
なぜ、こんなことになったのか。
楽屋は、人をおかしくさせる要素が充満している、とでもいうのだろうか───。
*
いつものルミネの楽屋。
バイク少年(BKB)は、同じ楽屋の出演者を見回していた。
ミキ、インポッシブル、マユリカ、広島芸人のメンバー、ヘンダーソン。
その面々を見たとき、バイク少年は、ふとつぶやいた。
「しかし……既婚者が多くなってきたな」
20年以上この世界に身を置いているのだから、周りの状況も変わっていく。それは至極自然なこと。
毎年誰かが結婚したり、子供ができたり、たまに離婚もしたり。
独身のバイク少年は、今年で46cc(46歳)。
俗に言う「いい歳」はとっくの昔に過ぎた年齢だ。
だが、そこまであせってはいなかった。
そこまで、と付け加えた理由としては、漠然とした将来の不安は常に抱えてはいるけれど、ケツに火がついているほどの思いはまだないということ。
しかしながら、それはいつだって、誰だってそうだ。
いわゆる結婚などに対して「今すぐにでも!」的なあせりはない、ということ。
芸人は結婚感に関してあまり世間体という概念はなく、生涯独身の者もいるし、遅くに結婚する者も多いので、このあたりの価値観がなぜか麻痺している。良くも悪くも。
前述した芸人たちの中でバイク少年以外の独身は、マユリカ中谷と、インポッシブルえいじ。
11人中、3人だけが独身。
他の劇場に顔を出しても、実に過半数は既婚者なんてことも最近はざらにある。
少し前までは、そんなこともなかった気がするのに。
ここ数年で芸歴の近い仲間が、どんどん家庭に腰をすえていく。
それを改めて見たバイク少年は───やはり、あせっていなかった。
しかし───淋しくはあった。
仲の良い後輩を、飲みに誘いづらくなった。
劇場合間の昼飯に誘っても、「朝、子どもと食べちゃいました」と言われることも増えた。
もちろんそれは仕方のないことであり、素晴らしいことだ。
バイク少年はなんとなく、楽屋にいた独身仲間のマユリカ中谷に話しかけた。
「既婚者増えたよね、しかし」
「確かにそうすね」
「てか、中谷くんは結婚したいとかある?」
「まあ、それはいつかもちろん」
中谷は即答した。
「まあそうか。相方も結婚して子どももできたもんな」
「そうすね」
「……あせったりはする?」
「多少ありますけど……うーん、あ、でもこんなこと言うのアレですが……」
「なになに?」
「バイクさんがその年齢で独身、てのはだいぶ安心しますけどね。独身大先輩が身近におってくれることが」
「あー、それこの前ななまがりの森下にも言われたな」
事実、バイク少年は後輩たちにそんなふうに言われることが増えた。そんな背中を見せていたつもりはないが、結果、そうなっていた。
「でも、全然モテないんすよねぇ」
中谷がため息交じりにそうつぶやいた。
「そうなん?マユリカなんか、めちゃ人気もあるしおもろいし、脂のっててモテる時期なイメージやけど」
「いやいや、仕事はありがたく忙しくさせてもらってますけど、男としてはね、ほら、カッコよくはないでしょ?」

「うーん、うん」
「うん、だけかい」
「うん……いや、なんかぎこちないのかな笑顔が」
そこに、中谷の相方である阪本が通りかかった。
「なにしてんすか?」
「あ、阪本くん、ちょっと中谷の笑顔がぎこちないなって。あ、阪本くんも笑顔撮らせて」
「はあ。意味わかんないすけど、まあいいすよ」

「うーん」
「どうすか?」
「いや、これも普通というか……あ!じゃあさ、生まれた子ども想像して!それで笑ってみて」
「え?子ども?はい」

「どうすか?」
「いや!うん!あんまり!変わらんけど!なんか柔らかくなってる!気がする!」
確かに、もはや細かな誤差の域ではあるが、優しさがにじみ出た気はする。
これがパパ、というやつか。
BKBが短絡的な結論を出していると中谷は、再びボヤきだした。
「バイクさん、相方の笑顔は今いいでしょ。 さみしいんすよ、最近ほんと」
「まあ、それはわかるよ」
「人肌も恋しいし」
「めっちゃわかる」
「あ……出番や。いってきますね」
「お、おう」

直前まで、こんな切ない会話をしてなんてことは、観劇している客は一ミリも知ることはないだろうパフォーマンスを見せるマユリカ。
芸人の切り替えスイッチの激しさを目の当たりにする。
しばらくすると「おつかれしたー」とマユリカ達が楽屋に帰ってきた。
皆が「おつかれー」と声をかける。
「ふぅ」とため息をつき、汗ばんだシャツをすぐに脱ぎ捨てたマユリカ中谷。
「……しかし、さみしいですね」
「あ、まだ話続いてた?」
出番終わりに、異常にスムーズに会話の続きが始まっていた。
「なになに?さみしいってなにが?」
そこに、ヘンダーソン中村フーが通りかかった。
「ああ、フーさん。いやあ、まあ別に……」
「別に?」
「いや、まあ、さみしさのピークというか」
「そうなんか、まあそんなときもあるわなぁ」
事情をまったく知らない中村が、中谷に場繋ぎの優しい言葉をかけた───そのときだった。
「すんません」
中谷が、謎の謝罪を放つやいなや、中村の両肩をおもむろに抱き寄せたのである。
「なんや!え!なんやねん!」
「あ!すんません!なんかさみしくて!無意識に!」
「わけわからんて!」
「ごめんなさい!」
「びっくりするから!」
「しかし……華奢でかわいいすね」
「おれ、華奢でかわいいけど!やめろ!」
まったく脈絡もなく、中村に謎のスキンシップをはかる中谷。
人は満たされていないと、衝動を抑えられず、自分でも意識していなかった行動にでてしまうことはある。
理性が、働くのをサボった瞬間だ。
「ったく……お前ってやつは……」
「……すんません〜」

もはや、中村もなぜかこの状況を受け入れだした。
はたから見ていたBKBは、この、事件であり、地獄でもある光景を見て、言った。
「あ〜、たのし」
独身芸人が、心から淋しさを覚えないのは、この楽しい楽屋のせい───なのかもしれない。
【完】