今年でちょうど20年となる『M-1グランプリ』に、第1回大会から相方を変えて毎回出場し続けている芸人が大阪にいます。NSC (吉本総合芸能学院)22期生、パーフェクト・ダブル・シュレッダーの門野鉄平です。何人もの同期が決勝に進出し、優勝を果たした者もいます。それをどう受け止めながら、いまもM-1に挑んでいるのか――。
公私ともに親交があり、M-1では毎年準決勝で悔しい思いをし続け、いまは予選のMCをさせてもらっているヘッドライト・町田星児がインタビューしました。20年以上売れていない芸人とM-1のアナザー・オブ・アナザーストーリーです。
M-1の出場資格には「コンビ結成から15年以内」という縛りがあります。この制限に、これまでも多くのコンビが涙を呑んできました。そんななか、門野はこれまでアイアンホース、菊一文字、プレイボール、スズメ蜂、そして現在のパーフェクト・ダブル・シュレッダーと、コンビの結成、解散を繰り返しながら、2001年の第1回から第17回の今年まで、M-1 予選に出続けてきました。最高成績は、2019年、2020年の準々決勝進出。今年は残念ながら3回戦敗退となりましたが、その不屈の精神の原動力に迫りました!
ウーマン村本に負けた
――2001年にM-1が始まるねんけど、1回目はアイアンホースで?
そうですね。(NSCを卒業して)2000年の終わりぐらいに本田(一馬)とアイアンホースというコンビを組んで、2001年と2002年の2回出て、どちらも2回戦止まりです。2003年のとき、出場の2日前ぐらいに、本田が「解散したい。村本(現ウーマンラッシュアワーの村本大輔)と組む」て言い出して。それで僕は高校時代の奴と組んでM-1に出ました。ほんなら村本・本田は準決勝まで行ったんです。
――本田が準決勝まで進んだのを知って、どう思った? 悔しいとか、情けないとか、本田腹立つとか、村本腹立つとか、羨ましいとか、いろいろあると思うねんけど。
うーん……情けない、が強いですかねえ。僕は本田と2回戦までしか行けてないのに、村本は本田と準決勝に行ったわけですから。情けなく、悔しい、ですかね。
――2004年のM-1は?
菊一文字というコンビですね。3回戦進出ですね。
――2005年は?
3回戦です。
――2006年は?
もうたぶんプレイボールですね。
――もうって言われても、忘れてたわ! たしかにプレイボールっていうコンビ組んでたな。
いよいよ、プレイボール期です。
――いや、お笑いの歴史に名を残してないねん!
途中、一時期解散していた時期に、同じく一時期解散していたスーパーマラドーナの田中(一彦)とも組んでいました。でも、またプレイボールを再結成して3年ぐらいやってました。
――2006年、2007年、2008年のプレイボールのM-1の戦績は?
再エントリー(1次予選敗退後も条件が合えば再エントリー可能な制度)ができたころで、3年間で1回戦で7回落ちてます。
――全然あかんやん!(笑) その後は?
2009年はジョージ(現ガチャガチャ)と出てます。2回戦やったかな。そもそもプレイボールで、どっちもツッコミ気質じゃないなって話になって。で、トリオにしようということでジョージを入れたんです。ほんならジョージとゼンポウがケンカして解散になって。で、ジョージと2人でスズメ蜂というコンビを組んだんです。
――1回戦で7回落ちて、ようやく気づいたんかい!
で、2010年は一般の人と出ました。コンビ名も覚えてなくて、1回戦落ちですね。
答えはお客さんが教えてくれる
――2010年を最後に一時期、M-1がなくなったけど、その時はどう思った?
そのころ、僕ピンやってたんで、あんまり影響がなかったです。スズメ蜂を解散したときに芸人を辞めようと思ったんですけど、まだピンはやったことがなかったから最後にチャレンジしてみようと。これであかんかったら、ほんまに芸人を辞めようと思ってました。
――あかんかったやん。
ダメでした。
――辞めてへんやないか!
辞めてないですね(笑)。もともと漫才をしたくて入って来たから、思い出作りに漫才をやりたいと思って。
――どないやねん!
いろんな人とお試しで組んでライブに出てみようと。先輩後輩として付き合いのあった和田(崇)もちょうど解散したてだったんで、軽い気持ちで組んでライブに出てみたんです。
――ほんなら手応えがあった。
正式に組む気はなかったのに、思いのほかウケてしまって……。
――自分にぴったりの相方は自分にはわからなくて、お客さんが教えてくれるねん。お笑いの答えは、いつもお客さんが教えてくれるよ。
――で、2015年のM-1が復活してからは、いまのパーフェクト・ダブル・シュレッダーに。2015年から2018年はどこまで進出したん?
3回戦、2回戦、3回戦、3回戦です。
――それで2019年と2020年には準々決勝に進出して、今年は3回戦落ち。いま下り坂ですけど(笑)。
(笑)。
――今年の3回戦、俺らがMCやったから2人を見てたけど、ネタ選びを失敗したな。
それ、自分でわかってないんですよね。
――あれよりおもろいネタ126本ぐらい持ってるやろ。
そんなにないです(笑)。結果うんぬんより、去年、一昨年より3回戦でウケなかったということのほうがショックですね。直前のライブでは手応えがあったんで、3回戦でもいけるかな、と思ったんですけど……。
――お客さんが教えてくれへんときもあるよ。
あるんかい!(笑)
M-1だけにはなりたくない
――毎年、M-1に向けて頑張っていた感じ?
んー……そこは難しいところですねえ。そうなりたくない、てのはあるんですよ。
――わかるよ。
僕はNGK(大阪・なんばグランド花月)に出て漫才師としてやっていきたいんで、M-1に特化した漫才を作ってもしゃあないと思ってるんです。もちろん決勝に行きたいですけど、そこだけに照準を合わすのはちょっと違うかな、ていう思いはずっとありますね。
――みんな、そのはざまで気持ちが揺れてると思うけどな。
自分らがおもしろいと思う漫才をたくさん作った上で、その中でどれがM-1に合うかは考えるかも知れないです。相方(和田)のせいにするわけではないんですけど、相方が戦略通りに動いてくれないんで。その時の気分によって、気持ちが乗るネタが違うんです。
――それはツッコミのテンションとか?
たとえば、むかし「和田に彼女がおらんのなら、見に来てるお客さんの中から彼女を探したら?」みたいなネタがあったんですけど、あいつにほんまに彼女がおらんときにやったら、あいつの気持ちが乗っててめっちゃウケたんですよ。でも、あいつに彼女ができてからやったら、あいつのテンションがちょっと低めでウケも弱かったんです。
――和田やなあ(笑)。
ウソがつけない人なんで。あと、これもむかしのネタで、僕が「思わせぶりな女ってイヤやな」て言うネタがあったんですけど、その直前に、和田の好きな女の子が思わせぶりな子で結局、うまくいかなかった、ということがあったんです。だから、そのネタもめっちゃウケました。
――あいつのそういうところを味方につけたら、爆発するおそれがあるな。
そうなんですよ。なのでM-1直前のライブで、どのネタが和田の気持ちが乗ってるか、というのを見極めてネタ選びの参考にしてます。
――そんなあいつこそが、ほんまの漫才師かも知れへんけどな。
かも知れないですね。
――うちの和田(友徳)も“和田タイプ”やわ。
ややこしいな(笑)。僕ら、どっちも相方が和田やから。
――俺やお前なんかは、自分が見てきた漫才のマネ事をしてるだけかも知れへんで。
たしかにそうかも知れないですね。最近は、感情を出すことを意識してるんですけどね。ここまできたら、生き様を見せる漫才をせなあかんと思うので。
――むかしの芸人さんが言ってたようなことがようやくわかってきたな。「日常」がすべて舞台につながって、立ち振る舞いとかに出るんやと思う。お客さんって、ネタの間、ずっと俺らを見てるやんか。それでいろんなことを感じ取ってると思う。
そうですね。
もしもM-1がなかったら…
――もしもM-1がなかったら、どうなってたやろ。
いま芸人の数が半分ぐらいになってるんじゃないですか。
――M-1を見て芸人になった人も多いやろうからな。じゃあ、M-1ができる前から芸人をやってた俺らは、M-1がなかったら、いまもっと仕事あったんちゃうん。
(笑)。M-1がなかったら、大売れするきっかけもないですけどね。あとM-1がなかったら、ここまで芸人全体の笑いのレベルも上がってないでしょうね。
――でも、ここまで高くないレベルで、芸人全員がメシ食えてたかも知れへんで。
そうですね(笑)。
――芸人を続けてることに、いままで親は何も言うてこなかった?
いつまでやるんや、みたいなんはありましたけど……。まあ、親とあんまり会わないようにしてましたね。実家もあんまり帰ってなかったですし。いまの実家にあんまり愛着がないんですよ。僕が高3のときに建て替えてるんで。
――そら愛着ないわ!
1年も住んでないんで(笑)。
M-1とは「成長記録」
――これが、もし決勝に出た人のインタビューだったら、ぜんぜん違うんやろうな。
違うでしょうね。
――「M-1が僕たちを救ってくれました!」とか言いそうやん。お前、M-1に救われてないやん。
そうですね(笑)。
――この芸歴でまだM-1に出てることの恥ずかしさとか、後ろめたさとかは?
ないですね。そんなん言ってられへんし。
――出続けるのはなんで? 売れるきっかけやから? 腕だめし? 優勝したいから?
それら全部といえば、全部ですけど。まあその、1年の成長を確認するため、がいちばん強いですかね。結果がすべてじゃないですけど、漫才師としての1年間の区切りになるじゃないですか。ここまでにネタを仕上げる、みたいな。そして去年より進めてるかどうか。成長記録というか……。
――成長記録! じゃあ、自分の成長をどう思う?
2004年に3回戦に行ってるんですけど、2019年に初めて準々決勝に行ったとき、15年かかったんかあ……と感慨深いものがありましたね。
――3回戦突破するのに15年かかったんか!
そういう意味でも成長記録かな。
――遅い成長やな! 同期のキングコングは2001年に決勝出てるけど?(笑)
20年前に決勝に行ってるんですね(笑)。
――おもしろいなあ、人生って。3回戦突破するのに15年。そんな芸人は珍しいんちゃうかな。
そうですねえ、たぶん僕ぐらいじゃないですかねえ。
本田に勝つまでは辞められへん
――いまだに村本・本田の本田に負けてるねんな、準決勝に行けてないから。
そうなんですよ。
――本田にずっと負けてるやん。
ずっと負けてるんですよ!
――なんでやねん!て感じやな。これは本田に勝つまで辞められへんな。
そうですね。
――M-1に対して感謝することもある? いままでの苦労が、いまのコンビで報われてきてるように見えるけど。
感謝はめちゃくちゃしてますね。すべての経験が、いまに活かされてると思ってます。
――では最後に、夢を教えてください。
漫才でご飯を食べていくことですね。
――わかりました。ありがとう。もし聞き足りないことがあったら家まで行きます。
僕ら、家近いけど!
『M-1グランプリ』を企画した島田紳助さんは、「漫才師が辞めるきっかけを作る」を創設の理由のひとつとし、何年も結果が出ない芸人に違う道に進むことを勧めました。実際に毎年、M-1をきっかけにたくさんの芸人が辞めていきます。しかし、紳助さんでもおそらく予想し得なかった芸人が現れました。
M-1に挑み続けることによって、漫才を作るおもしろさにハマっていき、ますます辞められなくなる芸人です。決勝に出た芸人だけでなく門野も、M-1によって延命された、M-1に救われた芸人の1人なのかも知れない、とインタビューを終えてから思いました。
ネットで村本・本田を調べたら、現在の本田(現在は芸人引退)の情報も出てきて、「ウーマンラッシュアワー・村本の元相方」としてテレビでも紹介されていました。本田が、村本ではなく「パーフェクト・ダブル・シュレッダー・門野の元相方」と紹介されるような未来を見てみたいです。そのとき、門野は「村本にも本田にも勝った」と言っていいと思います。