芸人にとって楽屋とは、いったいなんなのだろうか。
楽しい部屋、と書いて楽屋と読む。だが、決して楽しいことばかりではない。
玉石混交な群像劇が日々───そこにはある。
*
バイク少年こと、BKBこと、バイク川崎バイク(以下BKB)は、今日も、ルミネtheよしもとの楽屋に入るなり、舞台衣装の赤いラグランに袖を通す。
ラフなロンTとジャージスタイルなので、着替えに要する時間は、漫才師たちよりは比較的短い。
急げば、ものの一分で着替えは完了する。
BKBは時折、出番時間まで余裕はあるにもかかわらず、さらに秒速での早着替えにチャレンジすることがある。
なぜそんなことをするのか、と問われれば「さっき楽屋に来て私服だったのに、もうBKBの状態になってる!?はやくない!?」と誰かに言ってもらいたいから(実際、フルーツポンチ村上にそう言われたときは、してやったりな、得も言われぬ感情に見舞われた)。
ではなぜ、そんなことを言われたいのか、と問われれば、“場がなんとなく楽しくなるかもしれない”から。
すごく楽しくなるわけではない。楽屋では、なんとなくの楽しさを求めている(また実際、村上以来、ほぼ誰もなにも言ってこない日々が続いたので、最近は過剰に早く着替えることはやめた)。
芸人というのは場繋ぎの会話に長けている者が多いため、このように、特に勝算も打算もなく、本当に適当な行動をとったり、適当な話をしたりしている。
ヒリつく現場などではなく、平和で慣れ親しんだ劇場楽屋などでは、それがより顕著となる。
そして、それが事件に繋がることも───。
───この日の楽屋には、優しい幼馴染コント師のサルゴリラと、穏やかな狂言漫才師すゑひろがりずがいた。
BKBが、ロンTの丸首から顔をスポっと出した瞬間、サルゴリラ児玉が「え? Bちゃん、なんか顔白くない?メイク?美白してる?」と問いかけてきた。
年齢がそこそこいっている中堅芸人たちは、意外にも脱毛や肌ケアなどの話をよく交わす。
いつまでも若手に見られたい表れなのか。
言われたBKBもまんざらでもなく「まあなあ。こないだちょっと脱毛とかして、毛穴のそうじ?トーニング?みたいなのした!だからあってる!気づいてくれて嬉しいよ、だまさん」とご機嫌に返す。
「え、そうなんだ。いいじゃん。俺もしたいなあ」
「やったらいいよ。てか、だまさんもさ、目のクマ取りしたんよな?美容に目覚めたってこと?」
「いや、クマ取りしてない。よく見て」
「あ。ほんまや。すっっっごいクマ」

なぜかBKBは、児玉がクマ取りをした、と思い込んで適当に話をしていた。
いわゆる、場繋ぎに失敗した瞬間だ。
以前、児玉が「クマ取りをしたい」と言っていた記憶が残っており、その記憶がなぜか「クマ取りをした」という間違った記憶に改ざんされていたのだ。
やや楽屋に気まずい空気が流れそうになるが、こんなことで芸人のメンタルは揺るがない。
「どこを見てやってると思ったのよ。目の下いつも真っ黒だよ」と笑いながらツッコむ児玉。
「ごめんごめん」と謝るBKB。
そのやりとりを聞いていた、サルゴリラ赤羽が話しかけてきた。
「B、俺も肌やりたいけど、クリニックいい感じなの?」
「あー、そうね、他の芸人さんも来てほしいって言ってたから紹介しようか?」
「いいね、あ、俺さ今度、歯やるんだよね」
「歯?」
「うん、見て」
赤羽が口をイーッと真横に開き、歯を見せてきた。
楽屋にいた芸人たちが一斉に赤羽の口を覗き込む。
さらに続けて赤羽は言った。
「ほら、ヤニとかコーヒーの色味とりたくて」
そのときだった。
楽屋の席の配置的に、一番近くで赤羽の歯を覗きこんでいた、すゑひろがりず三島が間髪入れずこう言った。
「ほんますね、若干、歯並びガチャガチャしてますもんね〜」
「……え?」
「……え?」
場が静まり返った。皆が「今、なにが起こった」という空気になった。
この会話の違和感にお気づきだろうか。
早い話が、赤羽は「歯をホワイトニングしたい」という趣旨の話をしていたのに対して、三島は「歯列矯正をするんだなこの人は」と決めつけた発言をしたのだ。
BKBが児玉に対して言ってしまった「クマがあった人に、クマ取りをした」と決めつけていたのとは訳が違う。
重ねて言う。
赤羽は歯を白くしたい、と言っただけ。
それに対して三島は、歯並びを指摘した。
赤羽は歯の色味こそ気にしてはいたが、歯並びは気にもしてなかったのに。
ノーモーションからパンチを打たれ、絶句してしまっている赤羽。
三島の相方である、すゑひろがりず南條が、たまらず声をあげた。
「待って待って。三島?今のなに?」
三島がしどろもどろになりながら言った。
「え?え?なにが?」
「いや、三島。赤羽さんは歯の色の話をしてたのよ?歯並びの話なんか誰もしてなかったで!?」
「え?そうか、わー!やってしまった!」
改めて、事の顛末をBKBが訊ねた。
「ほんで、今のなんやったん?」
「いや、違うんすよ……!赤羽さんが歯を見せた瞬間、ちょっとだけガチャってたのが見えたので、これは絶対矯正するってことよな、って適当に判断してしまいました!」
「いや、でも、え?ヤニとかコーヒーの色味とりたい、みたいなこと言ってたよ?」
「言ってたかもしれないですけど!聞いてなかったです!赤羽さんこんな感じにガチャってたとは思ってなかったので!意外だったんで!絶対矯正の話してると思い込んで喋ってました!すんません!」
「え?俺、歯ガチャってるの?」
その自覚があまりなかった赤羽が、三島に詰めよる。

「もう〜!すんませ〜ん!」
これが例えば、芸人ではない普通の職場での、先輩後輩同士のやり取りだったとすれば、後の関係性に尾を引くような凄惨な事件になっていたかもしれない。
だが、そこにいた芸人は、赤羽も含め、全員が笑っていた。
「三島って感じやな〜!」
「デリカシーやばいね!ははは!」
「適当に話してまうときあるんすよ僕!すんません!」
「事件簿の最終回はこれで決まりや!」
「嘘でしょ!これで大丈夫なんすか!?」

三島が「……やってしまったなぁ」と、わかりやすく空を見上げていた。
今日も楽屋は、様々な事件はあれど、楽しい楽屋だった。
*
〜勝手にあとがき〜
一年と少し、この楽屋事件簿にお付き合いしていただいた読者の方々、ありがとうございました。
これを書き出して三ヶ月目くらいから、「楽屋の出来事を事件小説風にする」という自分で言い出した企画が思ったより大変で、劇場に行くたび「今日の事件簿どうしよう!」と、首を絞められた自業自得な時期もありましたが、時折あった反響も励みになり、結果、楽しく終えることができました。
次回から、ヘンダーソンが楽屋通信を引き継いでくれるそうです! お楽しみにですすす!
最後に───寄席や単独ライブ、トークライブに賞レースなど、酸いも甘いも、夢も希望も、すべてを見てきた劇場楽屋。
B僕らは
K今日もなんとなく過ごしてますこの
B場所で

【バイク少年の楽屋事件簿・完】
