2022年4月に、創業110周年を迎えた吉本興業。これを記念して、芸歴を足すとぴったり110年になる3組の芸人たちによる座談会が開催されました。メンバーは、西川きよし、今田耕司、ニューヨーク(嶋佐和也、屋敷裕政)。ベテラン、中堅、若手の3世代で、吉本のこと、舞台のこと、芸人仲間のことをたっぷり語り合いました。きよし、今田が繰り出す仰天エピソードの数々に、ニューヨークも思わず前のめり! 芸人たちが見てきた、吉本の過去、現在、そしてこれから。お笑いファン必読です!
きよし、少年時代の中川家にヤジられる!?
今田 この3組での顔合わせは初めてやね。
きよし もう、楽屋で海外旅行してるようなもんです。
今田 ニューヨークやから(笑)。
屋敷 すごい豪華な、僕ら的にはホントありがたい座組で。
きよし 僕が70代で、(今田のほうを見て)50代で……。
屋敷 僕ら30代です。
きよし 僕らのころは世の中のこととか、ブラック的な切り口ってあんまりなかったんです。でも、おふたり(ニューヨーク)は見事に行くやないですか。
屋敷 いやいやいやいや(笑)。
嶋佐 そんなそんな(笑)。
今田 ちょこちょこ地雷踏んでますよ、ニューヨークは。
きよし うまく時代と向き合って頑張ってるなと。
嶋佐 うれしい〜。
きよし 今田さんはサンドイッチの、バターとマヨネーズの間のレタスとハムみたいな。
今田 えらい濃いのに挟まれてますけど(笑)。
きよし あっさりした日の番組と、ちょっと濃いなと思うときと、ゲストによってちゃんと料理の仕方を変えてますよね。僕らが若手のころは、いわゆる楽屋のしきたりというか、「お先に勉強させてもらいます」「お疲れさまでした」……それをやらないと、明日から来られないみたいな、封建的な芸能界でした。
屋敷 僕らも、ぎりぎりテレビを見て芸人になった世代なんですけど。
きよし 誰に憧れて入ったんですか?
屋敷 それこそ、今田さんとかダウンタウンさんとか。
嶋佐 『ごっつええ感じ』(フジテレビ系)とか、めちゃくちゃ見てました。
屋敷 『M-1グランプリ』も、僕らが学生のころに始まって。
今田 ええ〜っ!? でも、そらそうやわ。(番組が始まって)20年か。
屋敷 僕らよりもう1つ下(の世代)は、テレビじゃないところ、たとえばYouTubeとか見て。
今田 そういえば、(YouTuberの)ヒカキン大好きやっていう吉本の芸人おったわ。やっぱり時代ですよね。
屋敷 僕らの下から、雰囲気が変わってくるんやろうなという感じはしますね。
きよし M-1の1回目の審査員、僕やったもん。
今田 そうですよね! きよし師匠は司会もやられてたし(2002、2003年)。僕は3回目からやからな。
屋敷 もちろん覚えてます。
きよし いまでも「師匠、その節は……」って中川家に言われるねん。僕だけ(ファイナルステージで中川家に)入れへんかったから(笑)
今田 そうでしたね〜。
きよし 中川家といえば、(横山)やすしさんと漫才してるとき、当時は3回公演で(観客の)入れ換えがなかったんですけど、2人の男の子が(最前列から)舞台にアゴを乗せて、1回目からずっと見てて。
今田 中川家は子どものとき、ずっと劇場に通ってたんですよね。
きよし 1回目と3回目に同じネタをやってたら、中川家の兄弟が「そのネタ見たぞ〜!」って(笑)。
屋敷 イヤなお客さんやな〜!(笑)
今田 やすきよ師匠に!
きよし その2人が(吉本に)入ってくるんやから。
今田「“親世代”が元気なのがありがたい」
屋敷 いやでも、ホントに3世代って感じがします。僕らが生まれた年に、今田さんがデビューされてて。
今田 きよし師匠にしてみたら(ニューヨークは)孫世代やもんな。
きよし 長男(西川忠志)が53歳ですから。
今田 うわ〜。だから、オレは息子世代やな。
きよし 今田さんもニューヨークのおふたりもそうですが、時代とともに(芸人たちが)変わっていくのを自分の時代と比較しながら、ああ、これで吉本も大丈夫や、安泰やと。
今田 (明石家)さんま兄やんとかは、親戚のおじさんかお兄さんみたいな感じやな。
屋敷 親父ではないんですね。
今田 親父はやっぱり、きよし師匠とかの親世代やな。
きよし ちょっと前の読売テレビの『特盛り!よしもと(今田・八光のおしゃべりジャングル)』(現『今田耕司のネタバレMTG』)でみんながうわ〜っと揉めてるときに、(今田が)「お前らケンカすな! 吉本はみんな仲よくせなアカンってきよし師匠も言うてるやろ!」って言うてましたね。
屋敷 チェックしてはるんですね。
今田 「仲ようせえ」って、きよし師匠の口癖ですよね。
きよし だから、あそこのネタはこう変えたらいいのにな、みたいなことも言ってあげたい気持ちはあるんですけど、出て行ったらアカンと思うんです。いまの時代、僕らはもう出て行ったらダメやって。
今田 漫才に対してはあるからなあ、やっぱりね。
きよし でも、みんなが仲よくしてくれるのはうれしいね。東京に行く前の千鳥やとか、かまいたち、笑い飯やギャロップの林(健)とか、みんなで(テンダラー)浜本(広晃)くんの店で焼き鳥食べながら……。仲間に入れてくれるっていうのが僕はうれしかった。自分からも行くし。
今田 親世代が元気っていうのはありがたいですよね。この世代の方がおらんようになったら、どうなんねやろっていうのはありますよ。きよし師匠、(桂)文枝師匠っていう絶対的な人がいるから、安心して遊べるっていうとこあるじゃないですか。後輩たちも、上を尊敬してる先輩を見てるから。3世代って、やっぱりすごくいい。むかしで言うたら、家庭ですよね。おじいちゃんがいて、お父さんがいて、子どもがいてっていう。一緒に住んで、それぞれを敬ってるところで育って行く、みたいなのがある。
「やすしさんに会わせてあげたかった」
きよし おふたり(ニューヨーク)は、吉本に入ってきて、しきたりみたいなんでビックリしたのは何ですか?
嶋佐 僕らはNSC(吉本総合芸能学院)っていう養成所に入ってるんですけど、その厳しさと怖さにビックリしましたね。僕、部活とかやったことなかったんで。
屋敷 NSCは独特でしたね。
今田 ちょっと間違ったタテ社会やったな。
屋敷 そうですよね。僕らは転換期の最後で、僕らの次の年からあまり厳しくなくなったみたいです。逆に劇場に出るようになったら、テレビでよく話してる、先輩方が「飲みに行くぞ」と連れ回すとか、軍団みたいなのがあるとかは全然なくて、ホントにサークルじゃないですけど、わりと和気あいあいなんやなって感じはしました。
嶋佐 そうですね。1年目なんかも、最低限というか、ふつうにちゃんと挨拶してたら、ぜんぜん怒られたことはなかったです。
今田 オレらも知らんなあ。オレがたぶん最後に京都花月(1987年閉館)に出てたんで……。
屋敷 京都花月ってよく聞きます、こういう話のとき!
きよし むかしは京都と梅田と難波の3つしか(劇場が)なかった。出演者も100人いなかったんですから。
屋敷 若手だけの小屋みたいなのがなかったんですよね。
今田 それが(心斎橋筋)2丁目劇場(1986~99年)やな、ダウンタウンさんとやってた。いまの(大﨑洋)会長が作ったんや。「漫才禁止」って言うてな。本体と逆のことやるっていう。オレは、そこから京都花月へ行ってこいって言われて、トップ出番で出たんやけど、そのときに初めて生の芸人さんに会った。(2丁目劇場では)ダウンタウンさんがいちばん上やったんが、(東洋)朝日丸・日出丸師匠とかザ・ダッシュ師匠とか……。
きよし うわあ!(笑)
今田 マジカルたけしさんとか、マジの怖い……。
屋敷 カタギじゃない雰囲気ってことですか。
きよし それやったら1回、やすしさんに会わせてあげたかったわ〜。
嶋佐・屋敷 (爆笑)
むかしもあった!? YouTuberのようなベテランのいたずら
今田 いまはなくなってるしきたりと言えば、中日(なかび)っていって、10日出番の5日目に、師匠方のところへ1000円もらいにいくねん。その会費を集めて、芸人が交流するような飲み会をするねん。
屋敷 最終日にやるってことですか。
今田 半年とか1年に1回。その資金を出番のときにもらうねんけど、この1000円取りに行くのが命がけやった。
嶋佐 へえ〜!
屋敷 それは若手の仕事なんですか!(笑)
今田 「中日お願いします」って言うたらみんなくれはるからって言われるねんけど、ベテランの人は「あらへんねやがな、こっちも!」って、めちゃくちゃ怖いねん。
きよし つらいとこやね〜。それでも出さなアカンというね。
今田 でも、それが何か「芸人やなあ」みたいな。そこで芸人さんの、テレビでも舞台でもない“生”を体感した感じやな。マジカルたけしさんって、火がついた煙草をパって(口の中へ)隠しはるんやけど、出番終わったら水道のところでゲーゲー言うて。
嶋佐・屋敷 (笑)
今田 で、「うどんの味わからへんわ」って言うてはった。それが、ものすごいおもしろくて。
きよし そういう話、おふたりに1回してあげたいね。朝日丸・日出丸さんのお兄さんのほう(日出丸)が、ちょうど流行り始めたカツラだったんですよ。VO5っていうヘアスプレーを使ってて、楽屋で隣の芸人さんがいなくなったら、その人のを使うんです。で、減り方が早いから、その芸人さんが「おかしいなあ」って言って。そこで、VO5のラベルを水にひたして外して、真っ赤なスプレーペンキに付け替えておいた。(日出丸が)スプレーして鏡見たら「ぎゃ〜!!!!!」って(笑)。
屋敷 いちばんYouTuberみたいなことしてる!(笑)
今田 当時は、いたずらがすごかったんですよね。
きよし その後、どうしたと思います?
屋敷 そのまま出はったんですか。
きよし 出るかいな!(笑)
嶋佐 真っ赤ですもんね。
きよし 風呂場に行ってタワシでそれをワーっと。
今田 カツラを(笑)。
きよし でも、とれない(笑)。それぐらい、どう言うたらいいんかな……。おもしろいって言うたらいいんかな、粋やって言うたらいいんかな。
今田 そういうところが、後々語り継がれるというか。
屋敷 緊張感がすごいですね。めちゃくちゃ上の方たちと一緒に出てる感じが。
令和の漫才師は仲よくないと!
今田 劇場によっては、師匠も若手も(楽屋が)ごちゃごちゃやったんで。いまみたいに個室とか、出番終わったらみんなパーッと外に出かけるとか、ないんですよ。僕がダウンタウンさんから聞いたのは、むかしの梅田花月はらせん階段があって、若手の楽屋は“船底”って言われるいちばん下で。そこかららせん階段を上がって舞台に行くねんけど、上のほうにある売れてる人の楽屋を通って出ていくねん。で、お昼でもおカネないから1品だけとか食べるやん。でも階段上がっていくとき、めちゃくちゃ売れっ子のきよし師匠が、中華をバーッと並べながら食べてて、「みんな食べや〜」って言ってるのを見て、いつか何品も頼めるようになりたいなって思ってたんやっていうのを。
きよし いまでも松ちゃんに聞くわ(笑)
屋敷 ダウンタウンさんにも、そんな時代があったんですね。
きよし 僕も、それこそ新人コーナーに出てるとき、ラーメンと焼き飯、2つで100円っていうのばっかり頼んでましたね。酢豚や春巻きやって並べたかったんですよ。
屋敷 師匠とごちゃまぜ(の楽屋)やから、そういう共通した思い出があるんですね。僕らはヨシモト∞ホールという若手の劇場があって、そこで頑張ったらルミネ(theよしもと)に呼ばれるんですけど、ステージが細かく分かれてて、その都度、またイチから始めるみたいな感じでした。
今田 そこの世界で完結してしまう。僕らが2丁目劇場に出てるときと同じですね。いちばんトップ(ダウンタウン)も若いし、師匠とお話ししたりとか、どっか行くみたいなのはなかったなあ。
屋敷 初めてNGK(なんばグランド花月)に出させてもらったとき、舞台袖できよし師匠とWヤング師匠がミニコントみたいなことをされてたんです。「芸歴○年目の西川きよしです!」「いやいや、やめてください!」みたいな。それ見て、若手みたいなノリを師匠もやってはるんやと思って、すごいうれしかったんですよ。
今田 大師匠やのに、若手みたいにやってたんですね。遊んでたんですよ、Wヤングさんと。
屋敷 ふざけ合ってる感じが、僕ら若手芸人のノリとあんまり変わらへんやんっていう。
今田 オレらが20歳ぐらいのときも、やっぱり40、50(歳)の人がキャッキャやったり、口げんかしたりしてた。そんなんとか、見たことないやろ?
きよし いちばん仲が悪いコンビは、背中同士を合わせて漫才の原稿読むんです。
今田 絶対にステージ上でしか一緒にならへん漫才師さんって、いましたよね。
きよし それでも漫才見たら、おもしろいんですよ。
今田 だから、漫才コンビは仲悪いほうがおもしろいぐらいに言われてて……。令和は逆なんですよ。いまは、漫才コンビは仲よくないと。バラエティー番組でも相方との罵り合いとか、もうなくなったもんな。
屋敷 確かにそうですね。お互い、「こいつ嫌いやわ〜」みたいなのないですもんね。
今田 お互いの好きなとこ言うてほっこりするっていう(笑)。オレらの時代やったら考えられへんわ。
きよしと今田は「エンジンが違う感じ」
きよし ニューヨークのおふたりは、「これから、あのあたりを目指さなアカンな」みたいなのはあるんですか?
嶋佐 僕らの何かを見つけないとヤバいなと思います。(きよし師匠と今田さんの)おふたりは、馬力が違うんですよね。その時代に生まれた人って、なにか変なもの食べたり……食べ物が違ったのかな。
今田 オレらの上の世代な。
屋敷 いやいや、今田さんも! オレらいま、K-1ファイターとしゃべってるみたいな感覚ですよ(笑)。
嶋佐 エンジンが違う感じがするんですよね。
今田 オレは上を見て、エンジンちゃうなと思うなあ。
屋敷 今田さんも、そう思ってたんですか!
今田 さんま兄やんとか、きよし師匠もそうやけど、エンジンが違う。きよし師匠はちょっと特別やな。
きよし 朝昼晩と、高麗人参食べてますから(笑)。
今田 (きよしの額のあたりを指して)見てみ、この生え際! こんな人、おる?
きよし 額が短いってよく言われるわ(笑)。
屋敷 きよし師匠も、自分より上の世代を見て「すごいな、この人。エンジン違うな」っていう感覚はあったんですか?
きよし われわれが憧れてたのは、いわゆる漫才の歴史の過渡期ですね。横山エンタツ・花菱アチャコ師匠に、いろんなところへ連れて行ってもらった最後の芸人です。(ニューヨークに)教えてあげたいこと、いっぱいあります。いっぺん、ゆっくりじっくり。
今田 オレらが子どものころに、おじいちゃんとや思って見てた人が、意外と50代やったりするからね。あのとき、こんな若かったんやと思うけど、きよし師匠ぐらい(の世代)になってから、見た目も若くなりましたよね。師匠も、70代の人のおしゃべりじゃないやん。
嶋佐 ホントに。
今田 マジでとんでもない。むかしから変わらへんもんね。おしゃべりと、エネルギーが。やっぱどっか疲れてくるじゃないですか、オフのときとか。でも、きよし師匠は変わらないんですよ。あと、ええもん食べてはるしね。いまから30年近く前、きよし師匠がテレビ朝日でやってた番組にネタをやりに行ったときに、終わってから「中華行きましょう」って連れてってもらって食った中華は、いまだに思い出します。中華って大皿で出てくるもんやん。それが小皿で出てきて。
きよし 中国飯店やね。
今田 2、3口食べたら終わり。で、また次が出てくる。中国飯店やったんですか! いまだに思い出すんですよ。「きよし師匠が連れて行ってくれたあの中華、どこにあんねやろ」って(笑)。
屋敷 それは“うまい”ってインプットされてるんですか?
今田 食べたことないし、おいしすぎて、「こういうの食べてはんねんな」と思った。
きよし で、何をやりたいかっていうのは……。
今田 そうや、ニューヨークが目指すところを聞かせてよ。
屋敷 「負けてられへん」っていう思いよりは、自分らなりのペースで、年とったときに楽しくやっていられたらええなっていうのはめっちゃ思いますけど。おふたりを越えようっていうのは……。
嶋佐 ないですね〜。
屋敷 自分はエンジンが違うって思っちゃうんです。
嶋佐 なんかうまいこと、自分たちにちょうどいいような感じで時代が変わってくれたら。
今田 そういうのもあるよ。チャンスは、やっぱり来ますよね、絶対。
きよし そのときにモノにするかやね。