FANYマガジンを読んでくださっている皆さま、こんにちは。吉本新喜劇の座員で、芸人ライターとしても活動している吉岡友見です。じつは今回、ちょっと特殊なシチュエーションでインタビューをさせてもらいました。不安だらけの“現場”でしたが、インタビュー相手は同じ新喜劇座員の曽麻綾さん。生まれ育ちはカナダ、19歳で来日して入団という変わった経歴の持ち主で、とてもしっかりしている(しすぎている)後輩の座員です。少し安心。
そんな、インタビュアーのほうがアワアワしているインタビューの様子をお伝えします。65周年を迎えた新喜劇に入団6年目の曽麻が思うこととは――!?
と、なんのためらいもなく「皆さまご存じの」というテンションで芸人ライターと名乗ってしまいましたが、芸人ライターってなんやねん、ですよね。わたくし吉岡は、2021年に吉本が開催した「第1回芸人ライター講座」を約2カ月受講し、現在、新喜劇の活動と並行してこのようにライターのお仕事もしています。
芸人からプロのライターを育てようというこの講座の第3回が5月に始まりました。初回講座は、吉岡のインタビューを受講者の皆さん(講師の方も)が見学する、というとんでもない授業でした。見学されながらインタビューなんてしたことない……。見本になれる気がいっさいしない……(笑)。
日本語がまったくわからないままオーディションに
――生まれも育ちもカナダで、学生時代は外交官を目指していたという曽麻さんは英語、フランス語、中国語、そして日本語も話せる「クワドリンガル」ですよね。もともと日本語はまったくわからず、19歳で新喜劇に入ってから学んだとか。
父が関西出身で吉本が好きで。言語はわからないけれど、子どものころからぼんやり新喜劇の動画は見ていたんです。大人になってインターネットで英語字幕が付いた新喜劇を見て面白さを理解したときに、直感的に「入りたい!」と思って。それで日本語しゃべれない、読めない、書けない状態でオーディションを受けました。“やらない後悔”より、“やる後悔”のほうがいいと思っているので。
一次の書類審査の書類は、じつはGoogle翻訳で作りました。“記念受験”的な気持ちでもあったんで、二次の面接・特技披露に進んでびっくりしましたね。
ところが、通知がきたときには次の審査まで3日くらいしか期間がない。日本語もしゃべれないのに、ふつうに考えたらムリじゃないですか。だから、面接で質問されそうなことを事前に予想して、その答えの日本語を調べて「音」を丸暗記していったんです。だから、もしかしたら面接した方と会話がかみ合ってなかったかもしれません(笑)。
――スゴすぎます。新喜劇にいるのがもったいない! そんな海外で生まれ育った曽麻さんには、65周年続いている関西の文化である吉本新喜劇はどう見えていますか?
まず何十年も続いていて、関西で知らない人のいない、なんなら全国にも広がっている……こんな劇団、カナダにはないです。毎年この場所でシェイクスピアの演劇をする、といったイベントはありますが、演目がメインで、演じる人も違うし、劇団自体には注目していませんから。それに新喜劇では、役名がそのまま役者の名前だったり、舞台がテレビ放送されていたりして、本当に特殊だと感じます。
あとは、時代とともに言葉や小道具が変わっても、根底に流れている「昭和」が新喜劇らしさで唯一無二だと思います。歴史をさかのぼっても面白いし、私がかかわったこの5年だけでも変化があって面白い。どこを切り取っても楽しめるのが魅力だと思います。
オープニングの笑い声「ドーン!」で鳥肌が
――入団して印象に残っている舞台上でのエピソードはありますか?
入団してすぐに参加したワールドツアー(60周年の2019年に47都道府県と海外5カ国で開催)です。オープニングで出たとき、笑い声が「ドーン!」だったんです。鳥肌がたって。一生忘れないですし、これを毎回出さないとプロとして失格だな、と思いました。
あとは、「4カ国語」を新喜劇の中で初めてネタに入れたときですね。自分の中ではふつうに喋っているだけなんで、「これがウケるんだ」というのにびっくりして。けど、分解していくと“笑いの方程式”があって……それに気づいたときが、すごい印象に残っています。
――いままでで印象に残っている先輩の言葉などはありますか?
今別府直之兄さんに言われた「続けるのも才能や」という言葉です。私はスケジュールが大好きで、何事も決めておかないと嫌な人間で……。それで新喜劇に入った当初から、そのことだけに満足して、甘んじてしまうのは簡単だから、自分の中で「5年目までにこの目標を達成する。ダメなら辞める」と決めていたんです。けど当然、物事は思ったように進まない。
そんなとき、お兄さんのこの言葉で「もうちょっと視野を広く、決め過ぎずにいてもいいのかな」と少し柔軟に物事を見られるようになりました。
――いま新喜劇の舞台だけではなく、情報番組のコメンテーターなどのお仕事もたくさんされています。座員の中でも、知識をたくさん持った曽麻さんにしかできないお仕事だと思います。そんな新喜劇以外の仕事をするときも「座員」という意識はしていますか?
自分が何者なのかと考えたときに、やっぱり「新喜劇の人間だ」がいちばんです。ニュースでコメントを振られたときにも、真っ先に「新喜劇のあの先輩はこんなこと言っていたな」と新喜劇でのエピソードを思い出します。もっと広い角度で吉本新喜劇を知ってもらえたら、と思いながら発言しています。
私がインターネットで新喜劇を知ったように、私から何かを知る人がいるかもしれない。情報というものは、本当に大事なんで。
好きこそものの…?
――65周年という節目の年に曽麻さんが取り組みたいことや、こんなふうになりたいといった意気込みなどはありますか?
さっきも言った自分ルールの「5年」という節目があって。いまちょうど(入団から)5年経って、6年目に入りました。いまいただいているお仕事の種類や量は“目標”をちゃんと達成はしているんですが、甘えちゃダメだと思っていて。現状維持もいいけど、まだまだ未熟なので。だから、広い視野を持って、自分から環境を変えて新しいことを取り入れるように行動していこうと思っています。
(広い視野という意味では)いままで新喜劇は、勉強のためにメモを取りながら見学していたんですが、この前、あえてなにも考えずに純粋にお客さんとして楽しんでみました。というのも、最近、行ったことのない寄席小屋に行って落語を観たりしたんですが、すごく発見が多くて。人が日々何を考えているのか、とか、なぜこの劇場に来てるのかとか……そういう日常の小さいことも肌で感じることができる。そういうことを、どんどんやっていこうと思います。
目標というと仕事になりがちですが、人生=仕事ではありませんし、仕事はあくまで人生を支えるものだと思います。いま思えば、今別府さんの言葉は“広い視野”のことを言っていたのかな、と感じますね。なので、とにかくこの節目は、視野を広くいきたいです。
インタビューの最後に語学が上達するコツを聞くと、やっぱり「好き」が大事だと教えてくれました。日本語は大好きな新喜劇とアニメから学んだとニコニコ笑う顔は、まだ幼い曽麻ちゃん。
私もこのライターという仕事のきっかけは「おもしろそう」だけだったのですが、目の前の人の話を聞くことがこんなに好きだったんだと最近は実感しています。
好きこそものの上手なれとはよく言ったもの。私の場合は上手になれているのかナゾですが……。
ふだん他愛のない会話はしていたけれど、今回のインタビューで久しぶりにしっかりお話しすると、もともとの彼女の持っていた頭の良さやきっちりしている部分に「視野を広く」「決め過ぎない」という良い意味での「隙」ができていて、魅力が倍増していました。
自分で決めた新しい環境でも努力し、ますます才能や知識がプラスされ、止まらず成長し続ける彼女が、すぐに想像できます。どこまでいくのか。彼女の成長は無限大です。
実は曽麻ちゃんは今回、芸人ライター講座のために急遽、呼び出されてインタビューを受けてくれたのです。そんな特殊な環境のなかで、吉岡のインタビューにも、受講者の方からの「目標の立て方」や「新喜劇における昨今のルッキズム」についての質問にも理路整然と答え、講師の方も「勉強になるな……」とつぶやいていました。
結果、彼女の“講義”だったと言っても過言ではない、本当に曽麻ちゃんに救われた講座だったのでした。果たして吉岡は役に立てたのか!? ……とにかく、これからも新喜劇もライターも頑張ります!