「吉本興業」というお笑いを軸としている会社が、他のお笑い事務所と違うところといえば、その所属芸人の数だろう。
しかし、一番の違いはおそらく「持ち劇場」があるかないか、ではないだろうか。
関東だけでも2025年現在、新宿に「ルミネtheよしもと」があり、若手が凌ぎを削る「渋谷よしもと漫才劇場」に「神保町よしもと漫才劇場」、コント師主体の「YOSHIMOTO ROPPONGI THEATER」、埼玉や千葉、静岡にも劇場があり、各地域を盛り立てている。
TVや映像だけで伝わらない、生のネタ、生の笑い声、生ならではの掛け合い。
これらを味わえるのは、足を運んだ客の特権といえるだろう。
そして、その劇場にいる現場の芸人たちも、生ならではの───アクシデントがある。
*
BKBことバイク川崎バイクこと、バイク少年はこの日もルミネの寄席出番。
出順はトップではなかったため、ゆっくりと舞台衣装であるロンTに腕を通していた。
すると、「ワッ」という歓声が、楽屋モニターから聞こえた。
どうやら、この日トップ出番の、エンターテイメンツコンビ「スカチャン」が舞台に登場したようだ。
バイク少年は、客の空気を確認するため舞台袖に向かった。
トップ出番ではないときは、トップバッターでの客の空気を確認するのがバイク少年の通例となっている。

この日は日曜日ということもあってか、テンションが高めな、とてもあたたかい客だった。
漫才中にも音響を惜しみなく使い、決めポーズで拍手笑いが起きていた。
「おもろ」
バイク少年は小さくそう呟き、スカチャンのネタと客の空気を感じとり、また楽屋に戻った。
しばらくすると「おつかれさまでした〜」と、トップで盛り上げたばかりのスカチャンが、汗を拭きながら楽屋に戻ってきた。
すると、スカチャンのアイドル担当であるヤジマリー。が神妙な面持ちで「いやあ、危なかった。事故るとこだった」と、穏やかではない物言いをしていた。
バイク少年は、なんらかの事件の匂いを感じとり「なになに!?どしたん!?なんかあった!?」と後輩にあたるヤジマリー。に、ヤジウマーなテンションをぶつけた。
「あ、BKBさん。いや、大丈夫ではあったんですけど」
「どしたん?」
「ネタが終わって、舞台袖にハケたら、スプレーのシュッシュの押すところがとれたんですよ。本番中じゃなくてよかったです」
「シュッシュの?押すとこ?とれる……?とは?」
スカチャンは、ここ数年で知名度が一気にあがってきた芸人だが、その持ちネタの一つに、腰に巻いたスプレーをタイミングよく噴射する、というものがある。
「ここなんですけど」
「どこ?」

「顔なに?」
「あ、顔はキメてただけです。ここです。この右側」
「ん?どこどこ?……あ、ほんまや」

確かに、片側のスプレーの噴射部分がとれてしまっていた。
激しい動きがネタ中にあるため、稀に起こることらしい。
片方だけ噴射できなくなってしまうため、噴射のバランスが崩れ危うく大事件になるところだった、ということだ。
「おお。ここ外れるとヤバいね。今まで、本番中に外れたことはあるん?」
バイク少年がそう尋ねるとヤジマリー。は、ばつが悪そうに答えた。
「たま〜にあります。ネタ中に服とかに引っかかって外れて、片方だけ全然噴射されなかったこと」
「マジか。そういうときなんて言うの」
「反抗期だね、でごまかします」
「さすが」
バイク少年は、話を聞きながら“今、本番中に外れてくれてたらより事件だったのになあ”とよこしまな考えがよぎったが、すぐにかぶりを振った。
「小道具使う芸人はアクシデントがつきものだよね───」
バイク少年たちが話している、テーブル一つ向こうから、そんな声がした。
振り返ると、バイク少年たちの先輩にあたる平成のラストコテコテコント師、5GAPのクボケンがネタの準備をしながら「わかるわかる」と頷いていた。
「クボケンさんもそうか。小道具よく使うからアクシデントあったりします?」
バイク少年がそう尋ねると、クボケンはゆっくりと遠くを見つめながら話し始めた。
「うん───それで言うと、パンを頭の上にのせてリーゼントに見せるネタで、昔はのせてるパンを本物のパン使ってる時期があってさ。いつもそのネタするときは、でっかいパンが売ってるパン屋で買っててんけど、たまたまパン屋が休日で理想の大きさのパンが買えなくて。泣く泣く小さいクロワッサンとかのせてたこともあったな。今でこそ食品サンプルをのせてるわけだけど、当時はその発想なかったよね。ははは」
クボケンが、矢継ぎ早に独特な失敗談を語ってくれた。
要は“頭にのせるパンが買えなかった”、という5GAPのバカコントならではのものだった。
失敗談で楽屋が笑いに包まれる。
「よし。じゃあ、出番だから行ってくるわ」
食品サンプルという小道具を手に入れたクボケンは、堂々と舞台袖に向かっていった。

その顔つきだけを見れば、一流企業のエリートサラリーマンが大きなプレゼンをする前の勇ましい表情にも見えた。顔つきだけは。
バイク少年は、バカなことを突き詰める芸人はやはりおもしろいし、カッコいいな、そう思いながら、自身もサングラスをつけ、いつもよりバンダナをきつく巻いたのだった。

【完】