今年も「卯年」年男芸人が大集合! 空気階段もぐら「芸人になろうとは思っていなかった」!?

卯年の2023年、今年も“年男芸人”たちを集めてリモート座談会を行いました! 今回、参加いただいたのは、1975年生まれの次長課長・河本準一、吉本新喜劇・千葉公平、そして1987年生まれの吉田たち・ゆうへい、空気階段・鈴木もぐら――生まれ育った環境や芸歴もまったく違う4人。子どものころの思い出の話や芸人を目指したきっかけなど、ここでしか聞くことができない話満載でお送りします。今回の記事を担当させていただきますのは、昨年の年男座談会に参加、執筆しました芸人ライターの岩橋淳です。

出典: FANY マガジン
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「スーパーカー消しゴム」vs「ミニ四駆」

岩橋 ……ということで卯年生まれの皆さまにお集まりいただきました。よろしくお願いいたします。

一同 よろしくお願いします。

岩橋 編集部からの質問案もありまして、まずは前回もわりと盛り上がった「小学生のころ、流行っていたもの」をお聞かせください。

千葉 僕の時代は「スーパーカー消しゴム」(1970年代後半に流行)でみんな遊んでましたね。車の形の消しゴムで、ノック式のボールペンで飛ばして遊ぶみたいな。

河本 あったなぁ。懐かしいわ。

ゆうへい 僕らはミニ四駆の消しゴムならありましたね。ちょうど『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』っていうミニ四駆の漫画(1994年から連載)が流行っていたときでした。

河本 ミニ四駆は俺らもあったけど、どちらかと言うと「ラジコン」のほうが流行ってた。

千葉 そうですよね! TAMIYAの。僕らはラジコンでしたね。

河本 ラジコンの大会があって「それに出たい!」って小学生のころはみんなやってた。

出典: FANY マガジン
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千葉 もぐらは、ミニ四駆は買ってもらえなかったんだっけ?

もぐら 買ってもらいましたよ! でも、モーターはふつうのヤツしか持ってませんでしたけど……。

ゆうへい トルクチューン(モーター)とかね。いろいろあった。

もぐら でも、僕らは「ポケモン(ポケットモンスター)」(1996年発売)でしたね。初代の赤と緑のやつはみんなやってました。あとは「たまごっち」(同年発売)が流行ってました。

千葉 たまごっちね! あれ僕の父さんが開発にかかわってたんだよ。中の部品のマイクロチップみたいなのを作る会社の課長だった。

もぐら スゴいじゃないですか! マイクロチップボーナスとかあったんじゃないですか?

千葉 ボーナスというか、1年だけお年玉が多かった年があった。

ゆういち たまごっちから、僕らは「デジモン(デジタルモンスター)」(1997年発売)もやりましたね。みんな学校にこっそり持ってきて遊んでました。

もぐら 当時、たまごっちが流行りすぎてパチモンみたいなのも、たくさんありましたよね? お祭りとかの出店のくじのハズレが、全部そういうのだったの覚えてます。

河本 パチモンで言ったら、俺らの時代は「ビックリマンシール」(1986年ごろから一大ブームに)が流行ってて。ロッテから出てるんだけど「ロッチ」っていう会社が似たようなの出しててさ。

千葉 ロッチ! ありましたね。

河本 友だちと交換とかするんだけど、そのなかにロッチのシールも混ぜられてて、「偽物掴まされた!」ってケンカになったりした。でも、いまは偽物のほうが価値上がってるらしいよ。

千葉 あんまり作られてないからだ。

出典: FANY マガジン
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千葉 ゆうへいとか、もぐらの時代はビックリマンあった?

もぐら ありましたけど、そういう系で言うと「Jリーグチップス」とか「プロ野球チップス」とかでしたね。

ゆういち あとは「遊戯王カード」(1999年発売)とかが流行ってました。

初めて買ったCDは…

岩橋 これも前回に続きですが、「いちばん最初に買ったCD」は覚えてますか?

河本 渡辺美里さんの「センチメンタル カンガルー」(1988年発売)だね。近所のダイエーでお母さんに買ってもらった。

千葉 大名曲ですね。僕は美月ありささんの「伝説の少女」(1991年発売)ですね。当時、キリンシャッセのCMで流れてて。

ゆういち 僕は「ポケモン言えるかな?」(1997年発売)でしたね。ポケモンの名前をずっと歌っていくやつで、当時の小学生とかみんな歌えたんじゃないですか? 「イマクニ?」っていう謎の人が歌ってるんですけど。

河本 イマクニって歌手の方?

もぐら わからないんですよ。コロコロコミックとか任天堂とかの関係者がやってたのかもしれないですけど。

千葉 それ、すごい売れたってこと?

岩橋 200万枚以上、売れたみたいですね。

河本 すごい! でも、誰も知らんのやろ?

もぐら はい。何者なのかは誰も知らないです。

出典: FANY マガジン
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ゆうへい イマクニって名前だったのは覚えてますね。

もぐら 正式な表記は「イマクニ?」 ですから。はてなマークが付くんですよ。

ゆうへい イマクニ?も、自分がイマクニ?なのかわかってない。

岩橋 もぐらは何を買いました?

もぐら 僕はポケットビスケッツの「Red Angel」(1997年発売)でしたね。ウリナリ(日本テレビ系『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』)がテレビで流行ってたので、それで買ったの覚えてます。

関東と関西でまったく違う「お笑い体験」

岩橋 テレビ番組の話が出たので。皆さまが小さいとき、お笑いの番組とか見てました? 前回も、関東と関西で放送されている番組が違ったのでとても盛り上がりまして。

ゆうへい 僕が中学のときは「baseよしもと」(1999年開館)が大ブームだったので、その番組を見てましたね。「?マジっすか!」(毎日放送、2001~2003年放送)とか、かじりついて見てました。とにかくすごい人気でした。「WEST SIDE」(吉本所属の芸人3組によるダンスユニット)さんとかアイドル的人気で。

河本 懐かしいなぁ。あのとき、人気すごかったもんな。

千葉 (元ランディーズ)高井(俊彦)さんは、いまもNGK(なんばグランド花月)とかでお会いするけど、いまだに「僕、WEST SIDEでしたから」みたいな顔してますよ。

河本 本当に?

岩橋 関東出身の方は何がありました?

千葉 僕らは深夜で「とぶくすり」(フジテレビ系、1993年放送)とかかな。

もぐら むかし覚えてるのが、ハローバイバイ(千葉が関暁夫と組んでいたコンビ)さんとかが出てた深夜のネタ番組ありませんでしたっけ?

河本 「笑林寺」(TBS系)じゃない?

千葉 ありましたけど! もぐらが言ってるの、それじゃないと思いますよ。

出典: FANY マガジン
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もぐら たしか、笑う……。

河本 あ! 子犬だ! 「笑う子犬の生活」(フジテレビ系、1999~2000年放送)。

千葉 そう! それですね。当時、ネタ時間10分とかやらせてもらえてたんだよ。

岩橋 テレビでそのネタ尺を放送していたってことですか?

河本 そうだよ。考えられないかもしれないけど、俺らも最初、「エンタの神様」(日本テレビ系)に出させてもらったときは11分やってたしね。

ゆういち すご! たしかにむかしは若手でも「オールザッツ漫才」(毎日放送)でネタ時間3~4分ありましたね。いまは1分とかが多いですけど。

もぐら 僕らは「ゲンセキ」(TBS系、2005年放送)とかも見てました。

河本 あったな。その後に「10カラット」になるんだよな。

千葉 コンマニセンチ(吉本所属のコンビ、2017年解散)とかが出てたやつですよね?

河本 コンマニセンチは、みんな知らないって!

千葉 知らないってことはないでしょ!

岩橋 ゲンセキは2005年放送でした。

もぐら じゃあ、僕らまだ高校生でしたね。

ゆうへい オリエンタルラジオさんとか出てましたよね? 僕らの2年先輩になるんですけど、「もうこんな売れてるんや」って衝撃受けました。

河本 オリラジ、すごかったもんな。

出典: FANY マガジン
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もぐら 僕が楽しみにしてたのは、「スーパージョッキー」(日本テレビ系)でしたね。日曜の昼は、あれを見るのがお決まりになってました。

河本 細川ふみえさんとか、飯島直子さんとか出てたよな。告知PRタイムとか、お色気系の企画たくさんやってた。

もぐら 蓮舫さんも出てませんでした?

河本 蓮舫さんも出てたけど、その前の「ウルトラクイズ」とかでキャンペーンガール的なこともやってて……。

千葉 河本さん、蓮舫さんのこと詳しすぎませんか?

河本 俺、めっちゃ好きだったんよ。蓮舫さんのこと。

「芸人になるしか選択肢がなかった」

岩橋 みなさんの芸人になろうというキッカケはなんですか?

千葉 僕は芸人なる前に調理師の専門学校に通っていて。そこで関暁夫くんと出会うんです。授業で豚の丸焼きを作るというのがあって、実習室みたいなところに豚が保管されているのを、2人で見つけたんですよ。そしたら、関が豚の口をめくって「C3、C12……」とか言い始めて、それを僕がメモるみたいなミニコントをやってたんです。

ゆういち 歯医者コントみたいな。

千葉 で、次の日に関くんから「お笑いやろうぜ」って言われたのがきっかけ。

河本 関のほうから誘ったんだね。

岩橋 そのときはお笑いやろうとは思ってなかったんですか?

千葉 そのときは思ってなかった。で、僕ら最初、ホリプロに行ったんですよ。NSC(吉本総合芸能学院)東京1期生の募集に間に合わなくて、ホリプロ行ってみようぜってなって。フォークダンスde成子坂さんのお手伝いとか行ってた。

河本 成子坂さん! そうなん!?

千葉 で、僕らの弁当だけ用意されてなくて、辞めて東京のNSC2期生で入りました。

河本 2期生は弁当用意されてたの?

千葉 されてました。

ゆういち 絶対されてないでしょ。NSCでお弁当用意されてるなんてことはないです。

出典: FANY マガジン
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河本 ハローバイバイのその話は初めて聞いたな。俺は選択肢がなかったの。就職先が上手く見つけられなくて、「これは吉本に行くしか道がないぞ」ってなったのがきっかけ。それまでお笑いをやろうだなんて微塵も思ってなかった。

岩橋 小さいころから考えていたわけではなかったんですね。

河本 お笑いは好きだったけど、働きたくもなかったから、芸人になるくらいしか選択肢がなかったんだよね。で、友だちの兄貴が前にNSC受けてて、そのパンフレットを見つけて「ここに行くしかない」って。で、相方(井上聡)を誘って入った感じ。だから、あのときパンフレット見つけてなかったら、いまごろ排水溝とかの掃除の仕事してたんじゃないかな。

岩橋 それで井上さんを誘って。

河本 まわりでお笑いに興味あるやつなんていなかったから、とにかく井上に「ジャッキー・チェンに会えるから」って、ワケのわからん嘘ついて誘って。それしか殺し文句がなかった。

千葉 ジャッキー・チェンには会ったんですか?

河本 3回会ってる。なんだかんだで。

もぐら すごっ!

中卒でNSCに行こうとした

岩橋 ゆうへいさんは?

ゆうへい 僕は中学生くらいのころに……。

もぐら (突然、むせて咳込み始める)

千葉 どうした!?

もぐら すみません……。飲み物が変なところに入っちゃって……。

河本 お前、512キロくらい体重あるだろ。

千葉 アメリカの太り過ぎて動けなくなった人みたいだぞ。

河本 ゆうへいの話はわかりました。もう大丈夫です。

ゆうへい いや! ちょっと待ってくださいよ!

河本 双子で面白くて芸人にということで……。

ゆうへい 僕、まだ双子とか言ってないのに……。僕はbaseよしもととM-1グランプリですね。

出典: FANY マガジン
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河本 漫才師になろう! と思ってズバンときたM-1チャンピオンは誰になるの? ブラックマヨネーズとか?

ゆうへい ブラマヨさんもそうですけど、フットボールアワーさんとかですかね。関西の賞レースも見ていたので、応援の気持ちも込めてでしたね。

岩橋 それで、こうへいさんを誘って?

ゆうへい 一応、僕から誘った感じではありますね。中学生のときに、どっちも行きたい高校をそれぞれ受験したんですけど、どっちも落ちちゃって。で、その段階で親にNSCに行かせてくれって頼みました。

もぐら えぇ? 中卒でNSCに行こうとしたんですか?

ゆうへい 芸人にものすごい憧れてたので。でも親から高校だけは行ってくれと言われたので、高校卒業してすぐに入りました。

河本 相方は同い年?

ゆうへい 双子なんですよ!(笑) 同い年も同い年。9分しか違わないんですから。マナカナさんは7分らしいですけど。

千葉 双子あるあるだ。

河本 そんな情報いらん!

「まさか自分が芸人続けていられているとは」

岩橋 もぐらはどうですか?

もぐら 僕は千葉県出身なんですけど、大阪芸大に行って落研に入ったんです。

ゆうへい ミルクボーイさんとか、ななまがりさんがいたところですね。

もぐら その2組は在学中からbaseよしもとのオーデイションを受けていたり、「キタイ花ん」(構成作家が主催するお笑いライブ)に出てたりしてましたね。僕は、お笑いは好きだったんですけど、実際、その姿を見て触発されてって感じですね。

岩橋 そもそも、なんで大阪芸大に行こうと思ったの?

もぐら 大阪芸大に映像学科があって、そこでプロモーションビデオを作りたかったんです。

河本 なんのプロモーションビデオ?

もぐら VJというか、クラブでDJの後ろで流れてるような映像を作りたくて。でも結局、勉強もせずに辞めて、そこから風俗の道に行くんですけど……。まぁ、それがきっかけですね。

出典: FANY マガジン
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河本 大学にいい先輩がいたんだね。

岩橋 お笑いは好きで落研には入ったけど、その時点では芸人になろうとは思っていなかったってこと?

もぐら 思ってなかったですね。

岩橋 前回の寅年対談のときは、マヂカルラブリーの野田(クリスタル)さんしかり、みんな早い時期からお笑いやりたいという方がほとんどだったのですけど、今回、ぜんぜん違うんだなって思いました。

ゆうへい ……なんか、俺だけ恥ずいな。

岩橋 そんなことないですよ!

河本 お笑いに触れる文化の違いなんじゃないかな? やっぱり出身地はデカくて。関西とか身近にあるならわかるけど、ずっと地方で生活していたら「お笑い芸人になる」って考えは出てこないと思う。

「こんな生活は想像もしてなかった」

岩橋 そろそろお時間になります。最後に年男として、今年どのような1年にしたいということをお聞かせください。

もぐら まさか自分が芸人を続けていられているとは思ってなかったですし、結婚して子どももできてという生活は想像もしてなかったですね。2023年は単独ライブで全国ツアーを予定していて、それを皆さまに楽しんでもらいたいです。あとは元気にタバコを吸えていれば、と思ってます。

ゆうへい 僕らはM-1のラストイヤーも終わったので、4分のネタに縛られなくてもいいんだという気持ちもありますし、これからはいままでと違った吉田たちを見せれるような1年にできたらなと思ってます。

千葉 想像していた人生ではまったくなくて。まさか自分が大阪にいて新喜劇やってるなんて思ってもなかったんですけど、いまは楽しくて仕方ない。いま新喜劇がちょっとずつ盛り上がってきているので、関東のおじさんですけど、むかしからある新喜劇を盛り上げていける中枢メンバーになれたらいいなと思っています。

河本 お笑いの部分はこれからもずっと現状維持でできたらいいんだけど、身体とか体調の面は気をつけないとって思う。まさか自分が大病(すい炎)を患うなんて思ってもいなかったし。それこそ36歳のときだったから。で、今日、検査でお医者さんに「やっと光が見えた」って言われて。なので、ずっと飲んでいなかったお酒を、2023年で20歳を迎える息子と一緒に1杯、お酒を飲めたらいいなと思っています。

岩橋 お時間となりました! 皆さまありがとうございました!

一同 ありがとうございました!

出典: FANY マガジン
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いかがでしたでしょうか? 世代の差で、歩んできた人生がここまで変わるのだなと思いましたし、芸人を目指すきっかけのお話は非常に興味深く、まさにここでしか聞けない話だったと思います。卯年芸人たちへの応援を、ぜひともよろしくお願いいたします!

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