暦が立冬を迎えた11月初旬。
朝の肌寒さの震えが、冬の足音を感じさせる頃。
季節は変わっても、新宿にそびえる劇場『ルミネtheよしもと』では変わらずなにかしらの公演が行われている。
この日も『本公演』という毎日行われている寄席公演に出演させてもらっていた、バイク少年こと、バイク川崎バイクこと、BKB。
BKBが楽屋に入ると、派手な風体の、見知った後ろ姿が目に入り声をかけた。
「あ、おはザジ」
「あ、バイクさんおはようございます」
「ヒィア。なんか久しぶりやな」
「確かに。ピンて被らないですもんねあんまり」
BKBより後輩にあたるピン芸人仲間のZAZY。
劇場にもよるが、ZAZYが言った通りルミネの本公演においては、ピン芸人が同じ日に本公演出番が被ることは少ない。
これはやはり芸人の種類、性質上、コンビがその大多数を占めているので、香盤のバランスを考えると当然のことではある。
だいたい8組ぐらいが出演する平日のルミネ本公演。
同じ日にピン芸人が2人いれば「おお」。
3人いれば「かなり珍しい」。
4人いれば「ありえない」。(本当にありえない。BKBの記憶では見たこともない)といったところだ。
余談だがネタ出番順も、ピン芸人が続かないように散らす、などの配慮?もなされている。
「おはよございます〜」
「おはようございます!」
「おはござまっす」
この日はお昼からの公演だが、業界挨拶で続々と楽屋にやってくる芸人達。
「おはようございます。あ、バイクさん、こないだYouTubeありがとうございました〜」
「こちらこそ!ありがとうよ中村〜」
BKBが元美容師ということを生かしたYouTubeチャンネルに出演してもらった、ヘンダーソンの中村が律儀にお礼を言ってきた。
「切りたかったんで助かりましたよ」
「いやいや、また頼むよ〜」
平和で和やかな会話。
BKBの楽屋にはZAZY、ヘンダーソン、ジェラードンなど皆、BKBより後輩達。
平和で和やかなメンバー。
平和な楽屋。
BKBは内心───あせっていた。
というのも、この『バイク少年の楽屋事件簿』という連載を始めてから4ヶ月がたったBKB。
事件簿、なんて大それたタイトルにしてしまったものだから、なにか事件が起きないことにはなにも書けない。
ルミネの出番も月にそう多くあるわけではない。
楽屋にいるときしか事件簿を考えるチャンスはない。
ささいなことでもいい。
なにか───なにか事件は起こらないか。
そのときだった。
「よし」
低い声で、一人そうつぶやいたジェラードンのアタック西本。
すかさずBKBが声をかける。
「どうしたアタック?なんかあった?」
「え?いや、腹へったんでなんか買いにいこうかと」
「あ、なるほど」
「……なんすか?」
「いや!ごめん。大丈夫大丈夫」
敏感にアンテナをはりすぎて、後輩のただの買い物の邪魔をする始末。
あせりは続行のBKB。
「今日は、なんもないかもな……」
BKBがため息交じりに弱音をはいていると、ヘンダーソン中村がZAZYにヒソヒソ話をしているのが目に入った。
◆ヒソヒソ話とは・・・他人に聞こえないように小声で話すこと、またはその話。
これは───事件の匂いがする。
*
「……そんでZAZYの家賃はいくらなん?」
「ええ?家賃すか?ええと……」
BKBが聞き耳をたてると、中村がZAZYに家賃を訪ねていた。
関係性もある仲だし、今年の春に大阪から上京してきた中村が、気になるといえば気になることだ。
そんな話か、と勝手に期待して勝手に肩透かしをくらうBKB。
「なるほどね……でさ、ZAZYはYouTubeとかでも稼いでる?」
「いや〜、あんまりYouTubeは動かせてないすね」
「そうか……俺本格的に始めようとしてんねんけど……あ、バイクさん、バイクさんはあの美容室のやつ、いくらくらいお金入ってくるんすか?」
事件の種を探すため、話題には入りたかったBKB。思いがけず、向こうから招き入れてくれた。
だがなかなか生々しい質問で参加することになった。
しかし芸人同士は聞かれたら割とあけすけなく答えたりもする。
「あ、美容室のやつ?んーと……まあ最近そんな頻繁には更新できてないし、月によるけど……ええと平均◯◯円くらいとか」
「ほ〜。なるほどね!え、家賃いくらすか?」
「◯◯円だわ」
「なるほどなるほど。ちなみバイクさんて後輩とかに飯奢ったら、いくらくらいで『うわ、ちょ高いな』とかなります?」
「え?まあ◯◯万とか超えたらなるかな?」
「そうすよね〜。東京って飯もやっぱ高いすよね〜。大阪と違うわ〜」
なにかあるかもと思って参加したものの、お金の話ではあるが和やかな会話。
そうそう事件なんてないよな、そう思いながら「確かにちょい高いかもね」とBKBが中村に答えかけたそのとき。
会話を隣で聞いていたZAZYがはなった一言で、場の空気は一変することとなる。
「……いつまで上京気分なんすか」
突然の金髪長身男子の鋭い一言に中村がキョトンとした表情を見せた。
「ZAZY?なんやねんな急に〜」
「上京してどんくらいたつんすか?」
「えと、8ヶ月くらい」
「なが。もう慣れたでしょ。東京高い、とかもういいでしょ」
上京して数年たつZAZYからすれば、確かにヘンダーソン中村の「俺まだ上京したて」感が気になったのかもしれない。
詳しくは割愛するが、中村は愛されるお調子者なので、後輩からこんなきびしめの意見を言われることもままある。
BKBはその瞬間を見逃さなかった。
事件が起こりそうだからだ。
「おいおい!ZAZY!急にどうした!?」
とりあえず、あおるBKB。
「いや、中村さんて会うたびこれ言うんすよ。毎回毎回。東京は〜東京は〜って。ずっっっと上京したて気分で」
そのZAZYの指摘にもちろん応戦する中村。
「いや、ええやろ別に〜!今年来てんからさぁ〜!」
「長いんすよ。あと、今日楽屋で今んとこお金の話しかしてないすよ!」
「いや、気になるやろそれはだってさ〜!せや!給料も教えろや!」
BKBの思惑通り、やや揉めする二人。
不敵にお金の話を繰り返す中村。
毅然と責め立てるZAZY。
「おはようございます〜」
そんな空気をまったく知るよしもなく、楽屋に現れたのは、これまたこの春に上京してきたベビーフェイスピン芸人のkento fukaya(ケント フカヤ)。
ルミネの夜の寄席公演『よるの部』のMCとして、この日はやってきていた。
「ケントやん。いいところに来た」
「え?なんすか?」
「家賃いくらなん?」
「なんすか、急に?はは」
楽屋到着1秒で中村にお金の話をされたケント。
「どんだけ聞くんすか」
再び詰めるZAZY。
「だからええやろて〜」
意に介さない中村。
「〇〇円ですけど」
とりあえず即レスするケント。
───BKBがそのとき、あることに気づいた。
「……え?これ?まさか……いや、やっぱり……」
意味深にそうつぶやいたBKBに、周りの後輩達が会話をとめ、中村が訊ねる。
「バイクさん?どうしたんすか……?」
「……気づいてるか?」
「え?だからなんすか?」
「中村が今日、お金の話した芸人、BKB、ZAZY、kento fukaya、全員……“アルファベット”やねん」
「おお……え、だからなんすか?」
「これ……事件よな?」
「全然事件ちゃうわ!てかそれやめてもらっていいすか!?」
「え?」
「こっちは普通に話してるのに、これ事件なるかも、って写真撮ってくるから会話とまるんすよ!ははは!」
「それはごめん!ははは!」
後輩達にももちろんこの連載のことは説明させてもらい、必要な写真を“その都度”撮っていたBKB。
そもそも劇場なんて平和な場所にそうそう事件など転がってはいない。
事件簿を完成させたいあまりの明らかな越権行為。
巻き込んでごめん、と反省するBKB───と、そのときだった。
「おつかれさます〜。ふぅ」
買い物から帰ってきたアタック西本。
「あ、おつか……」
皆がそう言いかけたその刹那。
驚きの光景が目に入った。
「いやいやいや、パンでかぁ!!!」
見たことのないそのパンのサイズに楽屋中が盛り上がる。
「なにそのサイズ!」
「顔くらいあるやん!」
「なんそれっ!!!」
一斉にツッコまれるアタックが一言。
「そんなデカいんすかこれ?なんも思ってなかったっす。はは」
BKBは思った。
これも事件には───まあならんか。でもデカすぎるよな。ある種事件よな。よし。なんとかこれらをまとめるとしよう。
事件簿を書きたいのになにも起こらなかったから困った、という事件が起こった。そんな日だった。
【完】