ピース・又吉直樹の「本の魅力を語らないか?」の一言からはじまった、又吉、ピストジャム、あわよくば・西木ファビアン勇貫による「第一芸人文芸部」。
そんな「第一芸人文芸部」がお届けする、現在、毎週木曜にAmazon Audibleにて配信中の、又吉が編集長を、ピストジャム、ファビアンがMCを務めるブックバラエティ『本ノじかん』。
毎回、ゲストをお迎えし、好きな作品や著書、影響を受けた一行、執筆方法や読書法など、それぞれのブックライフをMCの2人と語り合いながら、本を愛する方々、そして本にあまり触れてこなかった方々へ、本の魅力をお伝えする番組です。
そしてこのたび、『本ノじかん』の企画の一つ、人気芸人5人によるリレー形式で小説を紡ぐ連載企画『クチヅタエ』をFANYマガジンで特別連載することになりました。
執筆メンバーは、バイク川崎バイク、3時のヒロイン・福田、ニッポンの社長・辻、しずる・村上、レインボー・ジャンボ(連載順)。
さらに、Amazon Audible『本ノじかん』の『クチヅタエ』で朗読を担当するのは『ヒプノシスマイク』の飴村乱数役をはじめ、『アイドリッシュセブン』の二階堂大和役など、人気作品のキャラクターを多く演じている人気声優の白井悠介!
作者も誰も予想できないストーリーをぜひお楽しみください!
『壁のないフィナーレ』第三話 ニッポンの社長・辻
よし……直人……直人だ……言うぞ……よし!!
ざまあみろ……
僕の口が「な」を発する前の舌が上の歯に密着した状態、
そして沙也加が僅かに眉間に皺を寄せながら耳を傾けようとしたその時、
「おどなじくしろぉぉ!!!!! ごの野郎ぉぉぉ!!!!!」
咆哮にも似た大きな怒鳴り声が鳴り響いた。葬式場というシチュエーションのミスマッチさが演出に一役買っていたのかもしれないが、いつまでも場を理解せずにはしゃいでいた子供達がたじろぐ程の大きな声だった。
僕はここ数年、人の大声を聞くことが無かった為に少し打ち震えるような感覚がしたが、それよりも、その声にはどこか懐かしい声色を孕んでいた。
声の先は入り口だった。
僕らと沙也加の祖母が横たわっている場所から20メートルほどだろうか。
その距離があってさえのここまでの大声が、相当な緊急事態である事が安易に見越された。
無論、はしゃぎを封じられた子供を含め、その場にいる全員が声の主を凝視する。
男が男を押さえつけている。
背格好はどちらも自分より少しばかり小さいくらいだろうか。
一人の男の右脇の下にもう一人の男の頭がある、俗にいうヘッドロックのような形で、その状態で引きずりながら、どこかからここになんとか連れて来た形だろうか。
押さえつけられている男は僅かに抵抗はしているものの、既に心理的には屈服しているようにも思える。
男達はそのお互いの体勢を保ったまま僕らの方に近付いて来た。
18メートル…
15メートル…
12メートル…
そして7〜8メートル辺りに来たところで、あることに気付いた。
ヘッドロックをかまされている男。
顔は見えないが頭髪や体格を見る限りおそらく直人であることが予想される。
この状況と先ほど僕が「カメラアイ」で残した記憶からしてそれは間違いないだろう。
と思えた。
ただその直後、予想を根底から覆す事実を突きつけられることとなる。
そのヘッドロックをしている人物。
直人である。
????
そう、間違いなく直人だ。
短髪をジェルで決め、キリッとした直人だ。
ん??
なるほど。これは夢か?
いや、夢なら夢だと分かる。夢の中でこんなに生々しい空気の味はしないし、こんなにじっとりとした嫌な自分の汗の臭いもしない。
それにこれまでに夢の中で夢を自覚した事は何度もあるが、その時は大抵、僕はわざと目を覚ますようにしている。嫌な夢の場合は尚更だ。
となるとこれは現実。直人が直人をヘッドロックしている。
そうこう僕の思考回路がショート寸前になりつつある中、
その「直人たち」
はもう僕らの目の前まで近づいてきた。
そこでもう一つ、網膜を通して驚愕の事実が舞い込んで来た。
いや、既に情報としては少し前に入って来ていたにも関わらず、脳がその処理を手間取っていたのか、
給食の嫌いな食べ物の如く後回しにしていたのだろう。
いや、食べたことのない得体の知れないものと言った方が正しいのかもしれない。
この押さえ付けている方の直人は、昔の直人である。
先ほど見た直人は目鼻立ちこそ直人ではあるが、酷くくたびれた様子でまるで直人と同一人物だとは思えない程に落ちぶれた雰囲気だった。
だが、今こちらに正体している方の直人は、大手商社マンになった、一番眩しい頃、いや、不意打ちというスパイスが加わったことによりそれ以上の雰囲気を醸し出している。
どういうことだ。
いや、そうか。あぁ……そういうことか。なるほど。
自分がやけに落ち着いていることに気付いた。
人は度を超えたハプニングに出くわすと逆に冷静になれるということか。
これは、タイムトラベルだ。
直人がタイムトラベルしてきている。
そう、過去から来た直人が今の直人を押さえ付けている。
ということだ。
僕の脳はこの安易に信じがたい状況の整理を相応の所までもっていくことにそこまでの時間を要しなかった。
ずっと自分の近況に違和感を感じていたからだ。
僕は神童と呼ばれ、幼い頃はまさにこの物語の主人公だったはずだ。
何もかもうまくいった。普通ならタワーマンションにでも住み、女を2〜3人はべらかしていても不思議ではない。それがいつの間にか落ちぶれ、散歩で暇を持て余す日々が何年も続いた。
そういうことか。
スランプの時期だったのか。
漫画や映画でも主人公がスランプに陥る期間はよくあるものだ。
僕にとっては長かったが、これを作品とするならば、視聴者にとっては長くて20〜30分くらいの部分、完璧だった主人公が壁にぶち当たる様子は観ている側としては歯痒い感情になるが、それはクライマックスの感動へと繋がる必要なシーンなのだ。
僕のこの空白とも言える日々はしっかりと意味があった。
あの無敵の子供のまま順風満帆に大人になったのでは物語は無味乾燥。
遊園地のジェットコースターだって、あの上へ上へと上がっていく時間が醍醐味なのだ。この物語は先ほどまでジリジリと上がってる段階だったのだ。
僕がこれからこのタイムトラベルのドラマに巻き込まれていき、一気に加速して駆け降りていくのだろう。
うん、悪くない。
この状況だけを一瞥すると直人が主人公な感じがしなくもないが、僕には最強のバックボーンがある。これから僕はこいつとタイムトラベルをし、持ち前のカメラアイを駆使し数々の未解決事件の解決に一役買ったりしていくだろう。
となると直人は所詮『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でいうとドクだ。
タイムマシンを紹介するだけの脇役に過ぎない。
いや、僕を裏切ろうとしてビフになるかもしれない。無論マーティは僕。
これから誰かにチキン野郎とでも言われるのか? ふっ、僕は言われる前にやってやるぜ。さぁ、デロリアンはどこだ?
すると過去から来た直人が口を開いた。
「こいつが犯人だ。さっき怪しい動きをしていたから後を付けた。……おい。ほら、顔を上げろ」
みんなさぞ驚くだろう。だって同じ顔が二人いるんだから。が、ここは平静を装おう。
主人公というのは掴み所が無い部分が売りだったりするものだ。
驚愕の最中、涼しい顔でどんな名言を残すかが肝心である。
「こいつ、多分初めてじゃない。多分他にも遺族のフリをして葬式場に出入りしている筈だ。慣れた感じだった」
現代の直人が顔を上げた。
ん???
違う。
誰だ。この……おっさんは。
直人じゃない。
似ている。確かに似ているが、別人だ。
いや、この男だったはずだ。僕のカメラアイの男には間違いない。
だが正面から見詰めた姿は直人とは似て非なる。
カメラアイは後ろ姿だった。
「どうしたの? 具合悪い?」
沙也加が俺の顔を覗くが無意識に顔を逸らした。
俺は人前でしてはいけない顔をしていたのかも知れない。
いや……嘘だろ。
慌てて脳内のフィルムを見返す。
金庫へと向かっていく横顔……これは直人だろ……いや……。
ぼやけている。
いや……。
直人……ではない。
このおっさんだ……。
直人に似ている人と言われれば確かにそうだ。
ただ、正面からの顔は見ていない。
もう一つの斜め後ろからの視点のフィルムを見てみるが、このおっさんなのは間違いない。
今、見返すとどちらも直人と確信が持てるレベルでは無かった……。
なんせ横顔ですら無いのだから。
しかも、ぼやけている。
何故眼鏡を買うことを怠ったのだ。僕の不精な部分が出た。
最強の能力であるはずの僕のカメラアイは、常にピントがズレた使い古されたインスタントカメラのような状態になっていた。
もはや思い出を残す為には用を成さない、レトロな記念品と成り果てていた。
何やってんだ俺は……。
自責の念に駆られている中、気付くと時間は暫く経っていたし、どうやら物事はスムーズに進んでいるらしかった。
警察が到着し、直人似のおっさんは連行されていた。
その後ろで沙也加と本物の直人は何やら話していた。
その後、沙也加は警察の後ろを追って行った。
すると直人がこちらに来た。
「おう、透、久しぶりだな。俺達は参考人として署で取り調べがあるらしい。せっかくだから夜、3人で飲みに行かないか? 後で連絡するよ。」
割れるような頭痛で目が覚めた。
一瞬ここが何処なのか分からなかったが、見渡すまでもなかった。
あまりにも既視感のある景色だったからだ。
僕はバーカウンターに半分突っ伏した状態で寝ていた。目の前に半分残ったマティーニ。そして向こう側でぼんやり滲んで見える直人と沙也加がそこにいた。
そう、あのBARである。
遂に本当にタイムトラベルしたのかって? いや、違う。やめてくれ。
タイムトラベルなんてもう言葉にするのも聞くのもトラウマになりそうだ。
大好きだった『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も『時をかける少女』ももう二度と観ることはないだろう。
少し記憶を辿ると、沙也加達を待つ間、僕は何もする気が起きず、よく分からない感情を持って公園で過ごしていた。
心やましいというか後ろめたいというか、それは直人に対してではない。
自分に対してである。僕が直人を疑った失態は誰にもバレてはいない。
頭の中でひたすらに話を展開させていただけであり、このことを知っているのは自分だけである。
その自分に対してひたすらに恥ずかしい。
消えてなくなりたいとはこのことなのかもしれない。
ふとスマホを見ると、直人から
「昔行ったあの路地のBAR覚えてるか? 時間がかかりそうだから10時で」
と連絡が来ていた。まだ時間までは随分とあったが、僕はBARに来た。
因縁の地であったはずが、今日の出来事が図らずともそれを忘れさせた。
トラウマを更新したと言った方が正しいかもしれない。
今はとにかく酒を飲んで感覚を少しでも麻痺させたかったのだろう。
今、もしいけないクスリを出されたら拒否出来ないかもしれない。
それくらい僕は参っていた。
5〜6杯は飲んだだろうか。前回のように負けじと無理をしたのではなく、自分をいじめるかのようにかなりのペースで知っている名前の酒を次々と喉に注ぎ込んだ。そして案の定潰れた。
二人はいつの間に来たのだろう。
まだ僕はここで二人とは会話をしていないように思えた。
僕のご自慢のポンコツにもそのフィルムは見当たらない。
僕が寝ている間に来たのだろう。また情けないところを見せてしまった。
笑い話にされたに違いない。せめてここからはスマートに振る舞おうと思ったが、どうにも身体が動かない。ただの酒ではこうはならない。
おそらく原因はアルコールと心理的外傷のオリジナルカクテルによるものだ。
水の中のようにぼんやり霞んだ二人。
会話の内容は分からなかったが、どうやら幸いにも僕の話はしてないようだ。
が、二人がやけに仲が良いように感じる。
テーブルの下に目をやると手を繋いでいるように見える気がする。
二人が無言で見つめあっている。
おい……。
お前ら……。
従兄弟同士だろ……。
ちょっと……。
ちょっとマティーニ……。
目の前が真っ暗になった。
■FANYマガジン:リレー小説「クチヅタエ」連載ページはこちら
第三話でバトンを受け取ったのは、昨年、マユリカ、ロングコートダディらと共に大阪から東京進出を果たした「ニッポンの社長」の辻。『キングオブコント』常連の名コント師でもある辻の、展開の読めない物語が次へどう続くのか……。次回は、既に何作も出版している安定感抜群の「しずる」村上。どのような展開になるのか、乞うご期待!
Amazon Audible『本ノじかん』では、吉本ばななや尾崎世界観、ラランド・ニシダ、Aマッソ・加納など、豪華ゲストをお迎えして、毎週木曜日に配信中です。今後は、小説家の浅倉秋成、絵本作家のヨシタケシンスケ、我らが編集長、ピース・又吉も出演予定。お楽しみに!
過去放送回は全てアーカイブで聴くことができます。
【Amazon Audible『本ノじかん』】
ゲスト:吉本ばなな
ゲスト:尾崎世界観
ゲスト:ラランド ニシダ
ゲスト:Aマッソ 加納
番組概要
第一芸人文芸部プレゼンツ『本ノじかん』
配信日:毎週木曜日朝7:00ごろ更新
配信プラットフォーム:Amazon Audible
ナビゲーター:ピース・又吉直樹、ピストジャム、あわよくば・西木ファビアン勇貫
Amazon オーディブル『本ノじかん』はこちら