3時のヒロイン・福田麻貴
エッセイ「役満家族」連載第7回

役満家族

3時のヒロイン・福田麻貴が幼少期を過ごしたのは喧騒と混沌の街、大阪・ミナミ。一風変わった生い立ちを、個性豊かな家族たちとの思い出と共に綴ります。

3時のヒロイン・福田麻貴が幼少期を過ごしたのは喧騒と混沌の街、大阪・ミナミ。一風変わった生い立ちを、個性豊かな家族たちとの思い出と共に綴ります。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「女芸人No.1決定戦 THE W」優勝後、バラエティー、ドラマ、コメンテーターと幅広い活動を続ける、3時のヒロイン・福田麻貴。
そんな彼女が幼少期を過ごしたのは喧騒と混沌の街、大阪・ミナミ。スナックと雀荘で過ごした子供時代、父との出会い、名門・関西大学を卒業しアイドルを経て芸人に転身したヘンテコな生い立ちを、個性豊かな家族たちとの思い出と共に綴ります。

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『親は無くとも子は育つ』


 目が覚めたら知らない家に居るのは、めずらしいことではなかった。難波での暮らしは常に新しいことの連続で、起きていようが寝ていようがどこへだって連れていかれたし、引っ越しだって突然で、毎日がミステリーツアーだった。

 今日もまた知らない家で目が覚めて、不思議なことに母がいて、夢かもしれないが何かが起こりそうで高鳴る。

 少しずつ意識がはっきりしてきて、どうにかこの状況を解釈しようと努め始めた頃、寝ぼけ眼に映る母が意気揚々と「今日からここに住むで!」と放ったことにより、「お母さん牧場から帰ってきてるやん!」の件は一瞬で咀嚼し終え、「そんなことより一軒家やん!」に興味が移り変わったところで、母はこれみよがしに「二階もあるでえ〜!!」と叫んだ。

 暗いボロボロの木の階段をおそるおそる上ると、狭いがスッキリ整頓されている空間が開けて、私と兄は、わ〜!と小さな部屋を駆け回った。階段の脇に、天井の低い細長い空間を見つけて、兄が先に奥まで行き、私が後ろをついて行って、窓から外を眺めるとまだ空は暗かった。

 その日から、粉浜での暮らしが始まった。私達は、てっちゃんと一緒に暮らすことに何の疑問も持たず、当たり前のように毎日四人でちゃぶ台を囲んで夕食をとった。母との三ヶ月ぶりの再会は、感動よりも牧場への興味が主で、「牛おったー? 馬おったー? ブタは?」と、兄と順に質問を繰り出し、母が「うん、おったよー」と言うと、てっちゃんが「お母さんブタのうんこまみれなってたでー」と言うのがお決まりだった。ブタのうんこまみれのくだりは幼少の私達にぶっ刺さり、もはやブタのうんこまみれに最短で辿り着きたいがために、一発目から「ブタおったー?」と聞くようになっていった。

 母の自転車の後ろに乗って、冬休みが明けたら新しく通うことになる幼稚園に挨拶に行った。前の幼稚園の友達には、母に、カセットテープにメッセージを吹き込まされ、言われるがままに母が用意した感謝の台本を読んだ。天王寺から難波、粉浜へと、これで三つ目の幼稚園になるが、お別れの悲しみなどなく、模様替えをするような新しい気持ちですんなり転園した。

 家の隣にはてっちゃんの弟が住んでいた。初めて紹介されたとき、私が、マイブームだった大衆演劇のセリフの「親は無くとも子は育つ〜♪」という節を高らかに口ずさんでいたらしく、もちろん私はその意味など知らなかったのだが、これまでの三ヶ月の事情を知っていた彼はオリジナルソングだと思い込み、なんて屈強な子供だと笑ったという。

 家の裏にはてっちゃんの兄夫婦の一家が住んでおり、一つ年上のトモという女の子、そのお兄ちゃんで六年生のユウキくんを、いとこだと紹介された。私も兄も、いとこ達とすぐに仲良くなって、冬休みじゅう毎日四人で遊んだ。

 一人だけ歳が離れているユウキくんは、まだ五、六歳の私達にとって、カリスマそのものだった。部屋にはダーツの的や最新のゲーム機器があって、いつも気だるそうに喋りながらニヤニヤと悪だくみをしている。ユウキくんはいつも、自分は参加せずに私達を競わせて、一位には百円、最下位にはしっぺなどの罰ゲームを用意して遊んだ。いつもピンサロのおっちゃんや雀荘のボーちゃんと遊んでいた私にとっては小学六年生の方が大人に見えて、その遊び方は常に刺激的で挑戦的でイケてるように感じた。競う内容は、スーファミのコントローラーの連打のときもあれば、誰が最後まで壁に逆立ちをしていられるか、またプロレスのときもあった。

 私とトモは二人きりのときは仲良く折り紙などをして遊んでいたが、プロレスの時だけは、汗だくになって首を締め合ったり髪を引っ張り合ったりして血で血を洗う女の戦いを繰り広げた。ユウキくんはそれを見て爆笑していた。兄はそんなユウキくんに憧れを抱いているようだった。私もまた、トモを一番の友達としており、そうして子供達が仲を深めている間、下のリビングでは、母もまた兄嫁と酒を酌み交わしながら馬鹿笑いして歌ったり踊ったりと意気投合していた。

 てっちゃんと四人で暮らし始めて、なんとなく母とてっちゃんが結婚するというのはわかっていたが、てっちゃんがお父さんになる、というのは少し解せなかった。だっていつもトモに「キャベツ頭!」と笑われているてっちゃんを「お父さん」と呼ぶのは違和感がありすぎる。

「まぁ、今はてっちゃんでええわ。麻貴が小学校に上がったら正式に結婚して名字も変わるから、それからはお父さんって呼ばなあかんで」と母に一年の猶予を言い渡された。「え〜お父さんちゃうやーん」と笑う私に、てっちゃんは、ギャグを飛ばすようないつものカラッとしたテンションの中に、苛立ちと威厳を滲ませたような、何とも言えない表情で「お父さんや!」と笑ってみせた。

 てっちゃんは、父をやろうとしていた。夕食の後はリビングに私と兄と三人で向かい合って正座をして、声を揃えて家訓を言う。てっちゃんが「石の上にも三年!」と言うと私達が「石の上にも三年!」と復唱し、「二度あることは三度ある!」と言うと「二度あることは三度ある!」と復唱する。最後にてっちゃんが「三つ子の魂百まで!」と言って、ガラス棚に飾ってある、死んだおじいちゃんの顔が縦に三枚連なった証明写真を指差し「おじいちゃんは三つ子やったんや」と言うと、私達はひゃひゃひゃと腹を抱えて転げ「三つ子の魂百まで」をいつも最後まで言えなかった。毎日繰り返すそれを、母は笑って見ていた。

 てっちゃんの車の中では横浜銀蝿の『ツッパリ High School Rock’n Roll』が流れていて、私と兄はその歌を完璧に覚えて歌った。家では『湘南爆走族』や『極道の妻たち』のビデオが流れていて、次第に私は、てっちゃんの真似をしてガニ股で歩くようになったり、てっちゃんがキレたときの「おどれ○○ちゃうんかコルァア!」という舌の巻き方まで習得していった。

 いつしかてっちゃんと私は師弟のようになっていき、お風呂の中で『カントリーロード』のデタラメ英語版を教わったり、お風呂から上がったら肩を組んで「もう一度ふたりで歌いませんか〜♪気の合ったデュエットをしてみませんか〜♪」と、和田アキ子の歌を熱唱した。

 てっちゃんに見せられた『カーリー・スー』という映画は、ホームレスの少女と血の繋がってない当たり屋のおじさんの、友達のような親子のような不思議な関係の絆が描かれた物語で、少してっちゃんと私みたいだった。私の天然パーマでくるくるの長髪が主人公のカーリー・スーの髪型にそっくりだったこともあり、私は家族からカーリー・スーと呼ばれてイジられた。

 寝る前、布団に入って「てっちゃん、昔ばなしして〜」と呼ぶと、てっちゃんはいつも「むかしむかし、黒門市場というところに、栄子という鬼ババアがいました…」と、まだ難波に住んでいるママ(祖母)の悪口を言って笑かしてきた。

 週末だけはママの家に泊まりに行くことが許された。粉浜に越してくる時にママとてっちゃんの間にどんなやりとりがあったのかはわからないが、二人は犬猿の仲だった。しかし顔を合わせると仲良さそうに軽快に嫌味を言い合っているそのかけ合いが漫才みたいに面白かった。

 そうして一年あまりが経って私は小学校に入学する。母とてっちゃんは籍を入れ、ついに本格的に家族になるわけだが、やはり一筋縄ではいかない日々が待っていた。

3時のヒロイン・福田麻貴

1988年10月10日生まれ。大阪府大阪市出身。関西大学卒業。
2017年に相方・ゆめっち、かなでと「3時のヒロイン」を結成。2019年には『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝。バラエティ番組を中心にYouTube・ドラマ・コラム執筆など幅広く活躍中。「めざまし8」(フジテレビ)、「トゲアリトゲナシトゲトゲ」(テレビ朝日)、「おはスタ」(テレビ東京)、「花咲かタイムズ」(CBCテレビ)などレギュラー出演中。

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