜劇での初舞台は覚えていますか?

なんの役やったとか、覚えてないですねえ。漫才(海原かける・めぐる)で30歳の時に吉本興業へ入って、新喜劇の皆さんの顔は知ってましたけど、個人的に飲み行ったりとかはしたことがなくて……。寛平ちゃんだけやね、ゴハンに行ったり、飲みに行ったりしてたのは。新喜劇に入った当初は、もう楽屋でポツーンと座っとって、話する人も誰もおらへん。そんなとき、平参平さんが「おいこら、どこの組のモンじゃ」って冗談みたいに声をかけてくれたんです。やっと相手にしてくれはったというか、それで溶け込んでいけたというかね。そんな思い出はあるんですけど。

──舞台上でのハプニングも、いろいろあったんじゃないでしょうか。

そうやねえ。(入団した)当時の新喜劇は、けっこう重い芝居もあったんですよ。あるとき、先輩がおじいちゃん、僕が孫という設定で、おじいちゃんがどっか外国へ行くと。別れのシーンで僕が「おじいちゃん、行かんといてよ」って言うたら、先輩が「お母ちゃんの言うこと聞いて、賢くしておけよ」とか、そんなやりとりがあったんですけど、引っ込む間際にえらい噛みはったんですよ。いまの新喜劇やったら、みんな笑って、なんやったら「噛んどるやないかい!」とか言うと思うんですけど、当時はそんなん全然なくて、噛んだまま引っ込んでいかはった。残された僕は涙流して「おじいちゃん!」って言わなアカンねんけど、笑うわけにいかへんし辛かったなあということを、妙に覚えてます(笑)。

──では、めだか師匠にとって“新喜劇のスター”といえば?

やっぱり花紀京さんやね。岡八朗さんもそうです。花紀京さんも岡八朗さんも座長とかじゃなかったんやけど、やっぱり名実ともに座長やったと思うんですよ。自他ともに認める座長というんかな。

出典: FANY マガジン
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──同世代の“盟友”といえば、やはり新喜劇のゼネラルマネージャー(GM)になった寛平師匠でしょうか。

寛平ちゃんは、僕にとってはもう別格やね。親友でありライバルであり、みたいな。吉本に入って、当時のなんば花月で漫才やってるときに、テレビ番組『モーレツ!!しごき教室』(MBS)が始まったんですよ。寛平、(木村)進、楠本見江子さん、伴大吾、かける・めぐるの6人がレギュラーで出演してたんですけど、そこで週1回顔を合わすので、合間にゴハン行ったりお茶飲みに行ったりして、いろんな話をしてね。年は僕のほうがずいぶん上やったけど、吉本では向こうのほうが先輩やし、そんなんでなんか親しくなっていきました。

後輩に対して“絶対しなかったこと”とは?

──新喜劇で長く活躍してきためだか師匠が、いつも心がけていることは何ですか?

叱るときは、後輩といえども、やっぱりプライドがあるから、それを潰すような怒り方は絶対せんとこうと思ってました。もちろん来るのが遅かったりしたら、「もっと早く楽屋に入るように」とか、そういうのは注意したりしますけど、なかには「お前らみたいなもん一生売れるか! カス!」みたいなことを言う先輩もいたんですよ。その後輩が2、3年したらバーンと売れてスターになって、急に「おはようさん。このごろ頑張ってんな」と言うてる姿を見たときに、「自分だけは、こんなんなりとうない」と思って(笑)。後輩であっても偉そうには言わないように気をつけようと……。これは通してきましたね。

──若手座員との交流はありますか?

あるほうでしょうね。ただ、自分から「師匠、ゴハン連れてってくださいよ」とか言うてくる若い子はちょっとおらんなあ。だから、慣れた後輩を誘うときに、コソッと「あの子、声かけたげえや」って言うて。接点ない子は、そうやって近づいていってるね。

出典: FANY マガジン
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──それは皆さん、すごくうれしいんじゃないでしょうか。

でもね、難しいんですよ。この子に声かけたら、この子も声かけなアカンとか、そのへんの選定も難しいし……。というて、みんな来い来いっていうわけにもねえ(笑)。

──めだか師匠が、これから挑戦したいことも教えてください。

生きるのに精一杯(笑)。いやホンマ、そういう夢を持ってる人が羨ましい。「持ったらええやんか」て言われるけど、持てないんやなあ。いままでも行き当たりばったりの人生を送ってきとるから(笑)。新喜劇に入った当時、『ポケットミュージカルス』という演目があって(本公演のネタと新喜劇の合間に歌手や芸人が歌やコントを披露するコーナー)、新喜劇の人間でもちょっと歌上手い人やったらそこで歌えるねん。それぐらいやね、目標やったのって。『ポケットミュージカルス』で歌えるような芸人になりたいって。

──歌といえば、近年では『KOYABU SONIC』(小籔千豊が主催する音楽イベント)で、いろんなアーティストと共演して歌を披露してきました。(チャットモンチー『シャングリラ』、スチャダラパー『今夜はブギーバック』など)

あれはもう苦しみでしたよ(笑)。毎回、歌ったことないような歌で、リハーサルもカンぺもない。3カ月ぐらい準備期間はあったから、1人でカラオケに行って練習してたけど、自分の中にないようなメロディやし、テンポもラップっぽいのとかが多くてね。でも、歌が終わって袖に入っていったら、たくさんの人たちがパーッと拍手してくれて。そのときに達成感っていうのかな、「やってよかったなあ」と思いました。それからは「またかいな」と言いながら、ものすごく楽しみにしてます。小籔くんにお礼を言わんといかんな。一生懸命やったら何とかなるということを教えてくれてんもん(笑)。

出典: FANY マガジン
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「面白い芸人」を目指してほしい

──めだか師匠が今後、新喜劇に期待することは何ですか?

寛平ちゃんがそうであったように、島木譲二くんもそうであったように、みんな面白い人を目指してほしい。売れるためにはどうやったらええか、目に留まるにはどうやったらええかという作戦だけで……もちろんそれで成功してテレビを賑わしてる人もおるからええねんけど、お笑い人としては「面白いことを言いたい」「面白いことをしたい」やん。だから、面白い芸人さんを目指してほしいなと。たとえばYouTuberになって何億と稼いでる人がテレビに出たりして、ちょっと粋なコメントとかしはるけど、やっぱり“お笑い人”じゃないねん。このジャンルがある限りは、“お笑い人”を目指してほしいなと思います。

──最後に、めだか師匠にとって新喜劇とは?

飯のタネやな(笑)。もっと夢のあること言いたいけど、ホンマに新喜劇があったからこそ、こうやって生きとるんやもん。(芸人になる前)三洋電機いうとこに入社したんやけど、そのままおったらとうに定年迎えてたし、たぶん生きる希望とか自分自身の存在感とかはなかったんちゃうかなと。新喜劇があったからこそ、いまも生きとるし、まだ生きたいなと思っとるし。

──すべてが舞台に立っているからこそ。

そう。「うわーしんどいな、今日4回公演やで」と言うても、いざ舞台に立ったら一生懸命やっとんのよ。まあ、生きとるすべてですね。

出典: FANY マガジン
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