「ヨウヨウ!ヨウ!ウルセー!ダマレダマレ!」
楽屋で、ザンギリ頭の男が悲しいリリックを響かせた。
場に居合わせたバイク少年は、のちにこう語った。
「これは───見てられない事件でした」
*
街を行き交う人たちが、ようやく上着を手放しだした四月の半ば。
この日もルミネtheよしもとでは、“本公演”と呼ばれる通常ネタライブが3ステージ開催されていた。
土曜日ということもあってか、満席の大盛況。
出演者はダイアンやパンクブーブー、見取り図にすゑひろがりず、さや香にトット、5GAPとバイク川崎バイク、さらにはカウス師匠と、多種多様な芸風と芸歴のメンバーが名を連ねていた。
バイク少年こと、バイク川崎バイクこと、BKB(以下BKB)はこの日、全ステージトップバッター出番を任されていた。慣れた劇場に、慣れたトップバッター。
とはいえ、トップ出番はその日の客の空気がわからない状態でとびこむため(若手芸人による前説のおかげで多少の予想はできるが)芸歴を重ねてきたBKBも、いくぶん早めにスイッチを入れる。
目覚ましと精神集中をかねて、楽屋に用意してもらっているコーヒーメーカーから熱々のコーヒーを注ぐ。そして、ゆっくりと味わいながら深く息を吐く。
BKBはこの、楽屋入りしてから出番までのひと時のコーヒータイムが好きだ。
3口目を口元に運んでいる途中、そばを通りかかったダイアン津田が話しかけてきた。
「あれ、BKB、顔きいろくない?黄疸か?」
およそ、大人の挨拶の一言目とは思えない言葉を投げかけてくる津田。
言われたBKBも、半分はノリのような先輩の適当な絡みになんとか返そうとする。
「いや、一言目それやばいでしょ。黄疸ではないし。ほんで万が一黄疸やったら余計ダメすよ」
「ああ、ごめんごめん。うそうそ」
「どれがうそなんすか」
「ぜんぶ。まあ元気そうでよかったわ」
「え、漫画とかによくある、元気ない人にちょっかい出して、怒らせて、なんだ元気あるじゃん〜、みたいなこと?」
「それはぜんぜんわからんけど」
「なんやねん」
「ぶはは」
いつもの楽屋の風景。
津田のおかげもあってか緊張はほぐれ、のびのびとトップバッターを終えたBKB。
そして楽屋に戻ると、またいつもの楽屋の風景───ではない風景を目の当たりにすることとなった。

「……え?どういうこと……?」
楽屋のドアを開けたら、どこかのジムに瞬間移動でもしてしまったのか。
だが、楽屋の隅に鉄アレイが存在したことを思い出し(使っている人をほぼ見ないがなぜかある鉄アレイ)我に返った。
回り込むとそれは、必死の形相で鉄アレイを上下に動かしている、見取り図のツッコミ担当盛山であった。

「すごいね……え、なにしてんの?」
率直な感想と疑問を同時にBKBがぶつけると「あ、ま……!ってくださ……い!あと!3回……!あげ……るんで……!」と、盛山が鉄アレイを交互にあげながら言った。
どうやら話しかけるタイミングではなかったらしい。
盛山が「……ううう……!よしっ!!ふ〜」と言いながら、ゴン!と鉄アレイを地面に置き、一息ついた。
「すんませんバイクさん、おはようございます」
「おはよ。いやすごいね、なにしてんの?」
まったく同じことを聞くBKB。
「あ、今、企画でボディメイクしてて、そのノルマっすね」
「ボディメイク?」
「まあダイエット的なやつすね」
「ダイエットでええやん」
「バイクさん、今もうダイエットとか言わなくなってきてるらしいですよ。知らなかったですか」
二十年以上、体型が変わらないBKBは昨今のダイエット業界の情報には疎い。
そうだったのか。今あまりダイエットと言わないのか。勉強になった、と言いかけたが、出番終わり直後で心身ともにあったまっていたBKBは、盛山にこう言い放った。
「知らんし。おれ、盛山みたいに太ったりしたことないからな〜」
やんわり知識マウントをとられたとはいえ、確かに言う必要のない言葉ではあった。
だが、先ほどのダイアン津田との絡みしかり、関係性があれば多少の失礼無礼が入り交ざった会話は芸人界隈ではよくあることだ。BKBと盛山も大阪時代からの先輩後輩の仲で15年以上の付き合いだ。
しかし、このBKBの返しを皮切りにとんでもない時間がやってくることとなる。
「……」
盛山が一瞬、天井をあおぎ黙り込んだ。
「ん?どした?え?」とBKBが不思議がっていると、盛山はおもむろにスマホを手に取った。そして、慣れた手つきで画面をトントンとタップしたかと思えば、楽屋に突如として軽快なサウンドが流れ出した。
《♪ズン!チャチャ!ズンズン!チャチャ!ズン!ティキティキズン!》
これはラップバトルなどでよく使われる“ヒップホップメロディ“だ。
BKBが、突然の重低音に面食らっていると、盛山は身体を縦に横に揺らしながらラップを始めた。
「ヘイ!ヨゥ!BKB!なんだって?誰が太ってる 晴れわたってる 日にぶしつけだな バイクだかマイクだか知らないが あんたもサングラス なにも 似合わない だからこの場で 苦笑い してんだろ サングラス 作れよ ファンクラブ も作れ 作ってもファン入らねえってこと知ってるぜ? お前 しんでるぜ そんで言うんだろ勘弁 そしてするんだ觀念 残念 おんっ!」

ラップ好きが高じて、もはや趣味の域を超えたクオリティのラップを得意とする盛山のリリックを、ノーモーションで食らったBKB。
「なんや、おま……急に……ちょ……急におい」
なにか言い返そうにも、このフィールドでは太刀打ちできないことを悟り、通常以下の語彙力になってしまった。
汗をふき、服を着替え立ち去ろうとする盛山。
そこに偶然、すゑひろがりず三島が通りかかった。
「あれ、どうしたんですかバイクさん?うなだれて」
なぜか窮地に立たされていたBKBは、その優しい問いかけに、シルエットも手伝ってか三島がまるで仏像のように見えた。
「三島ぁ、ちょ、助けてくれ。盛山が〜」
仏にすがるBKB。
「あ!盛山、おまえまたなんかラップみたいなもんやっとんか!バイクさんになに言うたんや!」
三島は、芸歴が盛山の一つ先輩でかなり親しい関係性ということもあり、すぐに状況を察した。
すると、言われた盛山は顔色一つ変えずまたスマホをタップして、再び冷静にリリックを刻みだした。その顔つきと風体は、迷いも曇りもない、ただのラッパーだった。
「ヨウヨウ! なんだお前急に しゃしゃってきたな 急に 刺されにきたか 大仏のような髪 怪物のような神 にはなれない 三島殿 お呼びじゃない ここより 最寄り の駅で帰りな!おん!」
なぜこんなにもスラスラと淀みなくライム(韻)を踏み続けることができるのか? 人はクオリティの高すぎるものを見るとなにも言えなくなる。
しかし、口をパクパクさせるしかできなかったBKBとは違って三島は「ヘイ!ヨウ!」と、悠然と切り返したのだった。
三島が足を強めに一歩踏み出し、床がドンと鳴る。
ラップバトルのゴングが聞こえた気がした。
BKBは心の中で叫んだ。カァマセェェェ!
「ヘイ!ヨウ! うるさいよ 見取り図!お前……」


首を振り出し、軽快な入りを三島が見せる。
普段、伝統芸能ネタをやっている三島から想像できない軽やかさだ。
しかし次の瞬間、三島の声をさえぎり、盛山がかぶせるように続けた。
「おい!!!勝手にしゃべんな お前の番はない そう俺は見取り図ゥ キザむぜ ビィトリズム お前困っちゃうね? ホワッチュユアネィム? すゑひろがりず まさに世も末 末っ子まるだしの髪型 バリカン買ってあげるぜ 頭も刈ってもらいなママに!」
「 ウルセー お前は……」
「だからお前は喋んな 首振るな お前は 白旗を振れ! 」
「ウルセー ドウテイのくせに……」
「しゃべんな ドウテイはお前 口説く 工程 も知らない無知で憐れなその 面構え ひざまづきたまえ!」
「ウルセー ドウテイじゃない俺は……」
「しゃべんな って言ってんだろ 知ってんだろ 俺には勝てない 冷めない うちにとっとと静かにしたほうが身のためだぜ 胃もたれ してんだすでに リリック 枯渇 して 恫喝 みたいになってるんじゃおしまい 南條呼んでくるか? なんぼぅ?のもんじゃい!」
「……ヨ……ウヨウ!ヨウ!ウルセー!ダマレダマレェェヨ!」
ここで強制終了となった。
これはラップバトル───だったのだろうか。
リリックの数は明らかに少なかった三島が、なぜか肩で息をしていた。
対照的に涼しい顔の、ほぼR-指定盛山。
たまらずBKBが三島に駆け寄り声をかけた。
「おい!三島……!大丈夫か?」
「はぁ……はぁ……。大丈夫です。ぜんぜん……効いてないです」
精一杯の、強がりすゑひろがり。
すると盛山が「今日、お客さんどんな感じでした?」と、まるでなにごともなかったかのように日常会話に戻っている。
盛山からすれば、この時間はただ息を吸って吐いた、そんな程度のことだったのだろうか。
つまり事件ですらなかった。
巻き込まれただけの三島からすれば、たまったものではない。
みなさんも誰かになにかを言うときは気をつけてほしい。
逆鱗に触れ、近隣の人が、ギンギンに巻き込まれるかもしれないから。ヨウ。

【完】