沖縄戦への理解を深め、平和を思う気持ちを継承するための沖縄市のイベント『沖縄市民平和の日記念行事』が、9月7日(月)に沖縄市民小劇場あしびなーで開催されました。ガレッジセール(ゴリ、川田)がMCを務めたイベントの模様を、よしもと沖縄に所属し、芸人ライターとしても活動する又吉ごはんがレポートします。

よしもと沖縄の芸人たちも舞台に出演
こちらのイベントは毎年9月7日に開催され、平和についての講演会や音楽コンサート、舞台劇などを行っています。なぜ、沖縄での組織的な戦闘が終わった「沖縄慰霊の日」の6月23日や、終戦の日の8月15日ではないのでしょうか。
実は終戦の年、1945年の8月15日を過ぎても沖縄の一部地域では戦闘が続いていました。そして、日本軍が現在の沖縄市で降伏文書に調印し、公式に沖縄戦が終わったのが9月7日なんです。そこで沖縄市ではこの日を『沖縄市民平和の日』と定めています。
このイベントのメインとなる舞台劇『Message For Peace 紡-TSUMUGU-』は、沖縄で活動するエンターテインメント集団「なかのまちヤカラーズ」のリーダーである新垣健が脚本・演出したものです。
出演者には「なかのまちヤカラーズ」からバンド部、琉球舞踊部、創作演舞部、演技部の皆さんと、よしもと沖縄からオリオンリーグ(剛くん、玉代勢直)と、ありんくりん(クリス、ひがりゅうた)が出演しました。
物語は現代の沖縄市の街中からスタート。沖縄市の街はダンスを踊っている若者や買い物に来ている人々で賑わい、そこにはお笑いイベントでネタを披露しているオリオンリーグとありんくりんの姿もあります。

そんななか、おばぁと2人で買い物に来ている女性が登場。仲睦まじい様子で街中を散策し、話はおばぁとおじぃの出会いの話へとさかのぼります。「おばぁはおじぃとどうやって知り合ったの?」と聞く孫に対し、「おじぃと出会ったのは“毛遊び”(もうあしび)だったわけさ」と照れ臭そうに話すおばぁ。
毛遊びとは若い男女が集まって飲食をともにし、歌舞を中心にして交流する沖縄で広く行われていた慣習のことです。いまでいう“合コン”のようなことが行なわれていたそうで、おばぁはおじぃを逆ナンしたそう(笑)。おばぁ、意外と積極的! 会場からも優しい笑い声が起こります。
場面が変わり男女数人で歌や踊りに興じ、沖縄民謡「ヒヤミカチ節」や沖縄のわらべ歌「じんじん」に合わせながら楽しそうに毛遊びをしています。テンポは徐々に早くなっていき、観ているお客さんもその踊りと音楽に引き込まれ、僕も沖縄では馴染み深いその音楽を楽しみました。
会場内からすすり泣く声も
しかし、突如として鳴り響く銃声。空襲警報とともに人々は逃げまどい、怒号が響き渡ります。1945年の沖縄戦であたり一面は焼け野原となり、家族や友だちが簡単にいなくなってしまい、沖縄人(ウチナーンチュ)は絶望の淵に叩き落されました。そんななか、三線を持った1人の男がやってきてこう言います。
「命のお祝いをしましょう」
男の名は小那覇舞天です。小那覇は「私たちはこうやって生きてます。命のお祝いをしましょう」と励まし続けますが、まわりは「あっちいけ。フリムン(愚か者)」「お願いだから静かにしてくれ」と拒絶するばかり。
それでも小那覇は人々を歌と踊りで励まし続け、次第に人々は彼の言葉に耳を傾け始めました。小那覇は語りかけます。
「いいですか皆さん、人は楽しいから笑うのではないんです。笑うから楽しいんだよ!」
戦争の悲惨さ、小那覇舞天が健気に人々を励ます姿――歌と踊りに勇気をもらいながら平和な未来を思い描く沖縄人に、自然と涙が出てきました。会場からも至るところからすすり泣く声が聞こえ、沖縄を二度と戦場にしてはいけないと、平和を願わずにはいられませんでした。

そして、物語は再び現代へ。おばぁは自身が生き抜いてきた時代を次のように振り返ります。
「二度とあってはならない出来事。それでも前を向いて力強く生きてきた沖縄人。いまを生きるわったー(私たち)に自由な世界をプレゼントするために、歯を食いしばって生き抜いてくれた」
そして、おばぁは「自由で平和に楽しく過ごせる社会を作るって希望を持ってたから、つらいことも乗り越えてこれたんだよ。その想いは、この島の長い歴史の中でずっとバトンタッチされているんだね」と語り、舞台は幕となりました。
当たり前の生活ができているのは、頑張って生き抜いてきた先人たちのお陰。平和なくしてこの当たり前はないということを、身に染みて感じるお芝居でした。舞台ではほかにも、薩摩藩が琉球に攻め入ったシーンでの空手の型や、大太鼓による演舞、花笠と色鮮やかな紅型(びんがた)の琉装を身にまとって踊る琉球舞踊など、いまもなお受け継がれる沖縄文化が表現されました。
「対馬丸事件」の生存者が証言
学童疎開船「対馬丸」が米軍に撃沈され、1400人以上が亡くなった事件の生存者である照屋恒さんとガレッジセールのトークセッションもありました。
照屋さんは4歳で対馬丸に乗船し、生存者として語り部の活動を行なっています。当時、爆撃などを避ける疎開にも種類があり、親戚や知り合いを頼って疎開する縁故疎開。学校単位で疎開を行なう学童疎開、それ以外の一般疎開があったそうです。照屋さんは「私と母親は一般疎開で、姉は学童疎開。家族であっても一緒に乗れない」と話します。

ゴリが言葉を選びながら、「対馬丸に魚雷を撃ち込まれて避難した直後の様子は覚えているものですか?」と聞くと、照屋さんは「(当時は)4歳で、寝てたところ母に連れられて甲板にあがり、海に飛び込め、飛び込んだらここから離れろと大きな声で言われた」と振り返ります。
そして、「しばらくして、母親はお姉ちゃんを探してくると言ったきり戻って来なかった」と生々しすぎる体験を話してくれました。
最後に照屋さんは「平和とは当たり前の毎日が続くことだと思っています。6月23日の慰霊の日、8月15日の終戦記念日、そして戦争が終了した9月7日。そのうち1日でもいいので平和について考えていただきたいと思います」と若い世代へメッセージを送りました。
「過去にあったことを風化させない」
沖縄市が取り組む平和事業のひとつ、「沖縄市平和大使」の活動も紹介されました。中学生大使の新川結莉さんは「旧海軍司令の壕の中には銃弾の跡などがあって、当時の壕での悲惨な出来事を想像させられました。実際にその場所に行くことで当時の状況を肌で感じ、資料や写真などではわからないことを学ぶことができた」と話します。
同じく中学生大使の川端璃里子さんは「いまはまず学んだこと、感じたことを伝えるのが私たちができる一歩なのかなと思っています」と語りました。
そのほかにも、沖縄東中学校吹奏楽部の平和ミニコンサートを実施。沖縄東中学校吹奏楽部は、沖縄県吹奏楽コンクールでの金賞や九州小編成吹奏楽コンテスト宮崎大会で最高点を獲得した実力派です。演奏が始まるとあっという間にお客さんの心を惹きつけ、会場が一体となって演奏に聴き入りました。
会場のロビーでは原爆の被害を疑似体験できるVRコーナーも設置され、僕もやってみました。5分程度の疑似体験で強烈なインパクト。最新の技術でよみがえる原爆の威力は、戦争の恐ろしさを感じられるとても貴重な体験でした。
二度と戦争を起こしてはいけない、先人たちが紡いできた日常を壊さない――。そんな想いの募ったイベントの終了後、オリオンリーグの2人に話を聞くことができました。剛くんは「平和学習とかはしてきたけど、今回のイベントに携われてすごくありがたい。稽古にも学びながら参加できた」と話します。
玉代勢は「平和な世の中にしていくにはどうしたらいいか、このイベントを通して考えるきっかけになった」と振り返り、「平和はどれだけ日常を繰り返していけるかだと思う。そのために過去にあったことを風化させないというのが大事。それが平和に繋がってくる」と語りました。
僕はおじぃ、おばぁから戦争の話は聞いたことがありません。大好きなおじぃ、おばぁでしたが、いまとなってはもっと昔の話を聞いとけばよかったなぁと思います。戦争の語り部が少なくなっているからこそ、対馬丸生存者の話は貴重で、もっと伝えていかなければならないと感じました。
