3時のヒロイン・福田麻貴
エッセイ「役満家族」連載第4回

役満家族

3時のヒロイン・福田麻貴が幼少期を過ごしたのは喧騒と混沌の街、大阪・ミナミ。一風変わった生い立ちを、個性豊かな家族たちとの思い出と共に綴ります。

3時のヒロイン・福田麻貴が幼少期を過ごしたのは喧騒と混沌の街、大阪・ミナミ。一風変わった生い立ちを、個性豊かな家族たちとの思い出と共に綴ります。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「女芸人No.1決定戦 THE W」優勝後、バラエティー、ドラマ、コメンテーターと幅広い活動を続ける、3時のヒロイン・福田麻貴。
そんな彼女が幼少期を過ごしたのは喧騒と混沌の街、大阪・ミナミ。スナックと雀荘で過ごした子供時代、父との出会い、名門・関西大学を卒業しアイドルを経て芸人に転身したヘンテコな生い立ちを、個性豊かな家族たちとの思い出と共に綴ります。

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『母、牧場へ行く』


「お母さんな、北海道の牧場でオーバーオール着て働きたいねん」
 そう言い残して母は三ヶ月帰ってこなかった。

 てっちゃんと初めて会ってから一年半が経ち、私はあのネオンの街、難波で四歳を過ごしていた。兄は小学校に入学し、母は昼は雀荘、夜はスナックで働きながら私達を育ててくれていた。誰も面倒を見れない時間は暇をしないようにお金を渡されて、兄とゲームセンターや漫画喫茶で遊んだり、焼肉屋に預けられて七輪にハラミを並べたりした。

 その頃よく幼稚園のお迎えに来てくれたのが雀荘の従業員の男性、ボーちゃん。ボーちゃんは私達の住むアパートの一つ上の階に住んでいる。何だかいつも「まいったなぁ」みたいな、漫画の汗が二つ飛び出たような困った笑顔をしていた印象がある。誰にでも話しかけてしまう私が公園のホームレスと友達になったために、ボーちゃんまでもがアルミの小鍋に入った得体の知れない酒を気前よく振る舞われて、おそるおそる酒盛りをする羽目になったこともあった。
 そんな中、ボーちゃんの色違いみたいな形で子守要員に突然躍り出てきたのが、あの一年半前に一度会っただけのてっちゃんだった。

 その頃のてっちゃんとの記憶はほとんど断片的にしか残っていないが、あのセンセーショナルな事件だけはフル尺で鮮明に残っている。
 ある日幼稚園から帰るとまたてっちゃんが居て、母とマクドを食べていた。「シェイク飲むか?」と飲みさしのシェイクを差し出すてっちゃんに、私は「嫌や。ゲェ吐く」と子供の残酷さの全てが詰まったような一言を返した。その一撃は散弾銃のようにてっちゃんの心の中で弾け散らばったようだが、てっちゃんは地に伏す直前にもう一度立ち上がった。「大丈夫や。吐けへんよ、飲み」「ほんまやで飲みなさいあんた。何が気持ち悪いの」と母も追撃してくる。何が気持ち悪いの、は微妙にてっちゃんにも流れ弾だと思うが。
 追い込まれた私は嫌々シェイクを受け取り、てっちゃんが飲んだストローでシェイクを一口吸った。そしてゲロを吐いた。案の定吐いた。大騒ぎの中、ほらやっぱり吐いたやん!と吐いている張本人の私が吐きながら言っていた。私はもともとゲロ吐きなのだ。元来、ゲロを吐きやすい性分なのだ。「嫌や。ゲェ吐く」は比喩でも嫌がらせでもなく、自己紹介だったのだ。
 かの最強の一言「くさい」よりも破壊力のある攻撃でてっちゃんは無残に散った。

 九月。お母さんな、北海道の牧場でオーバーオール着て働きたいねん、の日。
 この名言が飛び出した日、母は帰ってこなかった。
 兄が“ママ“こと祖母に電話をかけた。「お母さん帰ってけぇへん」「あらほんまに。何でやろ。何か言うてた?」「牧場行くって言うてた」祖母は瞬時に何かを察した様子で「…あ~!そうかー!もう牧場行ったんか~!ほんなら今からごはん作りに行くわなぁ」と、口裏を合わせるように芝居を打った。娘の駆け落ちに気付かないわけがなかったようだ。

 この日から兄と私の二人暮らしが始まる。朝は祖母かボーちゃんが幼稚園に送ってくれる。夕方に祖母がごはんを作りに来てそのままアパートの一階にあるスナックに出勤。そこから兄と二人の時間。九時頃に眠りに就く。
 毎晩泣いた。私が泣くから兄もつられて泣いていた。母は出かけるときいつも「かしこくしときや」と言う。その日もそう言って出て行ったから、ただいつもより少し長めにかしこく待つだけだった。とにかく寂しいこと以外は普通の生活で、子供ながらに「親離れしなければ」という感覚があった。その頃の語彙に置き換えると「お母さんおらな何もでけへん、あかんたれやなぁ」みたいな感覚だ。だって母は早朝からオーバーオールを着て牛の乳搾りをしている。牛や馬は何匹いるのかな、豚はいるのかな、帰ってきたら聞きたい質問がいっぱいあった。まさかたった四駅隣の町で暮らしているとはつゆ知らず、私は遠く北の大地に思いを馳せささやかな憧れを巡らせていた。

 兄は私が寝たあと、寂しさを紛らすためにアパートの地下にあるライブハウスの階段に座ったり、ローソンで漫画とあたりめを買って、一階の祖母のスナックの厨房で読みながら食べたりしていたそうだ。
 兄はたった二人の兄妹の中で、絶対的なリーダーだった。いつも兄にくっついていれば何とかなる私とは違って、行動の主導権を全て握らなければいけない兄の方は大変だったかもしれない。

 ある夜のことを今でも憶えている。何度も繰り返し見る夢のような、朧げで幻みたいな夜だ。
 いつも通り夜中に目が覚めたが、隣に寝ているはずの兄が居ない。泣きながらスナックの電話番号を押すが、何度押しても繋がらない。嗚咽は過呼吸に変わっていく。息は出来ないし涙はぼろぼろ止まらなくて、電話が海の中にあるみたいに揺れている。悪夢のような現実の中、息をしようとすればするほど出来なくて、限界を超えようとした時、玄関から誰かが入ってきた。
 聞き慣れた声のその男性の腕に私は抱き上げられ、しっかりとした腕っぷしに包まれ優しく揺られて、激しかった涙は安堵の涙に変わっていった。窓から入ってくるネオンの灯りで壁に映された自分たちの影がゆらゆらしているのを見ながら静かに泣いた。ふわふわした不思議な感覚の中眠りに落ちていった。

 その男性が誰だったのかわからない。憶えていない。大人になってから母にこのことを話して、あれは多分てっちゃんだと思う、と言ったら、その可能性はない、それはボーちゃんに違いない、と言われた。
 確かにその時期私はてっちゃんのシェイクを吐いているし、そもそもてっちゃんだけが会いに来るはずがない。上の階に住んでいたボーちゃんが泣き声を聞きつけて入ってきたに違いない。それでも私の記憶が少しずつ変容して、てっちゃんに書き換えられるほどの存在に彼はなっていくのだった。


 三ヶ月後のある日、目が覚めたら知らない家に居た。
「今日からここに住むで!」と母が言った。

3時のヒロイン・福田麻貴

1988年10月10日生まれ。大阪府大阪市出身。関西大学卒業。
2017年に相方・ゆめっち、かなでと「3時のヒロイン」を結成。2019年には『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝。バラエティ番組を中心にYouTube・ドラマ・コラム執筆など幅広く活躍中。「めざまし8」(フジテレビ)、「トゲアリトゲナシトゲトゲ」(テレビ朝日)、「おはスタ」(テレビ東京)、「花咲かタイムズ」(CBCテレビ)などレギュラー出演中。